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2010年04月26日

【24年前の大惨事】

みなさんは24年前の今日、世界全体を恐怖のどん底に陥れた出来ごとをご存じだろうか。

それはチェルノブイリの原発事故だ。

1986年4月26日午前1時24分、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉で原子炉停止実験が失敗、原子炉の暴走が始まり、数度の爆発で瞬く間に大量の放射能が全世界に撒き散らされた。 (写真は24年前、事故を起こした4号炉)

事故直後から数週間の間に起こったことは、事故そのものの悲惨さを上回るような出来事だった。旧ソ連政府による事故隠し。何も知らされないで捨て置かれた何十万人もの避難民の被爆。

そしてその後も旧ソ連政府だけでなく、IAEA(国際原子力機関)を始めとする国際機関や各国政府の事故隠し。長崎・広島を経験した日本さえもその一団に加わった。事故後24年を経た今、事故そのものの記憶の風化が進んでいるが、これらの機関や政府のチェルノブイリの真実を出来るだけ小さく見せたいという意図は本質的には変わっていないように思う。

【恐怖の「見えない雲」】

しかし、僕自身は史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故当時のことは今でも鮮明に覚えている。事故発生後数日経ってから北欧や欧州各地で基準値を大幅に上回る放射性物質が大気中から検出され、世界中が大騒ぎとなり、特に欧州では「見えない雲」、すなわち目には見えないが恐ろしい放射能を含んだ雲の飛来に数週間、数か月にわたって人々は怯え続けたのだ。(それらの放射性物質が日本にまで飛来していたころ、5月のゴールデンウィークの最中に東京の皇居周辺ではあの亡くなったダイアナ妃の歓迎パレードが行われていた)

そしてそれは杞憂ではなかったし、実際にチェルノブイリ周辺数百キロの地域で大規模な放射能汚染が発生、甲状腺ガンなどによる事故の直接・間接的被害による死者は数十万人から数百万人にのぼったと言われている。

【災難は忘れたころに】

本当に恐ろしい体験だった。チェルノブイリから数千キロも離れた日本でもそう感じたのだから、全市民が避難したキエフやヨーロッパの人々の恐怖は並大抵のものではなかったはずだ。

あれから24年。その記憶は人々の脳裏から消えつつある。最近は地球温暖化への有力な対応策として日本では原発の推進がまた声高に叫ばれ、世界でも一時脱原発の方向に向きかけたいた流れが反転したように見える。地球規模で目の前に迫りつつある気候変動の危機に対処するために、たとえ直接的、中長期的な効果が疑わしくとも原発を「応急措置」として活用するのはやむを得ないことかも知れない。

しかし、あのチェルノブイリのときに味わった恐怖を原発の専門家たちだけでなく、市民である僕たちも決して忘れてはならないと思う。忘れたころに往々にして災難はやってくるのだ。  



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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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