2011年06月02日

【山笠シーズン・スタート】

「博多祇園山笠」といえば全国的にもよく知られた博多の夏の風物詩ですが、このお祭り、国の重要民俗文化財に指定されている700年あまりの歴史と伝統のある博多の「神事」です。実際の山笠の期間は毎年7月1日から7月15日までの15日間なのですが、その準備は1ヶ月前の6月1日から始まります。

特に今年はクライマックスの「追い山」が行われる最終日の7月15日は金曜日に当るため、追い山を見て直ぐに職場に戻らないといけないので、大変ですが博多っ子にとってそんなことは些細な問題です。山笠があったら仕事二の次!!! それが博多っ子の心意気ったい!!

【恒例の棒洗いで始まり】

地元紙の西日本新聞には、6月に入ってからは山笠に関するニュースがぼちぼち出始め、同社のホームページにある「博多祇園山笠」のページに毎日記事が追加されていきます。地元紙ならではの応援体制ですね。その6月始めの記事として6月1日に恒例の「棒洗い」が掲載されました。

『福博に夏の到来を告げる博多祇園山笠(7月1-15日)の準備が1日、本格的に始まった。「当番法被」の着用が認められるようになり、八番山笠・上川端通は舁(か)き棒を海水で洗い清める神事「棒洗い」を他の流(ながれ)に先駆けて行った。

 神事は午前8時半から福岡市博多区築港本町の櫛田神社浜宮で行われた。神職がおはらいをした後、男衆約20人が長さ7・3メートル、重さ約80キロの舁き棒6本に海水をかけ、たわしで磨いてほこりを落とした。

 八番山笠・上川端通を運営する上川端商店街振興組合は、東日本大震災で被災した仙台市の商店街と交流があり、帆足直之総務(63)は「山笠に向かって心を一つにし、被災した方に熱い思いを届けたい」と話した。』(6月1日付西日本新聞)

※写真は西日本新聞に掲載された舁き棒に勢いよく水をかけて洗い清める男衆=1日午前8時半すぎ、福岡市博多区築港本町の櫛田神社浜宮

【「お祭り国家」日本が世界をリードする】

以前、日下公人氏と伊藤洋一氏の共著「上品で美しい国家-日本人の伝統と美意識」(2006/5/8第一刷発行 ビジネス社)を読んでいたら日本の活力の源泉はお祭りにあるとの説をお二人が唱えておられました。

そして驚いたことに日本のようなお祭りは中国にも朝鮮にもないそうです。昔は両国ともあったのですが、中国では共産党が民衆の反乱防止のため禁止し、朝鮮では李王朝が同じ理由で禁止したとのことです。

日本は北東アジアでは例外的にお祭り好きで、お祭りによって世代や職業などを超えた結束を促し、日ごろのストレスを解消し、さらには山笠やだんじり祭りのように一瞬の油断が事故につながるような行事では事故を起こさないために入念な段取りを行うなど様々な効用があります。

祭りのプロセスそのものが、集団でひとつのことをなしとげるという日本の文化や伝統を形作っている。博多祇園山笠も博多が博多であることのアイデンティティのような感じがします。

お祭り国家日本、お祭りの町「博多」、これからも世界をリードしていく元気の源としてお祭りの伝統を大事にしていきたいですね。  



2011年05月29日

【故郷・博多でのコンサート】

土曜日の夜、博多祇園山笠の起源を作ったとされる禅僧・聖一国師が8世紀後半に開いた禅寺・承天寺であったある若手音楽家のコンサートに行ってきました。承天寺の仏殿の前に広がる玄界灘を模した枯山水の石庭はこの日のためにライトアップされ、青く光る砂と新緑の木々が幻想的な雰囲気を醸し出していました。その石庭を前に本堂を開放して作られたステージで300人近い観客を前に演奏したのは、癒しの曲を次々と披露する地元博多の音楽家、旅人さん(29)。

今回のコンサートは、もともとは聖一国師の生まれた静岡県で旅人さんが聖一国師の生涯をテーマに作曲した「遥かなる道」を3月19日に発表する予定だったコンサートなのですが、あの東日本大震災で不可能となり、それを聞いた承天寺の住職さんが場所を提供したものでした。なんという縁(えにし)。しかも今年は承天寺開山770年という節目でもあるのです。

降りしきる雨の音の中を静かに流れる旅人さんの曲の数々。フルート奏者であるお姉さん・大塚茜さんのフルートや弦楽四重奏者のバイオリン、エレキギターリストのギター、ヴィオラ、チェロ、クラリネット等の奏でる美しく、時には激しい音色とともに、旅人さんの優しいピアノ演奏は、博多の古き良きお寺さんである承天寺の幻想的な雰囲気と相俟って、観客である僕たちをまさに旅人さんの音楽世界に導き、癒してくれました。旅人さんはこの日のために東日本大震災という大災害に苦しむ東北の方々を励ますために作ったと言う「ニューワールド」という曲も披露してくれましたが、きっとそれらの癒しの曲の数々は東北の方々の心を癒し、励ましてくれるものと信じます。

【不思議な絆】

それにしても今回の旅人さんのコンサートにはいろいろな意味で不思議な絆を感じました。そのひとつは、静岡と博多の絆。それは東日本大震災という未曾有の災害が聖一国師でつながっていた静岡と博多の絆を、770年の時を超えて蘇らせてくれたこと。これほどの国難ともいうべき大災害のときには、人を信じたり、人を助けたりすることの大切さを説く聖一国師のような聖者の存在は人々にとって大切な癒しだと思います。

そしてもうひとつは人と人の絆です。実は旅人さんのご両親は僕の母校である御供所小学校(今では廃校となっている承天寺近くにあった小学校)の同級生なのです。もう何年か前に数十年ぶりにお母さんと再会し、僕自身は大塚茜さんと旅人さんという素晴らしい音楽家に育った子供さんのお話を聞いたり、3年前には同じ承天寺での2人のコンサートの運営に地域貢献として関わったこともありました。でも今回のコンサートのことは全く知らずにいたのに、それらの事情をあまり知らなかった家内が旅人さんの新聞記事を見て「もしや数年前に会ったあのお母さんの息子さんでは」と僕に知らせてくれて初めてコンサートの存在を知ったのです。

人が人を思い、その思いをつないでいく。きっとそういう何気ない日常の営みが人と人の絆を作り、新しい出会いや懐かしい出会いをつないでいくのだということを改めて思いました。今回のコンサートで旅人さんが思いを馳せた聖一国師や東日本大震災で被災された東北の方々も時空を超えた太い「絆」でつながっていると信じています。旅人さん、茜さん、そしてご両親やコンサート関係者の方々、こういう機会を作っていただきありがとうございました。

※それにしてもコンサートで住職が話された承天寺にまつわるいくつかのエピソードは非常に興味深いものでしたが、その中でも「御供所(ごくしょ)」というのは「箱崎宮へお供えをする御供所(おそなえどころ)」というのが起源だというお話は目からうろこというか、びっくりでした。この歳になって初めて故郷の町の由来を知るなんて、恥ずかしい。

≪参考≫

・「聖一国師の曲 初披露」・・・2011年5月10日付西日本新聞の記事

・「旅人」のオフィシャルサイト

「大塚 茜」のオフィシャルサイト

・「旅人コンサート」を掲載した御供所町のオフィシャルサイト
  



2011年03月04日

【ついにオープン!】

博多駅がついに3月3日、新装オープンしました。

『新しい博多駅ビル「JR博多シティ」(福岡市)が3日、本格開業した。開店に先立つ記念式典で、JR九州の唐池恒二社長らがテープカット。「国内最大の商業駅ビル」とうたう施設の門出を祝った。

 式典は午前8時40分、百貨店「博多阪急」前で始まり、駅前広場に模造の桜吹雪が舞った。唐池社長は「テナントは日本一の顔ぶれになった。愛される街に育つよう力を尽くし、九州、西日本、アジアを見据えた情報発信基地をつくりたい」とあいさつした。

 この日は小雨の中、開店前には約1100人が並び、1時間早めて午前9時にオープン。午後9時までの通常営業(レストラン街など一部を除く)が始まるため、プレオープンした2日の約18万5000人より多い人出が見込まれる。

 JR博多シティは1889年の鉄道開業時に完成した初代駅舎から数えて4代目となる。12日には九州新幹線が全線開業し、山陽新幹線と直通運転する。九州内だけでなく、中国、関西地区との所要時間が短縮され、より広域からの集客を目指している。』(3月3日付毎日新聞)


【博多の新しい顔】

新装オープンした3日の昼休み、韓国の留学生と一緒に新装なった博多駅の専門店街アミュプラザを歩いてみました。JR九州が社運を賭けて開業しただけあって来訪者を喜ばせる様々な仕掛けがしてありました。そのひとつが屋上の「つばめの杜ひろば」。旅の安全を祈願する鉄道神社やその参道沿いのお店、つばめ電車に展望台と若い人たちの新しいデートコースにも、家族連れのお楽しみにも、サラリーマンのお昼のお楽しみにも使えそうな楽しいスペースが広がっていました。その展望台から観た博多の町も素晴らしい眺めでした。

そもそも福岡市の表玄関のひとつ、JRの駅名が「福岡駅」ではなく「博多駅」となっている由来を知っている人は博多ではモグリですが(笑)、他県から来た人は知らないことが多いのではないでしょうか。

福岡とは江戸時代に黒田藩が封ぜられ福岡城を中心に栄えた武家の町であるのに対し、博多とは古代から大宰府の外港として栄えた町人の町だったのです。しかし、明治22年4月「市制及び町村制」の公布に基づき、県令により博多・福岡をまとめて「福岡市」として市制施行することとなり、九州鉄道の駅名を「博多」とすることにより市名議論の決着を図ろうとしたことが現在の「JR博多駅」の由来なのです。最近では、どちらかというとかつての武士の町・福岡地区、すなわち天神地区等のほうが栄えて、博多地区のほうがかつての賑わいを失いつつあると言われていました。そういう博多地区の劣勢をJR博多駅が挽回する起爆剤になってほしいと僕ら博多っ子は密かに期待しているのです。

JR博多駅の新装オープンが、歴史と伝統と市民の町、博多に賑わいを取り戻すキッカケになってほしいものです。  



2010年07月15日

【大荒れの天気の中、博多一番!】

今年の7月15日は昨年の抜けるような快晴とは一転して土砂降りの雨の中での追い山ツアーとなりました。

そんな中、例年どおり参加者を募って「追い山見学ツアー」を実施しました。今回は福岡在住の留学生中心に集まってもらったのですが、昨年と同じくブログやmixiを見た高校の先生や台湾留学生などの参加者があったり、ブログつながりの高校の大先輩が再度参加されたりと総勢15人とそこそこちょうどいい規模になりました。留学生は国籍は韓国、中国、セネガル、大学は九大、日本経済大学、福岡大学、福岡国際大学など多彩な顔ぶれでした。さらに嬉しいことには昨年も参加されたオーストラリア在住の日本語教師の方も再度来ていただき写真を撮ってもらいました。

早朝4時25分、博多駅前の飾り山前に集合して全員でいざ出陣。途中ではぐれたら、そこからは自分で見学してくださいと事前に説明した上で、まさに追い山を「追っかけて」回るツアーの開始です。

【勇壮な追い山の男たちと鎮め能】

今年の一番山は中洲流、そして二番は西流でした。いつもの通り、承天寺付近から見学し、旧東町筋を走って行きましたが、一番山・二番山のときは大雨で見物客も昨年よりは少なく感じました。しかし、土砂降りの雨にもかかわらず、狭い通りを走り抜ける男たちと舁き山の勇壮さには惚れ惚れします。そして各流れの前を走る子供たちの凛々しい姿も早朝の博多の町にぴったりとはまっていました。

今回も終点の須崎の廻り止め方面には行かず、呉服町から旧西町筋に抜け、櫛田神社に戻りました。というのは、舁き山がすべて出払った後の午前6時から櫛田神社の能舞台で行われる「鎮め能」を見たかったからです。

「鎮め能」は追い山の櫛田入りが終わり、山笠でわさわさとざわついていた社頭を鎮め、御神霊を慰めるために行われる伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。なんと寛文8年(1668年)から黒田藩ゆかりの喜多流梅津社中の方々で奉納されていて、昔は博多七流の輪番制だったそうですが、大正のころからは福神流の当番制で行われていたものの、戦時中に能装束道具等が焼失したため、今は袴能として行われています。翁・高砂・船弁慶と三つの囃子が演目としてありましたが二つだけ鑑賞して御供所町に移動しました。

舞囃子の能舞台は厳粛な雰囲気で、確かにざわついていた境内が静まり、神様も無事山笠が終了したことを喜んでおられるような気分にさせてくれました。

【反省と感謝】

鎮め能を鑑賞した後は、御供所町(ごくしょまち)に歩いて移動し、先日東流の委員をされておられる方にお願いしていた「直会(なおらい)」を見に行きました。しかしながら到着したときは未だ全員で後片づけをされている最中で、とても見学を許すような雰囲気ではありませんでした。というのも今年は東流は7番目だったので、昨年見学させていただいたときよりもずっと後に「なおらい」が始まるのです。

それとは知らずに後片付けに忙しい中を「見学」などしようとした自分を少し反省しました。東流のみなさん、失礼いたしました。というわけで、直会はまた機会があれば見学させていただくことにして、その場を去り、近くの喫茶店でみんなで休憩をして解散しました。

梅雨明け前のドカ雨も無事乗り越えて、今年も2010年の追い山を追える(終える)ことが出来ました。追い山見学ツアー参加者のみなさん、どうもお疲れ様でした。また明日から元気で頑張りましょう!!!
  



2010年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。

櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取ろうかと考えています。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※

  (※はやし言葉繰り返し)
 
 
というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。

  


2010年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。

櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取ろうかと考えています。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※

  (※はやし言葉繰り返し)
 
 
というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。

  


2010年07月13日

【「集団山見せ」ってなに?】

山笠は商人の町博多のお祭りです。

なに?新幹線で降りたらJR博多駅。でも都市名は福岡市。一体どうなっているの?

そう、明治時代に福岡にするか博多にするか迷ったそうですが、最終的に政令指定都市としての公の都市名は福岡市となりました。というのは、昔は、那珂川を挟んで、東が商人の町博多、西側が武士の町、黒田52万石の城下町、福岡だったのです。
その福岡と博多の違いを踏まえて「集団山見せ」とは何かご紹介します。

「集団山見せ」とは、昭和37年に福岡市が「より多くの人たちに山笠の楽しさを」と要請して始まった行事で、博多の祭りの山笠を福岡の人達にも見せる為、たった1度、山笠が那珂川を越えて福岡に入ることを言います。

【博多と福岡の違い】

僕は博多の生まれなので、博多っ子であることに誇りを持っています。生まれは自分では選択できないので、たまたま自分は博多っ子になった、ただそれだけなのですが、特に山笠の時期になるとなんとなく博多の血が騒ぐのです。

僕の通った高校は長谷川法世さんの漫画「博多っ子純情」のモデルになっている学校ですが、そこは商人の子供が多く呉服町の呉服商の息子や博多人形師の息子などがいました。そして山笠の時期になると、学校も心得ていて山笠に出るといえば何と学校を休むこともできたのです!

そういうわけで博多は商人の魂が生きている、それは庶民の町でもあります。さらに言えば反骨精神、官に物申す心意気、自由で奔放な気風など庶民のイメージぴったりです。それに比べて福岡は武士の町でもあり、何か型にはまった、時にはいばったような、「お上」のイメージが付きまといます。

【集団山見せ再考】

「集団山見せ」も行事としてはいいことだとは思いますが、どうもよく考えると「お上」である福岡の市役所に博多の商人が年に一度ご挨拶にお伺いするような、博多っ子からすると「なしてお上に挨拶せないかんとや」とも言いたくなります。

まあ、いいか。そこはおおらかに「お上」の要請に応えて挨拶にいっちゃろうというところですか。寛大でしょ、博多っ子は。  


2010年07月12日

【追い山に向けた足慣らし】

本日、7月12日にはいよいよ15日の追い山に向けた本番さながらの足慣らしである「追い山ならし」があります。

「追い山ならし」は12日の午後3時59分に、一番山の「櫛田入り」で始まります。今年の一番山は中洲流れです。昼間ではありますが、走る距離が1キロ短い以外は「追い山笠」と同じ条件ですので、祭り気分はグーンと盛り上がります。

【テンション高まる舁き手たち】

僕は実際には山笠を舁いた(担いだ)ことはありませんが、経験のある友人に尋ねるとこの追い山ならしのころから舁き手たちのテンションは15日の追い山に向けてどんどん高まっていくようです。
もちろんこの期間も含めて山笠期間中は女性からも遠ざかってひたすら自分たちの流れの山が無事に、最も勇壮に走れるように猛々しいエネルギーのすべてを山笠ひとつに注いでいくのです。

【早朝の追い山が見れない人は「追い山ならし」見学がオススメ】

その舁き手たちの勇壮な姿を見る観客の方ですが、実際の追い山は15日の早朝4時59分がスタートなので朝が弱いけれど追い山の雰囲気を味わいたいという方はこの「追い山ならし」が狙い目です。

ただし、はやり本当の迫力を味わうためには本番の15日に行くしかありません。今年は15日は木曜日で大方の人は出勤前の追い山見物ということになりますが、一度見る価値は十分あります。みんな一度見に行きませんか?

  


2010年07月09日

今日から一週間は僕のブログは山笠一色になります。山笠以外の話題は一週間お休みをいただきますのでご了承ください。そして「じゃ見るまいか」とおっしゃらずに博多山笠をよく知る週間と考えてお付き合いください。

【博多の夏-博多祇園山笠】

いよいよ夏本番! 博多の男たちの血をたぎらせる博多祇園山笠のカウントダウンが近づいてきました。7月に入ってからの山笠の日程はというと、1日の飾り山公開に始まって、15日の追い山で幕を閉じます。

7月1日(木)  飾り山一般公開(14日夜まで) 夕方 お汐井取り(当番町)

※「今年も燃えましたー追い山見学ツアー2009」


7月9日(金)  夕方 お汐井取り(全流)

7月10日(土)  夕方 流舁き・流区域内

7月11日(日)  早朝 朝山・流区域内 午後 他流舁き・流区域外

7月12日(月)  追い山ならし(追い山リハーサル) 15時59分 舁きだし

7月13日(火)  集団山見せ 15時30分 (呉服町→明治通り→市役所)

7月14日(水)  夕方 流舁き・流区域内

7月15日(木)  追い山笠 4時59分 舁きだし

※「凛々しい祭りー追い山」(2006年の追い山ツアー記録)

一年間、男たちが待ちに待った山笠の興奮がこの15日間の行事を通して徐々に高まってくるのです。

【7月9日のお汐井とり-神事での始まり】

博多祇園山笠は760年近く続く博多の神事です。その中でも神事らしい神事のひとつとしてこの「お汐井とり」があります。お汐井とは、海岸の砂のことで、博多湾に面した筥崎宮というお宮の海岸の真砂をお汐井てぼ(竹かご)に納めて各戸の玄関口に置き、「災いを除き、福を招く」お祓いとして身を清めるために使われるものです。

博多祇園山笠では、山笠を舁く前に身を清めるために各町内の流(「ながれ」という。各町内の山笠のこと。東流れ、大黒流れなど)がそれぞれの山小屋から約10kmの距離を流毎に一番から順にお汐井とりに筥崎宮前の海岸にやってくるのです。僕も小学生のころはおじいさんに連れられてお汐井とりに行っていたことを覚えています。

【お汐井とり後の5日間】

お汐井とり後は、流舁き、追い山ならし、集団山見せと段階を踏んでクライマックスの追い山に達します。その最初の日は10日。今年初めて「舁き山」が動く流舁きです。夕方の16時~18時にかけて、7流すべてが流ごとに、それぞれの流の区域内を舁き回ります。いよいよ男たちの血が騒ぎ始めますよ。

それから忘れてはならない行事がもうひとつあります。それは追善山です。「追善山」とは前年の山笠後に亡くなった方で町総代や取締を務め、流に貢献した人を追悼する山笠の行事です。男衆が故人への敬意を込めて遺族の方々に追悼するもので、博多ならでわの行事であり厳粛なものを感じます。

このような神聖なお祭りである博多祇園山笠。今年も勇壮な追い山がひとりの事故もなく行われることをお祈りします。


≪山笠のサイト紹介≫

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。

~役に立つ山笠紹介サイト~

「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

「山笠の達人になろう」~CLUB九州 2009山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。

「山笠があるけん博多たい」~中洲観光協会、中洲町連合会で、山笠のよもやま話が書いてあり一読の価値あり
  


2010年07月08日

【長谷川法世の世界】

皆さん、長谷川法世っていう漫画家をご存知でしょうか。博多の人はよく知っていると思いますが博多以外の人にはあまり知られていないのかもしれません。でも以前に博多山笠を題材にしたNHK朝の連続ドラマの原作を書いた人と言えば少しはピンと来るかもしれませんね。



【博多っ子純情】

その長谷川法世が世に出した最も有名な漫画が「博多っ子純情」ですが、最近西日本新聞社からその復刻版が数年前に出ていて中学生編の第一冊目から序徐々に買い揃えています。直近のは6冊目かな。(実はこれ以降は発刊されていないようですが)

この漫画に出てくる主人公の六平を見ていると、自分も同じような失敗をしていたことを思い出し、おもわず「ぷっ」とふきだしてしまいます。
なんか、博多もんのおおざっぱでおおらかで、元気なところをよく描き出しているのです。

【ふるさとを大切に思うこころ】

僕はこの主人公と同じく、博多山笠がスタートする櫛田神社という神社のすぐ近くで生まれ育ちましたので、よく六平の心情がわかるのです。そして読み進めていると、じーんと胸が熱くなることがある。

「ああ、ふるさとてよかね~。」という思いです。

博多に生まれ育って、今は博多から遠く離れて暮らしておられる博多っ子の皆さん、それから博多っ子ではなくても博多のファンのみなさん、なつかしくなったり、博多の元気がほしいとおもったら「博多っ子純情」を読まれるか、この「博多っ子の元気通信」を読んでください。きっとふるさとが暖かく迎えてくれますよ。

そしてこのマンガの原作者である長谷川法世さんも、今は千葉から博多に戻ってきておられますよ。

  



2010年07月05日

【ミュージアム開館】

いよいよ開館しました。

『プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長の野球人生を振り返る「王貞治ベースボールミュージアム」が3日、福岡市中央区のヤフードーム内にオープンし、開館直後から大勢のファンでにぎわった。

 約2200平方メートルのミュージアムは、王会長の人生をたどる「歴史館」や世界記録樹立をたたえる「記録館」、プロ投手の球速を体感できる「89(やきゅう)スタジオ」に分かれ、写真や現役時代のバットなど約600点を展示している。歴史館には昭和の街並みや生家の中華料理店も再現し、王会長の少年期やプロ選手として活躍した時代を追体験できる。

 開館の式典で球団の孫正義オーナーは「王さんのホームランに沸き上がった、あの夢にあふれた時代を思いだしてほしい」とあいさつ。王会長は「ぜひ親子連れで来ていただいて、何かにチャレンジすることの大切さを共感してもらいたい」と期待を込めた。』(7月3日付産経新聞)


【福岡の名所に】

王さんの偉業は現役時代のホームラン王としての大記録だけではありません。現役引退後は、1995年にダイエーホークスの監督として福岡に来られ、その間にホークスを2度日本一(1999年と2003年)に導き、2000年にはリーグ優勝も果たしました。

さらには、2006年3月開催の「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック」日本代表チーム監督に就任し、3月21日の決勝戦でキューバを10-6で破り、日本を初代チャンピオン(世界一)へと導き、選手・監督として名実共に「世界の王」となったのはみなさん御存じのとおりです。

その「世界の王」が福岡・博多の地にこれほど長くとどまって、この地にとってかけがえのない方になるとはダイエー監督として来られた当時は誰も想像だにしなかったのではないでしょうか。昨年は古希を迎えられ、これからは福岡・九州の野球少年の育成に尽くしていきたいと仰っておられました。本当に博多っ子にとってはかけがえのない方です。

その王さんのミュージアムは、王さんの偉業と人柄をいつでも子供たちに教えられる場として、王さん本人とともに永遠に福岡にとどまってほしいですね。

  



2010年07月01日

【飾り山のお披露目】

さあ、いよいよ博多の各場所で飾り山が公開されて山笠の本番シーズンとなりました。写真はそのひとつ、博多駅商店連合会がスポンサーになっている飾り山で、舁き山はありません。今年は表の標題が「龍馬が奔る(はしる)」で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の主役坂本龍馬が、敵対していた薩摩と長州を結びつけ、徳川慶喜の大政奉還、王政復古、明治維新への大きなうねりを作った時代を躍動感たっぷりに表現しています。見送りは「アニメ チャギントン」。博多人形師は生野四郎さん(67)です。3年前から始まった博多駅の建替え工事は今年になっていよいよ本格化し、博多駅周辺は人の行き来が複雑になって不便ですが、来年3月の新生博多駅のためにあと少しの辛抱です。

【雨と山笠】

今年は例年より少し遅れて梅雨入りしました。山笠とは、そもそも承天寺というお寺を開山した聖一国師が1241年に疫病退散を祈願し、施餓鬼棚に乗って町中を回ったのがその起源という通説があり、災害や疫病の発生しやすい時期にその防除を祈る祭りなのです。今年はどうやら山笠で雨乞いをする必要はなさそうですね。

【これから15日間、博多は燃えますぞ!―追い山ツアーも用意】

さあ、760年以上にわたって続いている神事、山笠のクライマックスの15日間。博多の男たちは日々テンションを高めていって、7月15日の追い山を迎えます。例年であれば、追い山が終わるとうっとうしかった(博多弁では「しろしかった」と言います)梅雨の空がカーッと晴れ上がって真夏がやってくるのですが、これからしばらく梅雨空が続いて舁き山の男たちの汗を流してくれることでしょう。

もう数年前から始めている「追い山見学ツアー」、今年も博多のことを多くの人に知っていただきたいという思いから決行します。昨年は外国人も含めて15人近くの方々に参加していただき、博多祇園山笠の真髄に少しは触れていただけたかなあと思っています。概要は以下のとおりです。ツアー参加後は博多に惚れこむ事請け合いです。今年は酒飲みにとってはなじみの深い(?)中洲流れが1番山です。期待したいですね。

1. 日時 7月15日(木曜日) 午前4時半~6時前後

2.目的 追い山見学(10人前後のグループになって、博多っ子ならではの追い山のホットスポットをご紹介します)

3.コース 博多駅前集合⇒承天寺付近⇒聖福寺近くの旧東町筋⇒大博通り⇒西町筋⇒須崎問屋街(場合によっては大博通りから櫛田神社に戻って「鎮め能」を見るかもしれません)

4.集合場所 博多駅博多口、前日14日まで飾り山のあった場所

5.集合時間 7月15日午前4時10分(遅刻厳禁! 4時30分までに出発します)

6.現在の参加者状況 (6月28日現在12名程度。あと少しで締め切ります)

7.昨年の参加者 外国人の方、英会話学校の生徒さんなど多彩でした。

8.連絡先 luckymentai@ybb.ne.jp

9.「追い山ツアー」の写真・・・「luckymentaiさんの旅行ブログ―今年も燃えました―追い山見学ツアー2009」


【山笠のサイト紹介】

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。


1.「博多祇園山笠」~博多祇園山笠公式サイト

2.「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

3.「山笠の達人になろう2008」~CLUB九州 2008 山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。

4.「山笠があるけん博多たい」~中洲観光協会、中洲町連合会で、山笠のよもやま話が書いてあり一読の価値あり
  



2010年06月29日

【口蹄疫被害支援】

7百年以上にもおよぶ伝統的行事の御利益が宮崎の方々に届いてほしいと願って山笠振興会が動きました。

『家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」に苦しむ宮崎県を支援しようと、博多祇園山笠振興会(瀧田喜代三会長)は21日、福岡市・天神の同県福岡事務所を訪れ、義援金20万円や手ぬぐいを送った。

 聖一国師が祈祷(きとう)水をまいて疫病を鎮めたことが山笠の起源とされていることから、この日は櫛田神社(同市博多区上川端町)で事前におはらいをしてもらった義援金を持参。瀧田会長(73)は「九州は一つ。山笠で盛り上がる博多の元気を宮崎にも届けたい」と話した。

 同事務所の成合(なりあい)孝俊次長(50)は「祭りやイベントを自粛している同県を山笠の勇壮さが元気づけてくれるのでは」と語り、「口蹄疫終息に全力を尽くします」と表情を引き締めた。

 義援金は振興会を構成する十七番山笠までが各1万円、振興会から3万円を拠出した。』 (6月25日付西日本新聞)


【山笠の起源】

山笠の起源については諸説がありますが、一般によくしられていて博多祇園山笠振興会も唱えている説は、聖一国師が仁治二(1241)年、疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりというもので、今回の義えん金もこの説にのっとって櫛田神社にお祓いを受けたとのことでした。

※図は「聖一国師」画

宮崎県の口蹄疫被害はまさしく現代の「疫病」に他なりません。家畜の疫病の蔓延はいづれ人にも様々なかたちで影響を及ぼしていきます。地域的な広がりが出てくれば人間が人為的に定めた県境も意味をなさないでしょう。そういう意味で今宮崎の人たちは一生懸命この疫病を撲滅するために自らの生活の糧までもかなぐり捨てて日々闘っておられるのです。

本当に頭が下がりますし、福岡にいる僕たちとて「なんとかせんといかん」という気持ちになります。そんな中で行われた振興会の義えん金。博多の守り神である櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事が山笠なのですが、その櫛田神社のお祓いを受けた義えん金を、疫病に苦しむ宮崎に届けるというのは、博多っ子にとってこれほど誇らしい気持ちになるものはありません。

7百年以上にもおよぶ伝統の重みが必ずや「現代の疫病」を葬ってくれるのを確信しています。

  



2010年06月24日

【新しい試み】

山笠発祥の博多区にある高校・福岡高校で、山笠に関する講演が行われました。

『福岡市博多区堅粕の福岡高校(荒木裕幸校長)で15日、博多祇園山笠振興会の瀧田喜代三会長が「博多山笠あれこれ―山笠の歴史から」と題して講演した。同校では、本年度から総合学習の一環として地元の伝統文化を学ぶ「博多学」を授業に取り入れており、1年生約400人が山笠の歴史などを学んだ。

 講演で、瀧田会長は承天(じょうてん)寺を開いた聖一国師が施餓鬼(せがき)棚に乗り、祈祷(きとう)水をまいて疫病を鎮めたことが山笠の起源とされていることを紹介。男衆たちが持つ手ぬぐいの色などで、役職が分かれていることも説明した。

 山笠の魅力については「769年の伝統が守られ、祭りの期日は今も変わらない。先輩は後輩をかわいがり、後輩は先輩を尊敬する長幼の序も守られている。祭りが無事終わったときには達成感もある」と語った。

 生徒の1人の吉田千絵さん(15)は「伝統を引き継ぐ人々の努力や祭りの大切さがよく分かった。今年は間近で見てみたい」と話していた。』 (6月16日付西日本新聞)


【母校とともに】

福岡高校と言えば、福岡市博多区にある県立高校で九大への進学者が多いことやラグビーの名門校としても知られています。僕の母校でもあるのですが、僕自身は九大もラグビーもまったく無縁でした(笑)。

でも僕にとってはそんな巷の評判よりも、母校が博多のど真ん中にあって、僕も含めて商売人の子弟が多く、まさに博多祇園山笠をはじめとする博多の伝統文化を護る「博多っ子」を育む高校であることです。高校の隣には博多に残る唯一の造り酒屋「石蔵酒造」がありますし、「濡れ衣」という言葉の由来となった「濡れ衣塚」という石碑が正門から歩いてすぐのところにあるなど、博多の歴史が周辺のあちこちに実感できる場所です。

そして、母校に関する僕の最大の自慢は、この博多とのつながり、そして武家の子弟ではなく商人の子弟が多いということです。福岡には西に修猷館という、かつては藩校だった名門高校がありますが、西の藩校に対抗する庶民の学校としての福岡高校は僕の精神的なバックボーンとなっています。

その福岡高校が「博多学」を今年から始めて、博多祇園山笠振興会の瀧田会長が母校で講演したと聞き、ほんとうに嬉しい限りです。後輩たちが以前にも増して庶民の学校、博多の学校としての伝統を守ってほしいと願っています。
  



2009年07月15日

【快晴、博多一番!】

今年の7月15日も昨年同様、抜けるような快晴に恵まれての追い山日和となりました。

そんな中、例年どおり参加者を募って「追い山見学ツアー」を実施しました。今回は福岡在住の留学生中心に集まったもらったのですが、直前になってブログを見た方から参加者があったり、ブログつながりの高校の大先輩がおられたりと総勢15人とそこそこちょうどいい規模になりました。留学生は韓国、セネガル、ドミニカ共和国、中国とけっこう多彩です。

早朝4時25分、博多駅前の飾り山前に集合して全員でいざ出陣。途中ではぐれたら、そこからは自分で見学してくださいと事前に説明した上で、まさに追い山を「追っかけて」回るツアーの開始です。

【勇壮な追い山の男たちと鎮め能】

今年の一番山は僕のふるさとの東流、そして二番は中洲流でした。いつもの通り、承天寺付近から見学し、旧東町筋を走って行きましたが、狭い通りを走り抜ける男たちと舁き山の勇壮さには惚れ惚れします。そして各流れの前を走る子供たちの凛々しい姿も早朝の博多の町にぴったりとはまっていました。

今回は終点の須崎の廻り止め方面には行かず、呉服町から旧西町筋に抜け、櫛田神社に戻りました。というのは、舁き山がすべて出払った後の午前6時から櫛田神社の能舞台で行われる「鎮め能」を見たかったからです。

「鎮め能」は追い山の櫛田入りが終わり、山笠でわさわさとざわついていた社頭を鎮め、御神霊を慰めるために行われる伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。なんと寛文8年(1668年)から黒田藩ゆかりの喜多流梅津社中の方々で奉納されていて、昔は博多七流の輪番制だったそうですが、大正のころからは福神流の当番制で行われていたものの、戦時中に能装束道具等が焼失したため、今は袴能として行われています。翁・高砂・船弁慶と三つの囃子が演目としてありましたが二つだけ鑑賞して御供所町に移動しました。

舞囃子の能舞台は厳粛な雰囲気で、確かにざわついていた境内が静まり、神様も無事山笠が終了したことを喜んでおられるような気分にさせてくれました。

【ふるさとの暖かさ】

鎮め能を鑑賞した後は、御供所町に歩いて移動し、先日東流の委員をされておられる方にお願いしていた「直会(なおらい)」を見に行きました。そしたら何と直会の場所に私たちも温かく迎えていただき、一緒に無事に終わった追い山をお祝いするというか、お酒や食事をご馳走になりました。しかも、外国人留学生たちのために地元の紙芝居まで見せていただきました。感謝感激のひとときでした。御供所町のみなさん、今年の追い山では一番山でご苦労も多かったと思いますが、櫛田入りも全ルートのタイムもともに1位で素晴らしかったです。それから直会に参加させていただき、本当にどうもありがとうございました。

追い山の興奮だけでなく、博多の人情に触れて2009年の追い山を追えることが出来ました。追い山見学ツアー参加者のみなさん、どうもお疲れ様でした。
  



2009年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。

櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取ろうかと考えています。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※


  (※はやし言葉繰り返し)
  
というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。

  



2009年07月13日

【「集団山見せ」ってなに?】

山笠は商人の町博多のお祭りです。

なに?新幹線で降りたらJR博多駅。でも都市名は福岡市。一体どうなっているの?

そう、明治時代に福岡にするか博多にするか迷ったそうですが、最終的に政令指定都市としての公の都市名は福岡市となりました。というのは、昔は、那珂川を挟んで、東が商人の町博多、西側が武士の町、黒田52万石の城下町、福岡だったのです。
その福岡と博多の違いを踏まえて「集団山見せ」とは何かご紹介します。

「集団山見せ」とは、昭和37年に福岡市が「より多くの人たちに山笠の楽しさを」と要請して始まった行事で、博多の祭りの山笠を福岡の人達にも見せる為、たった1度、山笠が那珂川を越えて福岡に入ることを言います。

【博多と福岡の違い】

僕は博多の生まれなので、博多っ子であることに誇りを持っています。生まれは自分では選択できないので、たまたま自分は博多っ子になった、ただそれだけなのですが、特に山笠の時期になるとなんとなく博多の血が騒ぐのです。

僕の通った高校は長谷川法世さんの漫画「博多っ子純情」のモデルになっている学校ですが、そこは商人の子供が多く呉服町の呉服商の息子や博多人形師の息子などがいました。そして山笠の時期になると、学校も心得ていて山笠に出るといえば何と学校を休むこともできたのです!

そういうわけで博多は商人の魂が生きている、それは庶民の町でもあります。さらに言えば反骨精神、官に物申す心意気、自由で奔放な気風など庶民のイメージぴったりです。それに比べて福岡は武士の町でもあり、何か型にはまった、時にはいばったような、「お上」のイメージが付きまといます。

【集団山見せ再考】

「集団山見せ」も行事としてはいいことだとは思いますが、どうもよく考えると「お上」である福岡の市役所に博多の商人が年に一度ご挨拶にお伺いするような、博多っ子からすると「なしてお上に挨拶せないかんとや」とも言いたくなります。

まあ、いいか。そこはおおらかに「お上」の要請に応えて挨拶にいっちゃろうというところですか。寛大でしょ、博多っ子は。

もうひとつ、今年は僕のふるさとの町の舁き山「東流れ」が一番山であり、しかも今日の集団山見せの東流れの台上がりに王貞治さんが乗ります。こんな名誉なことはざらにはありません。王さん、頑張ってください。
  
タグ :集団山見せ



2009年07月12日

【追い山に向けた足慣らし】

本日、7月12日にはいよいよ15日の追い山に向けた本番さながらの足慣らしである「追い山ならし」があります。

「追い山ならし」は12日の午後3時59分に、一番山の「櫛田入り」で始まります。今年の一番山は東流れです。昼間ではありますが、走る距離が1キロ短い以外は「追い山笠」と同じ条件ですので、祭り気分はグーンと盛り上がります。

【テンション高まる舁き手たち】


僕は実際には山笠を舁いた(担いだ)ことはありませんが、経験のある友人に尋ねるとこの追い山ならしのころから舁き手たちのテンションは15日の追い山に向けてどんどん高まっていくようです。もちろんこの期間も含めて山笠期間中は女性からも遠ざかってひたすら自分たちの流れの山が無事に、最も勇壮に走れるように猛々しいエネルギーのすべてを山笠ひとつに注いでいくのです。

【早朝の追い山が見れない人は「追い山ならし」見学がオススメ】

その舁き手たちの勇壮な姿を見る観客の方ですが、実際の追い山は15日の早朝4時59分がスタートなので朝が弱いけれど追い山の雰囲気を味わいたいという方はこの「追い山ならし」が狙い目です。

ただし、はやり本当の迫力を味わうためには本番の15日に行くしかありません。今年は15日は水曜日で大方の人は出勤前の追い山見物ということになりますが、一度見る価値は十分あります。みんな一度見に行きませんか?
  


2009年07月11日

【舁き山と飾り山の歴史】

昨日に続き今日も朝から東流とか千代流といった博多山笠の各流区域内を担って回る流舁きが行われます。これは各流が決められた時間に、太鼓の合図とともに山笠を舁き出すもので、路地の隅々まで舁き入れられ、地域全体で祭りを喜び合う行事です。 (「山笠講座」に各流の説明がありますのでここをクリック!)
この各流の男衆に担がれる山笠の舁き山は、明治時代中期、市中に電話線が張り巡らされたことにより、山笠は舁き山と飾り山とに分離されて今日に至っています。そしてこの飾り山は毎年7月1日から市内の各流の決められた場所に飾られ市民の目を楽しませてくれるのです。

【飾り山と博多人形】

この飾り山笠は、高さ15メートルに達するものもあり、博多人形師が腕によりをかけて作った武者人形などが正面に、反対側には子供たちが喜ぶ「どらえもん」などの漫画の主人公などがこれも博多人形師の手によって作られています。
 明治以前は”動”の舁き山と”静”の飾り山笠はもともと一体のものであって、飾り山笠そのものが「山笠」で、それを舁き手が渾身の力で担っていました。しかし、今は分離されているために舁き山の勇壮さには少しマイナスかも知れませんが、かえってじっくりと博多人形の伝統美を眺められるという利点もあります。

【博多人形師と博多を知る絶好の機会!】

各流の博多人形を作る博多人形師には置鮎さんや中野さんといった方々がおられ、博多人形の伝統を山笠に毎年刻み込んでいるのです。(どの飾り山がどの博多人形師によるものかはここをクリック!)

いづれにしても7月1日から15日にかけては、山笠と博多の伝統を知る年に一度の貴重な機会です。この時期に出張や観光で博多に来られる方、是非このブログ活用してくださいね。

≪参考≫

・「博多祇園山笠」・・・西日本新聞が今年提供している山笠に関するサイトです。各山の担当記者が生の取材でわかりやすく書いています。
  


2009年07月10日

【今年の台上がり】

地元の知名士に舁(か)き山笠に上がってもらう恒例の台上がりのメンバーが発表されました。

『博多祇園山笠振興会(瀧田喜代三会長)は2日、地元の知名士などが舁(か)き山笠に乗る13日の「集団山見せ」でプロ野球、福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治氏(69)が初めて「台上がり」することを発表した。

 王氏は福岡ダイエー時代の1995年から昨季まで、ホークスの監督を14年間務め、リーグ優勝3度、日本一に2度輝いた。2006年には日本代表監督としてワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に臨み、初代世界王者となった。地元福岡のスポーツ界発展に貢献した功績をたたえようと振興会が要請し、快諾を得た。

 同振興会によると、7年ほど前から台上がりを打診していたが、祭り期間はシーズン中のため実現せず、監督勇退で可能になった。一番山笠・東流の表に吉田宏・福岡市長と台上がりする。

 集団山見せは、舁き山笠を福岡市博多区の呉服町交差点から福岡市役所前までを舁く行事。瀧田会長は「野球界を超えた存在である王さんに台上がりしてもらうのは、山笠にとっても栄誉なこと。長年の功績をたたえたい」と話した。』(7月2日付西日本新聞)


【一番山の東流れに】

嬉しいのは、今年の一番山は僕のふるさとの山「東流れ」であり、その東流れに王さんが吉田市長とともに台上がりされることです(台上がりとは舁き手を叱咤激励する役)。一番山とは、その名の通り7月15日の追い山で一番最初に走る舁(か)き山笠のこと。舁(か)き山笠は一番山から八番山まで8つあって、舁き山として全コースを完走するのはそのうちの7つだけ。最後の八番山は昔走っていた舁き山そのもので今の飾り山ほどの高さの装飾が施されており、櫛田神社でお披露目に清道周りを回って少し走るだけです。一番山はこれら7つの山が毎年順番に交代で務めます。毎年一番山になった「流れ」は立派に一番山を果たそうと、普段の年よりも一層の緊張感が山の舁き手たちに走ります。

※写真は昨年の大黒流れの台上がり

ついでに言えば、追い山のスタートは4時59分と中途半端な時間になっていますが、これは舁き山が「櫛田入り」して、この櫛田神社の境内に作られた『清道(せいどう)』を回ったところで、一番山だけが舁き山を止めて、『祝い目出度(いわいめでた)』を唄うために1分早くスタートしているのです。

もちろん、王さんが台上がりするのは追い山のある15日ではなくて、13日の集団山見せのときですから、王さんと吉田市長が追い山で見られるわけではありませんよ。(笑)

《参考》

ご参考までに今年の各流の台上がりのメンバーを挙げておきましょう。(敬称略)

 【一番山笠・東流】表=吉田宏(福岡市長)、王貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)、見送り=速水昭正(博多ターミナルビル社長)、中村昭彦(全日本空輸福岡支店長)【二番山笠・中洲流】表=宗敏之(九電工副社長)、光安力(福岡市議会議長)見送り=山本達雄(福岡市歯科医師会会長)、森川善博(博多大丸社長)【三番山笠・西流】表=川崎隆生(西日本新聞社社長)、角川敏行(博多港振興協会会長)、見送り=内田算人(福岡大同青果顧問)、橋爪秀三(博多小校長)【四番山笠・千代流】表=権藤満(九州朝日放送社長)、久保千春(九州大学病院病院長)見送り=石川浩二朗(市議)、永島和仁(千代小校長)【五番山笠・恵比須流】表=末吉紀雄(コカ・コーラウエスト社長兼CEO)、藤原健一(博多署長)、見送り=大石修二(市議)、亀田均(人形師代表)【六番山笠・土居流】表=日名子泰通(九州電力副社長)、西村浩司(にしけい社長)見送り=久保晶紀(西日本高速道路九州支社長)、妹尾俊見(市議)【七番山笠・大黒流】表=金賢明(駐福岡大韓民国総領事)、津田たかし(福岡水産物商業協同組合相談役)、見送り=新島一弘(飾り山笠代表)、井浦巌(讃合会事務局長)  



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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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