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2011年05月29日

【故郷・博多でのコンサート】

土曜日の夜、博多祇園山笠の起源を作ったとされる禅僧・聖一国師が8世紀後半に開いた禅寺・承天寺であったある若手音楽家のコンサートに行ってきました。承天寺の仏殿の前に広がる玄界灘を模した枯山水の石庭はこの日のためにライトアップされ、青く光る砂と新緑の木々が幻想的な雰囲気を醸し出していました。その石庭を前に本堂を開放して作られたステージで300人近い観客を前に演奏したのは、癒しの曲を次々と披露する地元博多の音楽家、旅人さん(29)。

今回のコンサートは、もともとは聖一国師の生まれた静岡県で旅人さんが聖一国師の生涯をテーマに作曲した「遥かなる道」を3月19日に発表する予定だったコンサートなのですが、あの東日本大震災で不可能となり、それを聞いた承天寺の住職さんが場所を提供したものでした。なんという縁(えにし)。しかも今年は承天寺開山770年という節目でもあるのです。

降りしきる雨の音の中を静かに流れる旅人さんの曲の数々。フルート奏者であるお姉さん・大塚茜さんのフルートや弦楽四重奏者のバイオリン、エレキギターリストのギター、ヴィオラ、チェロ、クラリネット等の奏でる美しく、時には激しい音色とともに、旅人さんの優しいピアノ演奏は、博多の古き良きお寺さんである承天寺の幻想的な雰囲気と相俟って、観客である僕たちをまさに旅人さんの音楽世界に導き、癒してくれました。旅人さんはこの日のために東日本大震災という大災害に苦しむ東北の方々を励ますために作ったと言う「ニューワールド」という曲も披露してくれましたが、きっとそれらの癒しの曲の数々は東北の方々の心を癒し、励ましてくれるものと信じます。

【不思議な絆】

それにしても今回の旅人さんのコンサートにはいろいろな意味で不思議な絆を感じました。そのひとつは、静岡と博多の絆。それは東日本大震災という未曾有の災害が聖一国師でつながっていた静岡と博多の絆を、770年の時を超えて蘇らせてくれたこと。これほどの国難ともいうべき大災害のときには、人を信じたり、人を助けたりすることの大切さを説く聖一国師のような聖者の存在は人々にとって大切な癒しだと思います。

そしてもうひとつは人と人の絆です。実は旅人さんのご両親は僕の母校である御供所小学校(今では廃校となっている承天寺近くにあった小学校)の同級生なのです。もう何年か前に数十年ぶりにお母さんと再会し、僕自身は大塚茜さんと旅人さんという素晴らしい音楽家に育った子供さんのお話を聞いたり、3年前には同じ承天寺での2人のコンサートの運営に地域貢献として関わったこともありました。でも今回のコンサートのことは全く知らずにいたのに、それらの事情をあまり知らなかった家内が旅人さんの新聞記事を見て「もしや数年前に会ったあのお母さんの息子さんでは」と僕に知らせてくれて初めてコンサートの存在を知ったのです。

人が人を思い、その思いをつないでいく。きっとそういう何気ない日常の営みが人と人の絆を作り、新しい出会いや懐かしい出会いをつないでいくのだということを改めて思いました。今回のコンサートで旅人さんが思いを馳せた聖一国師や東日本大震災で被災された東北の方々も時空を超えた太い「絆」でつながっていると信じています。旅人さん、茜さん、そしてご両親やコンサート関係者の方々、こういう機会を作っていただきありがとうございました。

※それにしてもコンサートで住職が話された承天寺にまつわるいくつかのエピソードは非常に興味深いものでしたが、その中でも「御供所(ごくしょ)」というのは「箱崎宮へお供えをする御供所(おそなえどころ)」というのが起源だというお話は目からうろこというか、びっくりでした。この歳になって初めて故郷の町の由来を知るなんて、恥ずかしい。

≪参考≫

・「聖一国師の曲 初披露」・・・2011年5月10日付西日本新聞の記事

・「旅人」のオフィシャルサイト

「大塚 茜」のオフィシャルサイト

・「旅人コンサート」を掲載した御供所町のオフィシャルサイト
  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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