2010年11月05日

【子供たちの創作劇】

清々しい秋晴れとなった11月初旬、福岡県新宮町で開かれた第17回朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会に参加しました。そこで上演された子供たちによる創作劇は、子供たちの熱心でかわいらしい演技とともに今の日本の外交という大きなテーマにつながる問題を考えさせられる素晴らしいものでした。

その劇とは「石の唄ひびけ」というタイトルで、江戸時代に、朝鮮からの通信使が11回もやってきた福岡県新宮町の相島という小さな島で島民たちがその準備のために石の波止を造った話です。

【朝鮮通信使の接待】

朝鮮通信使に学ぶ外交のカタ江戸時代に500名近い朝鮮からの通信使たちの、釜山から江戸までの長旅の最初の起点である福岡藩が通信使の接待場所として、200年近い間に11回も立ち寄った相島。最初の接待が行われたのは実に400年も前のことでした。500名もの通信使の接待ですから、小さな漁船しか寄港できなかった相島の海岸にふたつの石波止を造る必要が生じ、福岡藩が島民も駆り出して2カ月の突貫工事をさせたのです。

相島の島民だけでなく、朝鮮通信使が江戸へ行く途上で立ち寄った下関、上関、室津、大垣など全国各地で農民や漁民たちが接待のための食糧の提供など様々な賦役を課せられたのです。

しかし、朝鮮通信使たちは鎖国を敷いていた当時の日本よりもはるかに進んだ大陸文化をもたらしてくれましたし、何よりも日本各地の地方の人たちが心をこめて接待をした結果、日本と韓国の間には友好的な交流が行われたことが様々な古文書や資料から分かってきました。


【外交の基本】

今、日本と近隣国の中国、ロシアとの間には尖閣諸島問題や北方領土問題でぎくしゃくしています。もっとも近い隣人である韓国との間にも竹島問題という火種を抱えています。それもこれも太平洋戦争で日本がこれらの国の国土・国民に大きな迷惑をかけたことが根本原因なのですが、戦争終結後65年以上を経た今でもそのシコリは大きく、国と国とのレベルでは容易に解決できそうにはありません。

そんな時だからこそ、200年から400年前の先人たちと朝鮮通信使たちとの交流は多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。朝鮮通信使が最後に立ち寄った長崎県対馬。当時の対馬藩に仕えた儒学者雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)は外交の基本について、「互いに欺かず、争わず、真実を以て交わること」と述べています。

どちらかと言うと中国やロシアのほうがこの基本を忘れているようにも見えますが、相手がどうであれ、日本は常に「互いに欺かず、争わず、真実を以て交わる」ように辛抱強く交渉していくこと、そして日頃から民間レベルでの草の根外交を活発にして強固な信頼関係を築いていくことが大事ではないでしょうか。相島の子供たちの創作劇から教えられたような気がします。

みなさんはどう思われますか?

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