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2013年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。
櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取るのがいいと思います。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※

  (※はやし言葉繰り返し)
  

というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。
  



2013年07月13日

【「集団山見せ」ってなに?】

山笠は商人の町博多のお祭りです。

なに?新幹線で降りたらJR博多駅。でも都市名は福岡市。一体どうなっているの?

そう、明治時代に福岡にするか博多にするか迷ったそうですが、最終的に政令指定都市としての公の都市名は福岡市となりました。というのは、昔は、那珂川を挟んで、東が商人の町博多、西側が武士の町、黒田52万石の城下町、福岡だったのです。

その福岡と博多の違いを踏まえて「集団山見せ」とは何かご紹介します。

「集団山見せ」とは、昭和37年に福岡市が「より多くの人たちに山笠の楽しさを」と要請して始まった行事で、博多の祭りの山笠を福岡の人達にも見せる為、たった1度、山笠が那珂川を越えて福岡に入ることを言います。

【博多と福岡の違い】

僕は博多の生まれなので、博多っ子であることに誇りを持っています。生まれは自分では選択できないので、たまたま自分は博多っ子になった、ただそれだけなのですが、特に山笠の時期になるとなんとなく博多の血が騒ぐのです。

僕の通った高校は長谷川法世さんの漫画「博多っ子純情」のモデルになっている学校ですが、そこは商人の子供が多く呉服町の呉服商の息子や博多人形師の息子などがいました。そして山笠の時期になると、学校も心得ていて山笠に出るといえば何と学校を休むこともできたのです!

そういうわけで博多は商人の魂が生きている、それは庶民の町でもあります。さらに言えば反骨精神、官に物申す心意気、自由で奔放な気風など庶民のイメージぴったりです。それに比べて福岡は武士の町でもあり、何か型にはまった、時にはいばったような、「お上」のイメージが付きまといます。

【集団山見せ再考】

「集団山見せ」も行事としてはいいことだとは思いますが、どうもよく考えると「お上」である福岡の市役所に博多の商人が年に一度ご挨拶にお伺いするような、博多っ子からすると「なしてお上に挨拶せないかんとや」とも言いたくなります。

まあ、いいか。そこはおおらかに「お上」の要請に応えて挨拶にいっちゃろうというところですか。寛大でしょ、博多っ子は。
  



2013年07月12日

【追い山に向けた足慣らし】

本日、7月12日にはいよいよ15日の追い山に向けた本番さながらの足慣らしである「追い山ならし」があります。
「追い山ならし」は12日の午後3時59分に、一番山の「櫛田入り」で始まります。今年の一番山は恵比寿流です。昼間ではありますが、走る距離が1キロ短い以外は「追い山笠」と同じ条件ですので、祭り気分はグーンと盛り上がります。

【テンション高まる舁き手たち】

僕は実際には山笠を舁いた(担いだ)ことはありませんが、経験のある友人に尋ねるとこの追い山ならしのころから舁き手たちのテンションは15日の追い山に向けてどんどん高まっていくようです。もちろんこの期間も含めて山笠期間中は女性からも遠ざかってひたすら自分たちの流れの山が無事に、最も勇壮に走れるように猛々しいエネルギーのすべてを山笠ひとつに注いでいくのです。

【早朝の追い山が見れない人は「追い山ならし」見学がオススメ】

その舁き手たちの勇壮な姿を見る観客の方ですが、実際の追い山は15日の早朝4時59分がスタートなので朝が弱いけれど追い山の雰囲気を味わいたいという方はこの「追い山ならし」が狙い目です。

ただし、はやり本当の迫力を味わうためには本番の15日に行くしかありません。今年は15日は日曜日ですので、県外からの観光客も含め大勢の方々が早朝から追い山見学に集まってくるでしょう。週日とは違って追い山が終わってから会社に戻る必要もありません。追い山を体験する絶好の機会です。でも15日に行けない方には「追い山ならし」があります。みんな一度見に行きませんか?(今年も15日の追い山ではなく、追い山ならしに外国人留学生を連れて行く予定にしています)

  



2013年07月10日

今日から一週間は僕のブログは山笠一色になります。山笠以外の話題は一週間お休みをいただきますのでご了承ください。そして「じゃ見るまいか」とおっしゃらずに博多山笠をよく知る週間と考えてお付き合いください。

【博多の夏-博多祇園山笠】

いよいよ夏本番! 博多の男たちの血をたぎらせる博多祇園山笠のカウントダウンが近づいてきました。7月に入ってからの山笠の日程はというと、1日の飾り山公開に始まって、15日の追い山で幕を閉じます。

7月1日(月)  飾り山一般公開(14日夜まで) 夕方 お汐井取り(当番町)

※「雨の中の追い山見学―2010年博多祇園山笠」


7月9日(火)  夕方 お汐井取り(全流)

7月10日(水)  夕方 流舁き・流区域内

7月11日(木)  早朝 朝山・流区域内 午後 他流舁き・流区域外

7月12日(金)  追い山ならし(追い山リハーサル) 15時59分 舁きだし

7月13日(土)  集団山見せ 15時30分 (呉服町→明治通り→市役所)

7月14日(日)  夕方 流舁き・流区域内

7月15日(月・祝)  追い山笠 4時59分 舁きだし

※「凛々しい祭りー追い山」(2006年の追い山ツアー記録)


一年間、男たちが待ちに待った山笠の興奮がこの15日間の行事を通して徐々に高まってくるのです。

【7月9日のお汐井とり-神事での始まり】

博多祇園山笠は760年近く続く博多の神事です。その中でも神事らしい神事のひとつとしてこの「お汐井とり」があります。お汐井とは、海岸の砂のことで、博多湾に面した筥崎宮というお宮の海岸の真砂をお汐井てぼ(竹かご)に納めて各戸の玄関口に置き、「災いを除き、福を招く」お祓いとして身を清めるために使われるものです。

博多祇園山笠では、山笠を舁く前に身を清めるために各町内の流(「ながれ」という。各町内の山笠のこと。東流れ、大黒流れなど)がそれぞれの山小屋から約10kmの距離を流毎に一番から順にお汐井とりに筥崎宮前の海岸にやってくるのです。僕も小学生のころはおじいさんに連れられてお汐井とりに行っていたことを覚えています。


【お汐井とり後の5日間】

お汐井とり後は、流舁き、追い山ならし、集団山見せと段階を踏んでクライマックスの追い山に達します。その最初の日は10日。今年初めて「舁き山」が動く流舁きです。夕方の16時~18時にかけて、7流すべてが流ごとに、それぞれの流の区域内を舁き回ります。いよいよ男たちの血が騒ぎ始めますよ。

それから忘れてはならない行事がもうひとつあります。それは追善山です。「追善山」とは前年の山笠後に亡くなった方で町総代や取締を務め、流に貢献した人を追悼する山笠の行事です。男衆が故人への敬意を込めて遺族の方々に追悼するもので、博多ならでわの行事であり厳粛なものを感じます。


このような神聖なお祭りである博多祇園山笠。今年も勇壮な追い山がひとりの事故もなく行われることをお祈りします。



≪山笠のサイト紹介≫

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。

~役に立つ山笠紹介サイト~

「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

「山笠の達人になろう」~CLUB九州 2009山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。
  



2012年10月29日

【博多の女(ひと)】

カーネギーホールで歌ったことのある博多出身のボーカリストって知ってますか?そう、高橋真梨子です(彼女のオフィシャルサイトはここをクリック!)。


その高橋真梨子のコンサートにまた性懲りもなく行ってきました。今回もファンクラブに入っているので、いい席だろうと期待していたら、昨年からは少し後ろになりましたがそれでも1階席の10列目のステージの真ん中近くの席! 2年続いた真ん前の席もよかったですが、少し離れたところで見るのもいいものです。

今年のコンサートのタイトルは「No reason 3」。その中身は真梨子さんが幼いころから慣れ親しんだ洋楽の楽曲が詰まっている今年9月発売のアルバムのタイトルです。コンサートは、昨年は9月中旬でしたが、今年は10月末となりました。真梨子さんは、27日の土曜日に博多に入り、懐かしい場所をいくつか訪れたように語っておられました。そんなトークといつもの曲やアルバムの新曲を一通り歌った後、ヒット曲である「For You」等の持ち歌で締めくくりました。

今回のコンサートも、中高年のファンを中心に人気が高く、土日二日間の博多での会場となっているサンパレスは相変わらず立ち見も出るほどの盛況でした。
僕も大人の雰囲気とさりげなさを持ち、世界にも通用する歌唱力を持つ彼女は、博多っ子として大ファンです。そう、彼女は博多っ子の元気の源なのです。

【根強いファンの支持】

いつものことですが、真梨子さんは博多に帰ってくると本当にリラックスして唄えるようです。毎回真梨子さんは博多に「戻ってくる」のが楽しみという語りでコンサートが始まります。今回もコンサートのトークどおり、博多の町をブラブラしてみたり博多の空気を満喫しておられたようです。

それもそのはず、真梨子さんは博多出身で、小学校も大楠小学校出身。後輩には氷川きよし、森口博子がいたそうです。昨年はタモリが同級生と語っていたと思っていましたが、タモリは高宮小学校だったとか。その他にも博多からは井上陽水や浜崎あゆみなど有名な歌手が多数輩出していることについて語り、自分は小者だけれど一番長く歌手をやっているとちょっぴり自信ものぞかせていました。

そんな博多を愛する真梨子さんを前に、コンサートが始まってしばらくは静かだった観客も、中盤以降は結構立ちっぱなしの状態になり、恒例の「グランパ」での総立ちの前から手を振って、会場はずっと熱気に包まれていました。この真梨子さんのコンサート、今年で39年目だそうです。凄い。そしてヘンリーさんも69歳、ヘンリーバンドの平均年齢も50代。あと何年見られるのでしょうか、少し不安になります。

ファンのほうもヘンリーさんたちに負けず劣らずシニア層と呼ばれる50代から60代以上と見られる人ばかり。そう、僕の母が若い頃、高橋真梨子は中洲の「あざみ」という老舗のスナックの近くの彼女の母親が経営するライブハウスで「ペドロ&カプリシャス」のヴォーカルで唄っていたのです。(彼女の母親は10年ほど前に亡くなり、例年9月に福岡に来られるのは彼岸に合わせて供養も兼ねているのかもしれません。) その頃の人たちが皆そういう年代になっているのです。だから、彼女は全国でも知られていますが、博多ではシニアほどよく知っているのです。

【同時代に生きる】

さて、コンサートでの衣装は、今回は4回も変えられました。最初は赤系のあざやかな模様のドレス、それからイエロー、ブラック、そして最後はピンクでした。真梨子さんは、どちらかというとスカート姿よりもロングパンツのほうが似合いますが、今回はすべてスカート。最後のピンクのドレスは少し恥ずかしいと自ら語っていました。

本人は歳のことをいつも気にしますが、そんなこととは関係なく、生のコンサートの醍醐味というか、ファンを中心に歌手の歌とリズムにあわせて皆が立ち上がり会場全体が一体感に包まれるところは老いも若きも一緒です。

10年後ならともかく、100年後にはこのコンサート会場にいる10代も70代も皆この世にはいません。その中で同時代に生きているという共感、証(あかし)を得たいという心理が自然とそうさせるのでしょう。この瞬間を精一杯生ききる・・・これって大事にしたいですね。折しもコンサートの直前、ある方の葬儀に参列したばかりだったのですが、本当に命のはかなさを感じさせられるとともに、人間いつ死ぬかわからない、だからこそ今この瞬間を大切にしたいと今回のコンサートではいつも以上に思わされました。また、同時にいつも一緒に行くパートナーも大切にしなければと思いました。

また、来年もファンクラブでいい席をゲットして来たいと強く思った、秋も深まる10月末の高橋真梨子コンサートでした。
  



2012年09月10日

【地元アピール加速】

宗像・沖ノ島と関連遺産群の世界遺産登録を目指す地元の動きが活発化しています。

『宗像大社の沖津宮がある沖ノ島を中心とした「宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県宗像市、福津市)の世界遺産登録を目指す地元の動きが加速している。登録実現には、入島制限や数多くの禁忌が定められた“神秘の島”であるがゆえの知名度の低さが課題。地元自治体は8日に宗像市内でシンポジウムを開くなど、知名度不足をはね返そうとアピール活動を展開している。
 同遺産群は、沖ノ島、宗像大社、豪族が築いた津屋崎古墳群の3点で構成。沖ノ島には4~9世紀の大規模な祭祀(さいし)遺跡があるほか、大陸から持ち込まれた金製指輪など約8万点が出土し、一括して国宝に指定された。

 平成21年1月に、遺産登録に向けた国内予選の第一関門ともいえる「国内暫定リスト」に追加掲載された。

 ところが、沖ノ島は女人禁制で、男性の上陸も原則年1回。「島で見聞きしたものは一切口外しない」「一木一草たりとも島外に持ち出してはならない」など島を守る多くの禁忌がある。そのため訪れる人は少なく、国内でも歴史的重要性があまり知られていない。暫定リスト入りの際にも文化庁から「国際的な評価を得るには不十分。顕著な普遍的価値の確実な証明や保護体制確立が必要」と厳しい注文がついた。

 この課題をクリアしようと福岡県と宗像、福津両市、地元経済界などが「推進会議」を設立し、過去3回、福岡市と東京都内でシンポを実施した。

 8日に宗像市久原の宗像ユリックスで開かれたシンポも、まず地元住民に、同遺産群の価値を深く理解してもらうことが大きな目的。国内外の専門家4人がパネルディスカッションに参加したシンポで、西谷正・九州歴史資料館館長は「自然崇拝から社殿での崇拝へと、古代の祭祀の歴史が確認できるアジアで唯一の場所。世界に通じる普遍的な価値がある」と強調した。

 行政だけでなく、地元住民も21年9月に「市民の会」を結成し、機運を盛り上げようとしている。市民の会は今月17日、古代の宗像をテーマにした手作りのミュージカルを、宗像市内で開く。』(9月9日付産経新聞)

【神性と世界性】

沖ノ島といえば、僕にとっては一度は行ってみたい沖釣りの拠点です。以前、志賀島に行く途中にある釣具店が高速遊魚船を走らせていて、沖ノ島まで釣り人を運んでくれているのに一度乗船して行ってみたいと思っていました。

その沖ノ島の神社・沖津宮は、沖ノ島の手前に位置する大島の中津宮、宗像・田島に位置する辺津宮の三宮を総称して宗像大社といい、天照大神の三柱の御子神を祭っています。「日本書紀」にも宗像大社については記述があり、特に朝鮮半島と九州の中間点に位置する沖ノ島は古代から漁を営む漁業者を中心に篤い信仰の対象だったのです。そして今でも毎年10月1日には300隻近い漁船団が大島から神湊まで沖津宮と中津宮のお神輿を載せての海上パレードが行われます。

これらすべてが古代日本の文化遺産として世界遺産登録を目指すという。世界に日本の古代文化の良さを知らしめるいい機会となることは間違いないでしょう。ただ、ひとつ気になることがあります。沖ノ島は女人禁制でしかも神々しい島として何世紀にもわたって人々から崇められてきたため、太古の自然もそのまま残されていると聞きます。もし、世界遺産となってその偉大さが日本だけでなく世界に知られることになって、その神秘性や大自然が失われるとしたら、何のための世界遺産登録かということになるでしょう。是非その点については、関係者はしっかりと登録後のことを十分考えておいてほしいと願うばかりです。  



2012年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。
櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取るのがいいと思います。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※


  (※はやし言葉繰り返し)
  
というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。
  


2012年07月12日

【追い山に向けた足慣らし】

本日、7月12日にはいよいよ15日の追い山に向けた本番さながらの足慣らしである「追い山ならし」があります。

「追い山ならし」は12日の午後3時59分に、一番山の「櫛田入り」で始まります。今年の一番山は千代流です。昼間ではありますが、走る距離が1キロ短い以外は「追い山笠」と同じ条件ですので、祭り気分はグーンと盛り上がります。

【テンション高まる舁き手たち】

僕は実際には山笠を舁いた(担いだ)ことはありませんが、経験のある友人に尋ねるとこの追い山ならしのころから舁き手たちのテンションは15日の追い山に向けてどんどん高まっていくようです。もちろんこの期間も含めて山笠期間中は女性からも遠ざかってひたすら自分たちの流れの山が無事に、最も勇壮に走れるように猛々しいエネルギーのすべてを山笠ひとつに注いでいくのです。

【早朝の追い山が見れない人は「追い山ならし」見学がオススメ】

その舁き手たちの勇壮な姿を見る観客の方ですが、実際の追い山は15日の早朝4時59分がスタートなので朝が弱いけれど追い山の雰囲気を味わいたいという方はこの「追い山ならし」が狙い目です。

ただし、はやり本当の迫力を味わうためには本番の15日に行くしかありません。今年は15日は日曜日ですので、県外からの観光客も含め大勢の方々が早朝から追い山見学に集まってくるでしょう。週日とは違って追い山が終わってから会社に戻る必要もありません。追い山を体験する絶好の機会です。でも15日に行けない方には「追い山ならし」があります。みんな一度見に行きませんか?(今年も15日の追い山ではなく、追い山ならしに外国人留学生を連れて行く予定にしています)

  


2012年07月09日

今日から一週間は僕のブログは山笠一色になります。山笠以外の話題は一週間お休みをいただきますのでご了承ください。そして「じゃ見るまいか」とおっしゃらずに博多山笠をよく知る週間と考えてお付き合いください。

【博多の夏-博多祇園山笠】

いよいよ夏本番! 博多の男たちの血をたぎらせる博多祇園山笠のカウントダウンが近づいてきました。7月に入ってからの山笠の日程はというと、1日の飾り山公開に始まって、15日の追い山で幕を閉じます。

7月1日(日)  飾り山一般公開(14日夜まで) 夕方 お汐井取り(当番町)

※「雨の中の追い山見学―2010年博多祇園山笠」


7月9日(月)  夕方 お汐井取り(全流)

7月10日(火)  夕方 流舁き・流区域内

7月11日(水)  早朝 朝山・流区域内 午後 他流舁き・流区域外

7月12日(木)  追い山ならし(追い山リハーサル) 15時59分 舁きだし

7月13日(金)  集団山見せ 15時30分 (呉服町→明治通り→市役所)

7月14日(土)  夕方 流舁き・流区域内

7月15日(日)  追い山笠 4時59分 舁きだし

※「凛々しい祭りー追い山」(2006年の追い山ツアー記録)

一年間、男たちが待ちに待った山笠の興奮がこの15日間の行事を通して徐々に高まってくるのです。

【7月9日のお汐井とり-神事での始まり】

博多祇園山笠は760年近く続く博多の神事です。その中でも神事らしい神事のひとつとしてこの「お汐井とり」があります。お汐井とは、海岸の砂のことで、博多湾に面した筥崎宮というお宮の海岸の真砂をお汐井てぼ(竹かご)に納めて各戸の玄関口に置き、「災いを除き、福を招く」お祓いとして身を清めるために使われるものです。

博多祇園山笠では、山笠を舁く前に身を清めるために各町内の流(「ながれ」という。各町内の山笠のこと。東流れ、大黒流れなど)がそれぞれの山小屋から約10kmの距離を流毎に一番から順にお汐井とりに筥崎宮前の海岸にやってくるのです。僕も小学生のころはおじいさんに連れられてお汐井とりに行っていたことを覚えています。

【お汐井とり後の5日間】

お汐井とり後は、流舁き、追い山ならし、集団山見せと段階を踏んでクライマックスの追い山に達します。その最初の日は10日。今年初めて「舁き山」が動く流舁きです。夕方の16時~18時にかけて、7流すべてが流ごとに、それぞれの流の区域内を舁き回ります。いよいよ男たちの血が騒ぎ始めますよ。
それから忘れてはならない行事がもうひとつあります。それは追善山です。「追善山」とは前年の山笠後に亡くなった方で町総代や取締を務め、流に貢献した人を追悼する山笠の行事です。男衆が故人への敬意を込めて遺族の方々に追悼するもので、博多ならでわの行事であり厳粛なものを感じます。

このような神聖なお祭りである博多祇園山笠。今年も勇壮な追い山がひとりの事故もなく行われることをお祈りします。
  



2012年07月02日

【飾り山の御神入れ】

櫛田神社での「御神入れ」の神事も終わり、いよいよ今日から博多の各場所で飾り山が公開されて山笠の本番シーズンとなりました。

『博多祇園山笠の開幕を翌日に控えた30日、福岡市博多区上川端町の櫛田神社(阿部憲之介宮司)で飾り付けを終えた飾り山笠に神様を招き入れる神事「御神(ごしん)入れ」があった。博多祇園山笠振興会(瀧田喜代三会長)の役員や各流(ながれ)の総務など約50人が参列し、この1年間の無事を祈願した。

 同神社の飾り山笠は、年間を通して公開。山笠開幕を前に新しい題材に飾り付けが替わる。

 今年は表の標題が「大刀一閃巴武勇(だいとういっせんともえのぶゆう)」。木曽義仲とともに源平合戦を戦い、美しさと武勇を誇った巴御前を描く。見送り(後方)は「古事記献上一三〇〇年日本曙(こじきけんじょうせんさんびゃくねんにほんのあけぼの)」。太安万侶(おおのやすまろ)が古事記を編さんして1300年となることを記念して、神々が高千穂に降り立った「天孫降臨(てんそんこうりん)」を題材にした。

 阿部宮司が祝詞を上げ、「切麻(きりぬさ)」と呼ばれる白い紙片をまくなどして、神事を執り行った。瀧田会長は「いよいよ祭りが開幕する。15日の追い山まで、行事の一つ一つが安全に奉納されるように努めたい」と話した。』(7月1日付西日本新聞)


【雨と山笠】

今年の梅雨はほぼ例年どおりの雨となっています。山笠とは、そもそも承天寺というお寺を開山した聖一国師が1241年に疫病退散を祈願し、施餓鬼棚に乗って町中を回ったのがその起源という通説があり、災害や疫病の発生しやすい時期にその防除を祈る祭りです。でも、雨の降り具合からすると今年はどうやら山笠で雨乞いをする必要はなさそうですね。

【これから15日間、博多は燃えますぞ!】

さあ、760年以上にわたって続いている神事、山笠のクライマックスの15日間。博多の男たちは日々テンションを高めていって、7月15日の追い山を迎えます。例年であれば、追い山が終わるとうっとうしかった(博多弁では「しろしかった」と言います)梅雨の空がカーッと晴れ上がって真夏がやってくるのですが、これからもしばらく梅雨空が続いて舁き山の男たちの汗を流してくれることでしょう。



【山笠のサイト紹介】

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。

1.「博多祇園山笠」~博多祇園山笠公式サイト

2.「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

3.「山笠の達人になろう2008」~CLUB九州 2008 山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。

4.「山笠があるけん博多たい」~中洲観光協会、中洲町連合会で、山笠のよもやま話が書いてあり一読の価値あり  



2012年04月04日

【一代限り見直し】

博多の屋台は本当に生き残れるのでしょうか?

『福岡市の屋台の将来像を探る「屋台との共生のあり方研究会」の鳥越俊太郎会長は3日、営業許可を「原則一代限り」とする規制を撤廃し、公募制導入などを盛り込んだ提言書を高島宗一郎市長に提出した。市は近く、屋台共生推進本部(仮称)を設置して屋台の実態調査やルール違反の是正に努め、提言を踏まえた「屋台条例」制定の検討を始める。

 提言書は、既存の屋台で廃業者が出て後継者を選ぶ場合や、市の指定地域で新規参入者を募集する場合に公募制を採用するよう要請。業者による後継指名は営業権の売買などの問題が起きる恐れがあるため認めず、公募で第三者を交えた審査をして新たな許可を認めることを求めた。

 一方、市には、屋台従業員対象の講習会実施などを要請。屋台の公益性を認めると共に、ルール違反者への罰則を定めた条例の制定も求めた。』(4月3日付毎日新聞)


【鍵を握るのは経営者】

そもそもなぜ屋台の営業許可が「原則一代限り」となったのでしょうか?それは排水や悪臭、歩道の違法占拠などの問題が表面化したのがきっかけで、福岡市が2000年に「屋台指導要領」を制定し、その中で営業権を原則一代限りとする規則を盛り込んだからです。そして今回、高島市長が観光資源としての屋台を見直すとの方針を打ち出し、「屋台との共生のあり方研究会」という外部専門家を含む諮問機関を作って「原則一代限り」の撤廃を提言するに至りました。

僕は時々博多・中洲の那珂川べりにある屋台街を昼間歩くことがあります。「原則一代限り」の規制が敷かれる前はどれほどひどかったのかわかりませんが、今でも悪臭はするし、決して屋台の設置される場所がきれいになっているとは言えないと思います。

条例を作って行政が観光資源として屋台をバックアップするのはいいことかもしれませんが、結局屋台が本当に市民から愛され、観光の目玉になるためには、やはり屋台の経営者が自ら「原則一代限り」となってしまった原因を突き詰めて自らの姿勢を糾すしかないと思います。その原点がなければ、行政の努力もいづれ水泡と帰してしまうのではないでしょうか。屋台も含めて博多をこよなく愛する博多っ子としては、鳥越さんの今回の提言も複雑な思いで見ています。  



2012年02月22日

【ナウ・マップの挑戦】

ニック社長の仕掛けがどんどん実を結んでいます。

『外国人観光客向けの無料の福岡市内マップ「ナウ・マップ」が4月、福岡市公式観光マップとしてリニューアルする。

 福岡在住の外国人向けフリーペーパー「フクオカ・ナウ」を発行している「フクオカ・ナウ」(福岡市中央区赤坂1)が2009年3月に創刊した同マップ。英語・韓国語・中国語・日本語の4カ国語表記だったが、英語と韓国語版、中国語版とそれぞれに分けて発行し見やすく改善する。

 天神・博多地区の28施設を外観写真付きで紹介し、銀聯(ぎんれん)カードの利用可否、免税対象施設か、などの情報も合わせて掲載。市内観光バス「ぐりーん」や水上バス、3月下旬より運行を開始する屋根なしの2階建てバス「フクオカオープントップバス」の情報も盛り込む。

 年2回の発行を予定しており、発行部数は計約40万部。観光案内所、ホテル、クルーズ船客へ配布するほか、英・韓版は韓国国内でも配布を予定。釜山港へ設置するほか、ソウル市内の旅行代理店が福岡旅行の申込者にチケットを送る際、マップを同封する。

 「福岡=港町をPRする表紙にした」と同社のニック・サーズ社長。A1判で「ポケットにも入る大きさ。より観光しやすくなれば」と話す。』(2月21日付みんなの経済新聞ネットワーク )


【外国人コミュニティの「顔」】

ニック・サーズ社長といえば、福岡に住む外国人の中では超有名人でしょう。ニックさんは、フクオカの町を外国人に多言語で紹介する試みをフリーペーパーという媒体を使って長年やってこられていたのですが、2008年ごろだったでしょうか、フリーペーパーの「フクオカ・ナウ」から「フクオカ・ナウマップ」というコンセプトを考え、福岡の紹介を多言語の地図で始めたのです。

その頃、僕にもそのアイデアを話してくれて、「外国人向けの英語や中国語といった言語で作られたマップは存在するけど、遊び心が足りなかったり、ひとつの言語だけで書かれていたりと何か物足りない。自分が外国人にもわかりやすいマップを作ろうと思っている。」と熱く語っていたのを思い出します。

それから3年近く、リーマンショック後は広告が集まらなかったり、昨年は東日本大震災による外国人観光客の激減などいろいろとご苦労されていたようですが、ようやく福岡に来る外国人にもその便利さが浸透して、どんどんと部数も増えていっているようです。これからもニック社長にはユニークなアイデアで福岡と外国を結ぶ架け橋になってくれるよう期待しています。  



2011年10月11日

【全焼】

博多の歴史的建造物のひとつが焼け落ちてしまいました。

『8日午後0時10分ごろ、福岡市博多区堅粕1の「石蔵酒造」の木造2階建て酒造場「博多百年蔵」から出火。消防車26台が出て消火活動にあたったが、建物の屋根付近から高さ数メートルの火柱を上げて炎上し、数十メートルの黒煙が立ち上った。けが人はない模様。

 同社関係者によると、出火当時、2階スペースで結婚披露宴があったが、出席者らは避難し無事だった。

 現場は県立福岡高校などに隣接し、周辺は避難した客や高校生、付近の住民らで騒然とした。披露宴に出席していた熊本市の会社員男性(35)は「宴が始まって約30分後に突然停電し、サイレンが鳴り響いた。まさかこんなことになるなんて」と驚いた様子だった。

 博多百年蔵は明治初期の建築で、築約140年の国の登録有形文化財。白壁土蔵に赤れんがの煙突で知られ、地酒の酒造のほか、コンサートや美術展などのイベントスペースとしても市民に親しまれていた。

 同社はJR博多駅から直線で約700メートル。国道3号に近く、マンションなどが並ぶ一角にある。』(10月8日付毎日新聞)

【歴史と風格】

博多百年蔵は、博多に残る唯一の造り酒屋『石蔵酒造』さんのホームページに紹介してあるように石蔵酒造の酒造場として石蔵利八正則が明治初頭に建築したもので、白壁土蔵に赤れんがの煙突など明治初期に建てられた時の面影を残し、昔ながらの造り酒屋として古き良き時代を今に伝えています。

隣には伝統ある福岡県立福岡高校があり、博多の伝統を感じさせる町並みでした。僕が高校の通っていた頃から、百年蔵のずっしりとした風格と佇まいに魅せられていたことが縁となって、数年前には英国人のピアニストによるコンサートを開かせていただいたこともありました。あのとき、コンサートの準備のために百年蔵の中に何度か入って打ち合わせをしたりしたことが懐かしく思い出されます。本当に明治時代にタイムスリップしたような雰囲気が心地よく、英国人ピアニストも日本の伝統ある蔵の中で演奏する機会に恵まれたことに感謝していました。

その百年蔵が全焼した。悲しい思いで一杯です。もうあの蔵の姿を見ることができないなんて本当に残念でなりません。石蔵酒造さんは今は大変だと思いますが、百年蔵は石蔵酒造さんの「顔」でもあるわけですから、この不幸な出来事から立ち直るためにも是非再建に向けての歩みを進めてほしいと思います。そのときは博多っ子のひとりとして何かお手伝いできればと思います。
  



2011年07月15日

【追い山でフィナーレ】

今年も恒例の追い山が7月15日4時59分に櫛田神社からスタートしました。残念ながら今回は見学に行けなかったので、12日の追い山ならしに外国人留学生を連れて見に行きました。全員で10名。インドネシア、中国、アメリカから来た留学生たちと一緒に炎天下の博多の町を山とともに走り抜けました。

なかでも留学生たちが大喜びだったのは山の前に走る子供たち。炎天下の中でも元気いっぱいの子供たちの歓声は「ニッポンって素晴らしい」と留学生たちを印象付けるのに十分すぎるほど爽やかなものでした。

旧東町筋では、「水かけて!」という大勢の子供たちに沿道の大人たちが「勢い水」をかけてあげていました。そのたびに「ワー、キャー」「気持ちいい~」という歓声がこだまします。

この子供たちの底抜けの笑顔には本当に救われます。東日本大震災、そして福島第一原発で被災した多くの子供たちにもこの笑顔を取り戻してあげたい、そう心から思いました。

【明日の希望は子供たちから】

巷では連日東日本大震災後4カ月を経ても未だに復興が進まず打ちひしがれる被災地の様子や、収束するどころかますます拡大している福島第一原発の核惨事による放射能汚染などがテレビで放送されています。

博多の町では、山笠期間中は特にそんな悲惨な東北の状況を忘れるくらいいつも通りの祭りの風景がありました。でも目を博多の地以外に転じれば、昨年とはまったく違った光景や人々の表情があります。それはあまりにも悲惨で、あまりにも希望が見えないニッポンの姿です。

そんな中でも少しずつでありますが、東北の各地に子供たちの笑顔が戻ってきたというニュースも混じるようになりました。先日は北九州の国際交流をしているNPO団体・ロシナンテスが東北の被災地で運動会を開催し、スーダンから連れてきた子供たちと被災地の子供たちの交流を実施したとの報道がありました。そこには笑顔を取り戻した子供たちの姿がありました。

なにか博多が被災地に向けて出来ることがあるとしたら、この子供たちの笑顔を届けること、子供たちを博多から元気にすることではないかと山笠のお祭りを見ながら考えさせられました。

≪参考≫

・「炎熱の追い山ならし見学記」・・・2011年7月12日の僕の旅行記
  



2011年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。
櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取ろうかと考えています。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※


  (※はやし言葉繰り返し)
  
というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。  



2011年07月13日

【「集団山見せ」ってなに?】

山笠は商人の町博多のお祭りです。

なに?新幹線で降りたらJR博多駅。でも都市名は福岡市。一体どうなっているの?

そう、明治時代に福岡にするか博多にするか迷ったそうですが、最終的に政令指定都市としての公の都市名は福岡市となりました。というのは、昔は、那珂川を挟んで、東が商人の町博多、西側が武士の町、黒田52万石の城下町、福岡だったのです。
その福岡と博多の違いを踏まえて「集団山見せ」とは何かご紹介します。

「集団山見せ」とは、昭和37年に福岡市が「より多くの人たちに山笠の楽しさを」と要請して始まった行事で、博多の祭りの山笠を福岡の人達にも見せる為、たった1度、山笠が那珂川を越えて福岡に入ることを言います。

【博多と福岡の違い】

僕は博多の生まれなので、博多っ子であることに誇りを持っています。生まれは自分では選択できないので、たまたま自分は博多っ子になった、ただそれだけなのですが、特に山笠の時期になるとなんとなく博多の血が騒ぐのです。

僕の通った高校は長谷川法世さんの漫画「博多っ子純情」のモデルになっている学校ですが、そこは商人の子供が多く呉服町の呉服商の息子や博多人形師の息子などがいました。そして山笠の時期になると、学校も心得ていて山笠に出るといえば何と学校を休むこともできたのです!

そういうわけで博多は商人の魂が生きている、それは庶民の町でもあります。さらに言えば反骨精神、官に物申す心意気、自由で奔放な気風など庶民のイメージぴったりです。それに比べて福岡は武士の町でもあり、何か型にはまった、時にはいばったような、「お上」のイメージが付きまといます。

【集団山見せ再考】

「集団山見せ」も行事としてはいいことだとは思いますが、どうもよく考えると「お上」である福岡の市役所に博多の商人が年に一度ご挨拶にお伺いするような、博多っ子からすると「なしてお上に挨拶せないかんとや」とも言いたくなります。

まあ、いいか。そこはおおらかに「お上」の要請に応えて挨拶にいっちゃろうというところですか。寛大でしょ、博多っ子は。  



2011年07月12日

【追い山に向けた足慣らし】

本日、7月12日にはいよいよ15日の追い山に向けた本番さながらの足慣らしである「追い山ならし」があります。

「追い山ならし」は12日の午後3時59分に、一番山の「櫛田入り」で始まります。今年の一番山は西流です。昼間ではありますが、走る距離が1キロ短い以外は「追い山笠」と同じ条件ですので、祭り気分はグーンと盛り上がります。

【テンション高まる舁き手たち】

僕は実際には山笠を舁いた(担いだ)ことはありませんが、経験のある友人に尋ねるとこの追い山ならしのころから舁き手たちのテンションは15日の追い山に向けてどんどん高まっていくようです。
もちろんこの期間も含めて山笠期間中は女性からも遠ざかってひたすら自分たちの流れの山が無事に、最も勇壮に走れるように猛々しいエネルギーのすべてを山笠ひとつに注いでいくのです。

【早朝の追い山が見れない人は「追い山ならし」見学がオススメ】

その舁き手たちの勇壮な姿を見る観客の方ですが、実際の追い山は15日の早朝4時59分がスタートなので朝が弱いけれど追い山の雰囲気を味わいたいという方はこの「追い山ならし」が狙い目です。

ただし、はやり本当の迫力を味わうためには本番の15日に行くしかありません。今年は15日は金曜日で大方の人は出勤前の追い山見物ということになりますが、一度見る価値は十分あります。みんな一度見に行きませんか?(今年は15日の追い山ではなく、追い山ならしに外国人留学生を連れて行く予定にしています)
  



2011年07月09日

今日から一週間は僕のブログは山笠一色になります。山笠以外の話題は一週間お休みをいただきますのでご了承ください。そして「じゃ見るまいか」とおっしゃらずに博多山笠をよく知る週間と考えてお付き合いください。

【博多の夏-博多祇園山笠】

いよいよ夏本番! 博多の男たちの血をたぎらせる博多祇園山笠のカウントダウンが近づいてきました。7月に入ってからの山笠の日程はというと、1日の飾り山公開に始まって、15日の追い山で幕を閉じます。

7月1日(金)  飾り山一般公開(14日夜まで) 夕方 お汐井取り(当番町)

※「雨の中の追い山見学―2010年博多祇園山笠」


7月9日(土)  夕方 お汐井取り(全流)

7月10日(日)  夕方 流舁き・流区域内

7月11日(月)  早朝 朝山・流区域内 午後 他流舁き・流区域外

7月12日(火)  追い山ならし(追い山リハーサル) 15時59分 舁きだし

7月13日(水)  集団山見せ 15時30分 (呉服町→明治通り→市役所)

7月14日(木)  夕方 流舁き・流区域内

7月15日(金)  追い山笠 4時59分 舁きだし

※「凛々しい祭りー追い山」(2006年の追い山ツアー記録)

一年間、男たちが待ちに待った山笠の興奮がこの15日間の行事を通して徐々に高まってくるのです。

【7月9日のお汐井とり-神事での始まり】

博多祇園山笠は760年近く続く博多の神事です。その中でも神事らしい神事のひとつとしてこの「お汐井とり」があります。お汐井とは、海岸の砂のことで、博多湾に面した筥崎宮というお宮の海岸の真砂をお汐井てぼ(竹かご)に納めて各戸の玄関口に置き、「災いを除き、福を招く」お祓いとして身を清めるために使われるものです。

博多祇園山笠では、山笠を舁く前に身を清めるために各町内の流(「ながれ」という。各町内の山笠のこと。東流れ、大黒流れなど)がそれぞれの山小屋から約10kmの距離を流毎に一番から順にお汐井とりに筥崎宮前の海岸にやってくるのです。僕も小学生のころはおじいさんに連れられてお汐井とりに行っていたことを覚えています。

【お汐井とり後の5日間】

お汐井とり後は、流舁き、追い山ならし、集団山見せと段階を踏んでクライマックスの追い山に達します。その最初の日は10日。今年初めて「舁き山」が動く流舁きです。夕方の16時~18時にかけて、7流すべてが流ごとに、それぞれの流の区域内を舁き回ります。いよいよ男たちの血が騒ぎ始めますよ。

それから忘れてはならない行事がもうひとつあります。それは追善山です。「追善山」とは前年の山笠後に亡くなった方で町総代や取締を務め、流に貢献した人を追悼する山笠の行事です。男衆が故人への敬意を込めて遺族の方々に追悼するもので、博多ならでわの行事であり厳粛なものを感じます。

このような神聖なお祭りである博多祇園山笠。今年も勇壮な追い山がひとりの事故もなく行われることをお祈りします。


≪山笠のサイト紹介≫

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。

~役に立つ山笠紹介サイト~

「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

「山笠の達人になろう」~CLUB九州 2009山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。

「山笠があるけん博多たい」~中洲観光協会、中洲町連合会で、山笠のよもやま話が書いてあり一読の価値あり
  



2011年07月08日

【長谷川法世の世界】

皆さん、長谷川法世っていう漫画家をご存知でしょうか。博多の人はよく知っていると思いますが博多以外の人にはあまり知られていないのかもしれません。でも以前に博多山笠を題材にしたNHK朝の連続ドラマの原作を書いた人と言えば少しはピンと来るかもしれませんね。

【博多っ子純情】

その長谷川法世が世に出した最も有名な漫画が「博多っ子純情」ですが、西日本新聞社からその復刻版が数年前に出ていて中学生編の第一冊目から序徐々に買い揃えています。直近のは6冊目かな。(実はこれ以降は発刊されていないようですが)

この漫画に出てくる主人公の六平を見ていると、自分も同じような失敗をしていたことを思い出し、おもわず「ぷっ」とふきだしてしまいます。なんか、博多もんのおおざっぱでおおらかで、元気なところをよく描き出しているのです。

【ふるさとを大切に思うこころ】

僕はこの主人公と同じく、博多山笠がスタートする櫛田神社という神社のすぐ近くで生まれ育ちましたので、よく六平の心情がわかるのです。そして読み進めていると、じーんと胸が熱くなることがある。

「ああ、ふるさとてよかね~。」という思いです。

博多に生まれ育って、今は博多から遠く離れて暮らしておられる博多っ子の皆さん、それから博多っ子ではなくても博多のファンのみなさん、なつかしくなったり、博多の元気がほしいとおもったら「博多っ子純情」を読まれるか、この「博多っ子の元気通信」を読んでください。きっとふるさとが暖かく迎えてくれますよ。


そしてこのマンガの原作者である長谷川法世さんも、今は千葉から博多に戻ってきておられますよ。  


2011年07月01日

【飾り山のお披露目】

さあ、いよいよ博多の各場所で飾り山が公開されて山笠の本番シーズンとなりました。写真はそのひとつ、博多駅商店連合会がスポンサーになっている飾り山で、舁き山はありません。今年は表の標題が「大阪夏の陣」で、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の主役、信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれた三姉妹の末娘・江の運命を変えることになった大阪夏の陣の壮絶な戦いを巧みに表現しています。見送りは国民的人気アニメ「ワンピース」。博多人形師は生野四郎さん(68)です。今年3月に開業したJR博多シティ博多の真新しい駅前広場に聳え立つ飾り山が新しい博多の玄関口を一層際立たせています。

【雨と山笠】

今年は昨年と打って変わって長くて雨量の多い梅雨となりました。山笠とは、そもそも承天寺というお寺を開山した聖一国師が1241年に疫病退散を祈願し、施餓鬼棚に乗って町中を回ったのがその起源という通説があり、災害や疫病の発生しやすい時期にその防除を祈る祭りなのです。今年はどうやら山笠で雨乞いをする必要はなさそうですね。

【これから15日間、博多は燃えますぞ!】

さあ、760年以上にわたって続いている神事、山笠のクライマックスの15日間。博多の男たちは日々テンションを高めていって、7月15日の追い山を迎えます。例年であれば、追い山が終わるとうっとうしかった(博多弁では「しろしかった」と言います)梅雨の空がカーッと晴れ上がって真夏がやってくるのですが、これからもしばらく梅雨空が続いて舁き山の男たちの汗を流してくれることでしょう。


【山笠のサイト紹介】

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。


1.「博多祇園山笠」~博多祇園山笠公式サイト

2.「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

3.「山笠の達人になろう2008」~CLUB九州 2008 山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。

4.「山笠があるけん博多たい」~中洲観光協会、中洲町連合会で、山笠のよもやま話が書いてあり一読の価値あり
  




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