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2008年10月27日

【ついに建て替え】

以前から取りざたされていた歌舞伎座の建て替えがついに決まりました。

『歌舞伎の殿堂として知られる東京・銀座の歌舞伎座が、2010年4月公演を最後に建て替えに入ることが20日、松竹から発表された。現在の建物は築50年以上が経過し、老朽化が激しいため、数年前から建て替えが取りざたされていた。工期は約3年を予定。新劇場はビル内に入る予定だ。

 松竹によると、来年の正月から16カ月間は「歌舞伎座さよなら公演」を実施。正月は松竹系全劇場の公演を3日初日とし、2日に歌舞伎座の舞台に全幹部俳優を集めて記念式典を行う。建て替え中の歌舞伎公演は新橋演舞場を中心に行われる。

 歌舞伎座は1889年創建。1924年に奈良様式と桃山様式を合わせた現スタイルの原形が建てられたが、45年5月に東京大空襲で焼失。51年に新築し、翌年に再開場した。2002年に国の登録有形文化財に登録された。』(10月20日付毎日新聞)


【思い出深い建物】


仕事で東京に住んでいた頃、せっかく東京にいるのだから毎月歌舞伎が見られる唯一の劇場である歌舞伎座で本物の歌舞伎を観ようと足しげく通った時期がありました。

もちろん、足しげく通うとなるとサラリーマンでは1万円以上もする1等席や2等席は買えません。行くのは決まって4階にある「一幕見席」。ここであれば1幕ずつ入場券を購入できて、しかも500円から1500円程度で買えます。予約も要らないし、歌舞伎役者に掛け声をかける大向こうさんも結構座っていて「歌舞伎通」の席でもあるのです。

外国人観光客にもよく出会ったし、義経千本桜では狐忠信に扮した猿之助が4階の一幕見席の隅からワイヤで宙吊りの芸を披露するのも目の前で見ることが出来ました。

【新生歌舞伎座に期待】

時代は変わり、古いものは新しいものに変わっていきます。どんなに堅牢な建物でもいつかは寿命が来て、建て替えるときがやってくる。寂しい気もしますが、新しい時代にふさわしい歌舞伎演劇を新装なる歌舞伎座で味わうというのも、いいのかもしれません。

庶民の演劇である歌舞伎を後世に伝えていくために、是非、松竹さんには一幕見席を残した庶民にやさしい新生歌舞伎座を作ってほしいものです。
  



2008年09月12日

【意外なヒット】

夏にマフラーが売れるなんて、意外ですよね。

 『吸水性に優れたタオル地を使った夏向けの「マフラー」が今年、思わぬヒット商品となり、安価な輸入物に押され“じり貧”だった国内メーカーが息を吹き返している。夏にマフラーとは意外だが、首もとの日焼けを防ぎ、汗も吸うため愛好家が急増中。洗濯機で丸洗いできるなどのメリットも多く、ファッションの秋に向けて、さらに注目を集めそうだ。

 「増産に次ぐ増産で、生産が追いつきません」

 愛媛県今治市と並び、国内タオルの2大産地に数えられる大阪府の泉州地区。「金野タオル」(泉佐野市、金野泰之社長)では今夏、タオルマフラーの生産量が昨年の10倍以上に膨らんだ。

 気化熱で体温を下げるポリエステル系の新素材や、紫外線防止加工をした綿、麻をガーゼ状にふっくらと加工。夏用のマフラーとして売り出したところ、百貨店や雑貨店からの注文が相次いだ。』(9月6日付産経新聞)


【タオルマフラーと知事の宣伝効果】

新聞によれば、このマフラー、冬の分厚いマフラーではなく「タオルマフラー」と言って愛媛県今治市の「宮崎タオル」の宮崎弦前社長(故人)が約10年前に考案したそうです。1本1000~2000円前後と安く、タオルには見えないようなおしゃれな外見で数年前から販売されていました。

もちろん、消費者の評判も「首もとの日焼けを防げる」「汗を吸ってくれるので外では涼しく、クーラーの効いた室内では防寒にもなる」「ウールと違って洗濯機で洗える」と高く、日焼けを気にする女性ばかりか、最近ではゴルフ場で男性がしているのもよく見かけるとのこと。

売れ始めたきっかけは、大阪府の橋下徹知事が今年3月、バラエティー番組「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)に出演した際、“大阪名物”として紹介したことだそうですが、宮崎知事の県産品売り込みにあやかって、橋下知事もがんばっていますね。メディアをうまく活用して、新しい要素を工夫した商品にすれば、思いもかけない商品が思いもかけない季節に売れる典型的な見本のようなお話でした。

橋下知事のファッションセンスもなかなかのものですね。

  



2008年08月21日

【ルーブルの変身】

先月初め3年ぶりに訪れたルーブル美術館は、少なくとも外見上は何も変わっていないように思えました。しかし、ルーブルは時代とともに大きく変わりつつあるというタイム誌の記事が目に留まりました。それは、8月11日号のタイム誌の記事「ルーブル株式会社」("Louvre Inc.", Page 38-40, TIME dated on August 11, 2008)でした。

【変身の仕掛け人】

Louvre Inc. --- Led by a controversial visionary, the world's favorite museum is learning the American art of mixing business with culture

タイム誌の副題に、「ルーブル株式会社-渦中のひとりのビジョナリーによって、世界のお気に入りの美術館がアメリカ流の文化とビジネスを融合した手法を取り入れようとしている。」と紹介されています。その仕掛け人とは、Henri Loyrette氏。

そう、年間8百万人もの観光客を集めるルーブル美術館は今この1人の先駆者によって、アメリカの多くの美術館がやっている資金調達手法を取り入れ大胆な変革を実行しようとしているのです。

たとえば、タイム誌やビジネスウィーク誌の記事にも取り上げられるきっかけとなった「その手法」は、6月10日にルーブル美術館内で行われた大規模なパーティ。多くの歴史的美術品に囲まれて、デュラン・デュランのコンサートと豪華な食事に酔いしれた投資家や有名人たちは総勢272名。集まった資金は270万ドル(3億円)。Loyrette氏の改革はそれだけではありません。アブダビのルーブル別館建設もそのひとつですし、アトランタのハイ・ミュージアムとの3年のパートナーシップ契約やシアトルやオクラホマ市での展覧会など前例のない企画をどんどん打ち出しているのです。それもこれも政府の補助金を全体の半分程度までに減らし、自由に使える資金を増やしているからこそ出来るのです。

【美術館にもグローバル化の波】

フランス美術界の批判もものともせずに、Loyrette氏が大胆に改革を進めるのは、たとえ世界一のルーブルでもグローバル化の大波には逆らえないからなのです。大競争時代に何もせずに手をこまねいていては、ルーブルでさえ将来が危なくなると感じたのでしょう。

果たして、Loyrette氏率いる「ルーブル株式会社」の大改革がうまくいくのかどうか、しばらく注意深く見守る必要がありそうですね。
  



2008年07月18日

【ボストンの友人】

10日にお伝えした福岡市美術館で開催されるボストン浮世絵展の続報です。そう、あのアメリカの友人と会うことが出来ました。彼女に会うのは数年ぶりでしたが、元気そうでなによりでした。家内と二人で博多駅近くのレストランで食事をする時間が取れたのです。イギリスから帰国した日の夕刻、博多駅前の博多駅商店連合会17番飾り山の前で待ち合わせました。

まだ、時差ぼけでぼんやりしたままの状態でしたので、レストランでの食事も結構辛かったのですが、久しぶりに海外から遠路はるばる来た友人です。そんなことは言ってられません。そして期待に違わず、彼女は福岡での展覧会の仕事をしっかりとこなし、ボストン美術館に関するいろいろな話をしてくれたのです。

【偉大なボストン美術館、そして友人】

ボストンは米国東海岸にあるマサチューセッツ州の州都で60万人の人口を擁する都市で、17世紀に英国からやってきた清教徒たちが創った歴史と伝統のあるヨーロッパ的な町並みが印象的です。この街には、あの有名なハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)などとともに今回浮世絵を福岡に持ち込んでいただいたボストン美術館もあります。

そのボストン美術館について、日本人の僕達にとっては新鮮な感動を与えるような話を彼女は語ってくれました。その一部を紹介します。

1. ボストン美術館は、1870年に地元の有志によって全くゼロから民間で立ち上げ、今でも政府や地方自治体などからの補助金にもたよらず、民間で運営されていること。(日本の大半の大美術館が公的なものであるのと大違いです)

2. そして、今回の浮世絵など夥しい数の日本の古美術品のコレクションは、動物学者のモース、研究者のフェノロサ、医師のビゲローの三人が大いに貢献していること。

3. さらには、それらの日本の美術品の修復や維持管理は、何代にもわたる美術館の美術品修復スタッフの厳密で科学的な日本美術の考証努力と技術の研鑽によって、日本にも引けを取らないようなものであること。

4. そして、その現在のスタッフ5名のうちの1人が僕の友人であること。


こういった話を、民営のボストン美術館の方針の下で、活発に日本での展覧会を開催していくために、何度も来日し、苦労を重ねながらも日米の架け橋となった重要な古美術修復の仕事をこなしているという自信が、彼女の語り口や表情から伝わったきました。本当に会えて話が聞けてよかったと思った瞬間でした。

【開会式そして内覧会】

彼女の話を聞いた翌日、偶然にも福岡市美術館での浮世絵展の開会式とそれに続く内覧会に出席する機会に恵まれました。

日経新聞や地元の西日本新聞社、TVQの役員による主催者挨拶のあと、ボストン美術館側からはあのモース氏のお孫さんであろと思われる女性のスピーチがあり、続いて内覧会がありました。

そこで友人の言葉に違わず、本当に素晴らしい130点あまりにのぼる本物の浮世絵を目にすることが出来たのです。春信、歌麿、写楽、北斎、広重といった日本人なら誰でも一度は学校の教科書でみたことのある浮世絵のすばらしさは本当に目を見張るものでした。これらの浮世絵の保存状態の良さが彼女達の日々の修復技術の研鑽の結果だと事前に知ったことがその感動をさらに深いものにしてくれたと思います。彼女の名前は、内覧会でいただいた解説書にも書かれていません。でも、そんなことは些細なことです。

これからも彼の地ボストンで日本と米国の文化交流のために尽くして欲しいと願っています。

《参考》

・「ボストンの浮世絵が博多に来る!」・・・2008年7月10日の僕のブログ記事

  



2008年07月10日

【ボストンの浮世絵】

凄いものがこの夏、福岡にやってきます。といってもマドンナやシュアちゃんといった有名人ではありません。アメリカに所蔵されている日本の浮世絵です。

7月12日から8月31日までほぼ2ヶ月間にわたって、福岡市美術館にボストン美術館から持ち込まれる約150点におよぶ日本の浮世絵の名品の数々です。

ボストン美術館に所蔵されている浮世絵は5万点におよぶと言われており、その質の高さと数量は世界一だそうです。しかし、今までそれらの大半が公開されてはいなかったとのことで、もちろん今回福岡に2ヶ月近く展示されるのも初めての試みです。

【友人の努力】

あまり美術館の展覧会など紹介してこなかったこのブログで、なぜ今回ご紹介するかといいますと、それはこの展覧会に僕のアメリカの友人が関わっているからです。

もう20年近く前にアメリカのワシントンDCに2年間駐在していたとき、その事務所で働いていたアメリカ人女性が、その後東京芸術大学に留学し、古美術品の修復(英語ではコンサーベーション(conservation)と言います)を研究し、修士号をと取るとともに東京の下町の古美術品の修繕をするところで修行をした後、ボストン美術館に就職し、子育てをしながら日本の美術品の修復をやっていたのです。

その女性はアメリカ人と日本人の混血で、アメリカ人的なバイタリティと日本的な古風な女性の良さを兼ね備えた立派な人で、もうひとつの古里日本のことを大好きだったのです。

その友人が修復を手がけたであろうボストン美術館の浮世絵。当然、長期間の展示のための準備で来日し、それらの浮世絵の名品が傷まないように万全の体制を取るのでしょう。本当にすばらしい仕事だと思います。

【これからも日米のために】

来福中はものすごく忙しいらしくて、本人と会えるかどうかわかりませんが、是非福岡の市民のために万全の体制でアメリカにある日本の素晴らしい浮世絵の名品が見られるようにしっかりと仕事してくれればと願っています。

これからも日米のために、いい仕事をしてほしい。そしてまたいつの日か福岡に来れるようになることを心から祈っています。

《参考》

・ボストン美術館浮世絵名品展のポスター

・福岡市美術館の「ボストン美術館浮世絵名品展」のサイト
  



2008年06月30日

【イデア塾】

6月初旬に上京したときに、三田で聞いたシンポジウムのパネラーだった社長さんが主催する勉強会に出てきました。その名は「イデア塾」。そのキャッチフレーズには、「魅力的な人との出会い、有益な情報との出会いから、自分のイデア(IDEA、アイデア、理念、目的)を広げてみませんか。GENKI(元気)を蓄えませんか。」 と謳っています。

僕の「元気通信」にも通じる考え方に共感して参加したのですが、まさにキャッチフレーズどおりの語り手と勉強会でした。そしてイデア塾を主催する井手社長の人を観る目の確かさ、人を集めて感動させる術に感心しました。

場所は福岡、博多祇園山笠の起点である櫛田神社の直ぐ近くにある「鹿島本館」(写真は旅館の玄関)という古い旅館。ここは2年前に福岡市内では初めて国の有形登録文化財に指定されたところです。この古い旅館もその日の語り手のテーマに結びついていました。それは古いものの再生であり、まちの再生です。

【石見銀山の山里で】

テーマは「まちをデザインする、暮らしをデザインする」で、語り部は世界遺産に指定された石見銀山遺跡の麓にある人口500人しかいない大森町で、年商10億円を超える服飾ブランドを中心とした事業を展開する松場登美さんという方でした。松場さんは、そのデザイン工房や本店、自分の生活場所を大森町にあった朽ちかけた廃屋を修復・復活して町全体をよみがえらせていることでも知られている人なのです。

その静かな語り口の中に、力強い生活観、服飾デザインを生業(なりわい)とし、文化を再興するんだというプロとして生活者としての強い意志がひしひしと伝わってくる「凄い」方でした。

もう信じられないような山深いところにある小さな集落で、何故10億以上もの年商での商売が成り立ち、なぜ廃屋同然だった古民家を再興しているのか、ふつふつと沸いてくる疑問に静かに答えていく松場さん。

【生きるということ】

そこには、情報の洪水の中で自分の生き方さえ見失っている都会の日本人たちが見つめるべき「なにか」がある。そんな思いにさせてくれる語りがありました。

質疑応答の時間に、松場さんの商品は高すぎるという買い手の話を紹介した質問者に、「日本人は本物の価値を忘れてしまっているのではないか。私達の商品はほとんどすべて日本にある最高の品質の素材と職人の技を使って創っています。捨てるものなど一切ない。その価値に見合った値段をつけているのであって、ユニクロさんのように中国で大量に作って安く提供して、大半がゴミとなるようなものとは違うのです。」といった意味のことを静かに力強く語られたときには、思わずハッとしました。

20年以上前に大森町に夫とともに移住して、四苦八苦しながら日本の古き良き文化を守り、その中から新しい文化を創造してきた松場さん。その確固とした生き方、そのプロ精神に「生きる」ことの意味を改めて考えさせられました。松場さん、ありがとうございました。一度、大森町に家族で行ってみようと決心しています。


《参考》

「イデア塾」・・・ イデアパートナーズ株式会社の井手修身社長が主催する勉強会

「群言堂」・・・松場さんの会社「石見銀山生活文化研究所」のサイト

・ブログ記事「石見銀山の生活文化、暮しをデザインする「群言堂」」(2008年6月3日)・・・松場さんに会って来られた大和田順子さんの公式ブログの記事
  



2008年02月27日

【秋葉原紹介サイト】

最近の秋葉原の変貌ぶりはよくテレビや雑誌で目にしますが、秋葉原を外国人に紹介する情報サイトまで出来たというのは驚きです。

『ジー・アイ・ジェーン(千代田区岩本町3)は2月14日、外国人向け情報サイト「Akibanana(アキバナナ)」をオープンした。

 「Akibanana」は英語圏に向けて秋葉原のサブカルチャーを発信するサイト。同サイトでは「秋葉原をより多くの外国人に伝えられるように!」「日本のオタク文化をもっと理解してもらえるように!」をテーマに、アニメ、漫画、ゲーム、フィギュア、メイド&アイドル、PCとガジェット、ロボットなど7ジャンルにわたる情報をニュースとして掲載するほか、特集記事やレビュー、記者ブログ、掲示板なども設ける。併せて同社では、同サイトを軸にツアーやタレント事業展開を行い、オンラインとオフラインのシナジー効果を目指すという。PV目標は2年半で3億PVを掲げる。』(2月26日付アキバ経済新聞)


【新しいニッポン紹介】

日本のオタク文化と秋葉原が結びつくなんて数十年前には想像すら出来ませんでした。しかし、パソコンやゲームの爆発的なブームの到来とともにゲームソフトやそれらに登場するゲームキャラクター、そしてアニメフィギュアなどが家電とともに販売の対象になるに及んで、かつては単なる家電製品の販売店がひしめくだけだった電気街は、そういった製品を求める日本人オタクだけでなく外国人旅行者までも集客するニッポン文化の発信基地に変身したのです。

なにが都市を活性化するのか本当に予測がつきませんね。新しいアキバの魅力をこの新しいサイトで確認して、一度オタクになりきってアキバを訪れてみませんか?  


2008年01月16日

【歴史的な大発見?】

これはすごい発見だ。モナリザのモデルがわかったのだ。

『独ハイデルベルク大学図書館の研究者らは、イタリアの美術家レオナルド・ダビンチが描いた名画「モナリザ」のモデルについて、数世紀に及んだ謎を解明したとしている。
 16世紀に描かれたモナ・リザのモデルはこれまで、裕福なフィレンツェの商人、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻という説が有力視されてきたが、美術史研究者らの間では、ダビンチの愛人や母親、また自画像であるとの議論も行われてきた。
 同図書館の研究者らは、1503年10月に絵の所有者が本の隅に走り書きした日付入りのメモにより、絵のモデルがリザ・ゲラルディーニとの名前でも知られるフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であることが明確に確認できたとしている。
 同大学のスポークスマンによると、メモは、写本の専門家が2年前に図書館で見つけたものだという。』(1月15日付ロイター通信)


【それでもミステリー】

モナリザの絵は僕も学生時代と三年前と二度にわたってルーブル美術館で見ることが出来た。二度目の鑑賞では、ちょうど、「ダビンチ・コード」の本と映画が話題になっていたころだったので、いやがうえにも興味が沸いて真っ先に見に行ったのを覚えている。

ウィキペディアでも紹介してあるように、モナリザのモデルについては諸説がある。美術史の研究者たちの多くはこの絵のモデルはフランチェスコ・デル・ジョコンドの3番目の妻であるエリザベッタ・デル・ジョコンダだと考えているというし、当時ジュリアーノ・デ・メディチの愛人であったナポリ公妃コスタンツァ・ダヴァロスだとか、年齢が絵と近く、同じ構図の油絵『アラゴンのイザベラの肖像』があるミラノ公妃イサベラ・ダラゴーナとする説、レオナルドのデッサン「イザベラ・デステの肖像」に残っているものと容姿が一致するマントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステだとする説などである。

さらに言えば、ダビンチの自画像だとする説もあることは多くの人がご存知だろう。

今回の発見はそういった諸説に一応の終止符を打つことになりそうだ。500年近い時を経て出てきた事実の重みは凄い。

でも、たとえモデルがわかったとしても、ダビンチの画家としての天才的な才能とモナリザのミステリー性は損なわれることはないだろう。ビバ! モナリザ!?  


2007年12月13日

【今年の漢字】

今年の世相を最も表す漢字として選ばれたのは「偽」でした。まさにぴったりといった感じですね。

 『2007年の世相を表す「今年の漢字」に「偽」が選ばれ、京都市東山区の清水寺で12日、森清範貫主が縦1・5メートル、横1・3メートルの特大和紙に揮毫(きごう)した。

 食品の産地や賞味期限の改ざん、人材派遣会社の偽装請負などが相次いで発覚したのが理由という。

 日本漢字能力検定協会(京都市)が公募し、応募のあった9万816票のうち、「偽」が1万6550票でトップに。「食」「嘘」「疑」が続いた。

 森貫主は「このような字が選ばれることは恥ずかしく、悲憤にたえない。己の利ばかりを望むのではなく、分を知り、自分の心を律する気持ちを取り戻してほしい」と話していた。』(12月12日付読売新聞)


ちなみに昨年は「命」。ひとつの漢字で1年を表すというのは無謀なようですけど、なかなかインパクトがありますね。

【偽物が横行した年】

言われてみれば、今年は様々な偽物が世の中を跋扈した年でした。

特に食品に関する偽装は、石屋製菓「白い恋人」の賞味期限改ざん、ミートホープの牛肉偽装発覚、伊勢の老舗菓子「赤福」の34年間にわたる消費期限不正表示、船場吉兆による菓子の偽装表示など、出るわ出るわ、次々と偽物が内部告発などで明らかにされました。

食品だけではありません。マンション住民やホテル関係者を震撼させた耐震偽装問題から英会話学校NOVAの偽装や、相撲やボクシングなどスポーツ選手の嘘っぽい言い訳や中国の「偽」キャラクター遊園地なども偽物騒ぎとして記憶に新しいですね。もうひとつ忘れてはならないのが、守屋前防衛省次官の逮捕。「偽り」だらけの高級官僚の転落は、官僚支配国家ニッポンの沈没さえも想起させられますね。

老舗のブランドや超一流選手の虚言などがこれほど明らかになると、一体何を信じていいのか本当に寒々とした気持ちになってきます。

すべてその背後にあるのは金、金、金の世の中です。人生の幸せとは何かということを商売人も政治家も役人も、もう一度しっかり考え直して出直すべきだと思いますがいかがでしょうか。

そんなことを深く考えさせられた「偽」の一字でした。
  


2007年11月09日

【最も傾いている塔】

ピサの斜塔の記録が抜かれました。

『ギネスブックは、世界で最も傾斜した塔が、有名なピサの斜塔ではなく、ドイツ北西部エムデンに程近い小さな村Suurhusenにある15世紀に建造された教会の尖塔(せんとう)と判定した。
 ギネスブックのドイツ語版の責任者であるオラフ・クーヘンベッカー氏によると、尖塔は高さ25.7メートルで、傾度は5.07度。これに対し、ピサの斜塔の傾度は3.97度。ただ、傾度はピサの斜塔よりも大きいものの、高さは半分以下で、華美な装飾も施されていない。
 2009年版のギネスブックから、ピサの斜塔の代わりに世界で最も傾斜した塔として登録される予定。』(11月8日付ロイター)


【芸術・文化的価値】

挑戦を受けたピサの斜塔は、世界で最も有名で知らない人はいないくらいですが、このピサの斜塔の建設が着工されたのはなんと1173年ということで、今回見つかったドイツの斜塔よりも3世紀以上昔のものです。

また高さもピサの斜塔は55メートルと倍以上高くなっています。

そしてなんと言ってもその外観は比べようがないほど美しく、傾きでは負けてもピサの斜塔の芸術・文化的価値の高さは圧倒的なものでしょう。

改めてピサの斜塔の偉大さを再認識させてくれた記事でした。あなたは、それでもこのドイツの斜塔を見に行かれますか?

《参考》

・ピサの斜塔について - 「なぜ傾いたままで立っていられるのでしょうか?」など。ジャパンホームシールド

・もう傾かない?ピサの斜塔 - 写真も。日本旅行「ツアコンモバイル通信」
  


2007年10月09日

【思わぬ波紋】

セーラー服を最初に導入した学校ってどこだかご存知ですか?

このニュースを読むまでは僕も知りませんでした。

『女子生徒のセーラー服の起源は京都かそれとも福岡か--。学校法人「平安女学院」(京都市)が「日本で初めてセーラー服を導入したのは1920年の当校だ」と発表し、波紋を広げている。これまでは1921年導入の学校法人「福岡女学院」(福岡市)が発祥とされてきた。福岡女学院は「今のスタイルはうちの制服が起源だ」と、一歩も譲らない構えだ。
 学生服大手「トンボ」(岡山市)が、制服資料の展示施設をリニューアルするため学校史などを調べたところ、1920年に平安女学院がセーラー襟の付いたワンピースの洋服を制服に採用していたことが判明した。平安女学院は「導入時期は学内で知られていたが、日本初だとは確認していなかった」と説明する。

 同学院は1875年に開校、幼稚園から大学まで運営している。セーラー服採用の詳しい経緯は不明だが、「当時は入学希望の理由となるほど好評だった」という。制服はその後ブレザーに変わったが、昨年、中学でセーラー服が復活した。

 一方、福岡女学院は1885年開校。宣教師の校長が発案し1917年からセーラー服導入を検討、21年に導入した。スカートにプリーツが入る今の一般的なスタイルに近い形だった。80年代に「日本初のセーラー服」と報道され、入学パンフレットにも「日本初」と記載されている。女優の牧瀬里穂さんや歌手の広瀬香美さんらが卒業したことでも知られ、03年には玩具大手「タカラ」(現・タカラトミー)が同学院のセーラー服姿の「リカちゃん」のキーホルダーを発売し話題を呼んだ。』(10月6日付毎日新聞)


【エスカレートする発祥論争】

セーラー服といえば日本では女子中高生の代名詞のようになっていますが、もともとは19世紀半ばにイギリスを起源として考案された水兵の軍服が起源です。日本海軍もイギリスに倣って少し遅れて採用したそうですが、僕らのなじみのあるセーラー服といえばやっぱりポパイやドナルドダックのセーラー服姿ですね。

さて本題の女学生のセーラー服。学生服メーカーがうっかり調べたばっかりにお得意さん同士の口論にまで発展してしまったというお粗末。こうなったからにはもうメーカーさんの手には負えないでしょう。学問的な論争というよりも、学校のPRのためという色彩が強いようですから、お得意さんである女学校や一般の人達の判断にまかせるしかありません。

【落ち着きどころ】

と思ってウィキペディアを見てみたら、早い! もう平安女学院と福岡女学院の論争の落としどころというか、どちらも納得できそうな「中庸」の説明が掲載されていました。

『日本で女子学生の制服としてセーラー服が採用されたのは1920年、京都府の平安女学院で、とされている。これはセーラー服の襟の部分が付いた洋服で、現在一般的に見られるようなセーラー服は福岡県の福岡女学院で時の校長エリザベス・リーが、活動しやすい体操服として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、1917年に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができるよう動きやすくするため、上着だけで3年を費やした。1920年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰っていたが、太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用され1921年に制服として採用された。同年、愛知県の金城学院でも制服としてセーラー服が採用されている。セーラー服が全国に広まった背景には、男子学生が陸軍の軍服に強く影響された折襟の学生服を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われている。』(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

もともとの起源はやはり平安女学院だけども、今のセーラー服の形として導入したのは福岡女学院だったという説明が「落としどころ」ではないでしょうか。僕は博多の人間なので福岡女学院に肩入れしたいところだけど、証拠が出てきた以上は平安女学院の言い分もわかりますね。ここで度量を示すほうが後々のためになるのではないでしょうか、福岡女学院さん。  


2007年09月09日

【髪の毛の色】

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」("To be or not to be: That is the question.")というのは、シェークスピアが書いた「ハムレット」の中の有名な台詞ですが、髪の毛の色を巡ってアメリカで大きな話題になっている似たような台詞があります。

「染めるべきか、染めざるべきか」("To dye or not to dye")・・・9月10日号タイム誌の記事「グレー戦争」("The Gray Wars")のタイトルの一節です。

そして記事の最初にライス長官と民主党のナンシー・ペロシ議員の髪の毛「ビフォー・アフター」の合成写真が掲載されています。その違い、結構強烈ですね。

あなたは髪の毛、染めていますか、それとも自然なままですか?

【髪の色論争-染め髪派の主張】

そのタイム誌の記事では、最近アメリカで髪の毛を染めるべきかどうか、その年齢と信憑性についてフェミニスト達の間で静かな論争が起きていると紹介しています。

The Gray Wars - To dye or not to dye. That is the question in the latest feminist debate over aging and authenticity

プロクター&ギャンプルの昨年の調査では、アメリカ人女性の65%が髪を染めていてグレイヘア(白髪?)のままいることの難しさがうかがわれるそうです。

例えば、著名な芸能人や政治家といった人たちに白髪のままの人はごくまれです。メリル・ストリープさんなどが時折スクリーンでややグレーな髪で出たりしますがそれはあくまで役柄上やっているだけ。

その理由はといえば、やはり、「若く魅力的に見てもらいたい」というのが女性の本音なんでしょうか。髪を染めている女性のうち71%もの人達がそう答えているそうです。

もうひとつは45歳や60歳であるよりもいつまでも30歳や35歳でありたいというファンタジーの中で生きたいという願望です。

【グレー派の主張】

これに対して、髪を染めない女性たちは「本当の自分」であることに重きを置けば、髪は染めないのが一番という主張です。24時間仮の姿を演じ続けるのは疲れるものです。

そう、髪を染めないという選択そのものがファッションよりはむしろクールな自己主張の証のようなものなのでしょう。

These days, choosing not to dye has become a statement rather than a casual stylistic choice.

日本でも女性は比較的若いときから髪を染めているようですので、アメリカと同じような論争はすでにあるのかもしれません。やはり世の東西を問わず、 「若く見られたい」「いつまでも美しくありたい」という女性の願望は強烈なものがあるようですね。

あなたは髪の毛、染めていますか、それとも自然なままですか?そしてそれはなぜ?  


2007年07月07日

【早食い競争】

ホットドックの早食い競争と言えば、あまりにもニュースで有名になった小林さんですが、今年はダメだったようです。

『米独立記念日の4日、ニューヨークのコニーアイランドで恒例のホットドッグ早食い大会が開かれた。大会6連勝中の日本の小林尊さん(29)=長野市出身=は12分間で自己最高の63個を平らげたものの、世界記録となる66個を胃袋に詰め込んだ米国人のジョーイ・チェスナットさん(23)に敗れ、7連覇はならなかった。
 小林さんは今年3月に母親を亡くし、大会前には「職業病」とも言えるあごの関節症に苦しんでいることを告白。万全とは言い難い状態の中、日本人ファンの声援を受けながらこれまで以上の食べっぷりを披露したが、及ばなかった。』(7月5日付時事通信)


【実は顎関節症?】

優勝を惜しくも逃した小林さんですが、実は早食い大会の前に顎関節症で苦しんでいるとの報道がされていました。

『小林さんは24日のブログで「先日、僕の顎(あご)が戦線離脱しました」と顎(がく)関節症になったことを報告、「口を開けても痛みがないのは指1本分まで。それ以上は痛くて開けません」と説明している。「フードファイターにとっての顎関節症は、野球で言えば投手がひじの故障をしたようなもの」と心情を吐露している。』(6月27日付毎日新聞)

こんな状態で出場も危ぶまれていたのに、準優勝まで行ったのですから大したものだなあと思うのですが、これだけ有名人になるとやはり優勝しないと本人も周りも許さないのでしょうね。

【身体が一番!】

ホットドックに限らず、日本でもいろいろな形で早食い競争や大食い競争などが開かれてその分野の猛者たちが熾烈な戦いを繰り広げていますが、そのあまりの凄さにいつも圧倒されてしまいます。

そしてこんなことばかり続けていたら、いづれ何らかの支障が身体に出てきて長生きできないのではと心配してしまいます。小林さんも丁度いい機会なので、そろそろ引退されたほうがいいのではないかとアドバイスしたくなりますが、みなさん、どう思われますか?  


2007年07月04日

【粘りの勝利】

島根の皆さん、おめでとうございます! ビックなニュースが飛び込んできました。

『国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は28日、クライストチャーチ・コンベンションセンターで新規登録の審議を行い、日本が推薦した島根県大田市の「石見銀山遺跡とその文化的景観」の世界遺産登録を決めた。

 同遺跡はユネスコ諮問機関から「登録延期」を勧告されたが、日本政府などの働きかけもあり、“逆転登録”となった。日本の世界遺産登録はこれで14件目で産業遺跡では初めて。

 同遺跡については、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(ICOMOS)」が5月、遺跡の普遍的価値の証明が不十分として、「登録延期」を勧告した。日本側は「李氏朝鮮の国史やヨーロッパの地図などで、銀山が東西の文明に影響を与えたのは明らか」などと反論していた。』(6月28日付読売新聞)


【島根を照らす歴史の光】

それにしても石見銀山って、正直学生時代の教科書で名前だけは知っていましたがそんなに歴史的価値が高いものとは知りませんでした。

僕のブログ仲間にhoddyさんという島根出身の方がおられるんですが、その方のブログにこう紹介してありました。

『島根県は出雲国と隠岐国、そして石見国、3つの国がひとつになった県なんです。その石見国にある銀山なので石見銀山です。ちなみに江戸時代は銀が取れる要所だったので、石見銀山周辺は天領(幕府の直轄地)でした。』(hoddyさんの「考える葦のブログ」より引用)

なるほどそうだったんだ。石見国があったんだ。そしてそこから取れる銀が17世前半には世界の銀産出の3分の1を占めていたんですね。

多くの神々の伝説に彩られた出雲や隠岐に、日本発の産業遺産として世界的な銀の産地だった石見が加わればもっともっと多くの人が島根に足を運ぶようになるでしょう。それも日本だけじゃなくて、世界の人々が来るようになるには、これからも地元の方々の粘り強い努力が必要ですね。地元のみなさん、頑張ってください。

僕も一度行ってみたいなあと思ってます。  



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