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2010年02月22日

【男子初メダル】

高橋大輔がとうとうやってくれました。

『イタリア映画「道(ラ・ストラーダ)」の音楽で演じたフリーには高橋大輔のこの4年間が詰まっていた。「喜怒哀楽がある」という場面のそれぞれに自身を投影し、感情を込めた。SP3位から日本男子初の表彰台に。懸命に追いかけてきた金色の輝きではなかったが、報われた。
 前回のトリノ五輪8位からの雪辱を胸に滑り出し、2007年に喜びが待っていた。東京開催の世界選手権で銀メダル。4回転ジャンプを一つのプログラムに2度入れようとするなど、世界のトップを走っていた。頂点へあと一歩のところまで迫っていた。
 怒りと悲しみがない交ぜになったのは、その1年後だった。それまで3年にわたって教えを仰ぎ、苦楽を共にした師の元から去った。ニコライ・モロゾフ・コーチが、同じ関大所属で1歳下のライバル、織田信成を指導すると言い出したからだ。聞いていない。それに、争おうという相手と同じ人に教えてもらうわけにはいかなかった。
 そうして迎えた新たなシーズンは、滑り出す前に暗転する。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の練習中に右ひざの靱帯(じんたい)を断裂。右足はすべてのジャンプの着地を支える。目の前が暗くなった。手術をすればバンクーバー五輪に間に合うという医師の言葉を信じて、08年11月、自分の右ひざ裏からけんを2本移植した。そこからが地獄だった。
 逃げ出したこともある過酷なリハビリ。氷上に戻っても、体が変化したことで4回転も跳べなくなった。楽しく滑れる日は再び来るのか。橋本聖子団長は「挫折を乗り越えられたときに本当の勝負を賭けるときがくる。この時期に試練があってよかったと思える舞台が五輪であってほしい」と励ました。そう思える日が来た。そんな気がした。』(2月19日付時事通信)


【時代を拓く】

高橋の銅メダル以外はどうだったのでしょうか。SP4位の織田信成(22)=関大=はジャンプに失敗した際に靴ひもが切れるアクシデントが響いて7位、同8位の小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=は8位となりました。また金メダルと銀メダルはというと、SPトップで前回トリノ五輪覇者のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)は2位、SP2位で昨季の世界王者、エバン・ライサチェク(米国)が逆転優勝しました。

報道によれば、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)は4回転ジャンプを成功させて間違いなく金メダルが獲れるものと自信たっぷりで臨んだのに、4回転ジャンプに失敗したエバン・ライサチェク(米国)が逆転優勝したため、メダリストの記者会見で「勝利を確信していた。エバン(ライサチェク)が僕よりも、そのメダルを必要としていたということだろう。独り占めはできないから」と皮肉を込めて語りました。よほど採点基準に不満が残ったのでしょう。4回転ジャンプがすべてではないと思うのですが・・・

その点、高橋選手は終始さわやかな笑顔でした。4回転は失敗したものの、銅メダルを獲ったこと、日本人初のメダルということ、右ひざの断裂を乗り越えてきたという満足感、いろいろな思いがあったと思いますが、やはり日本のスケート界の新しい時代を切り拓いたということが大きいと思いました。さらに、惜しくも靴ひもが切れて7位になった織田と4回転を成功させた小塚も8位となり、三人が切磋琢磨してきた結果が高橋の銅メダルという結果になったのかなあとも思いました。三人に「おめでとう、ご苦労さんでした」と言いたいですね。

金メダルを取っても満足できない人もいれば、銅メダルでも入賞でも爽やかな人たちがいる。人間とは不思議なものです。  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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