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2008年02月18日

【合掌するワンちゃん】

感心なワンちゃんがいるものですねえ。

『那覇市の首里観音堂(善國乗憲(よしくにじょうけん)住職)で、前脚で合掌のポーズを取る犬の「コナン」が人気を集めている。1歳半のロングコートチワワのオスで、参拝者もお祈りしている姿にびっくり。
 副住職の善國乗栄(じょうえい)さん(31)によると、「番犬になってくれれば」と一昨年から飼い始めた。「お寺だから」と合掌を教えたところ、2、3日で覚えてしまったという。合掌は、朝夕の食事前や散歩に行く際に特に積極的に行う。一見、無心に祈り、修行している姿にも見えるため、参拝者からは「感心、感心」との声も上がるが、善國さんは「もちろん、おねだりのつもりでしょう」と話している。 』(2月15日付読売新聞)


【合掌すること】

もちろん、コナン君はご主人である副住職さんに教えられるままに合掌の意味もわからずにやっているのですが、可愛らしいチワワに合掌されると参ってしまいますね。

合掌というのは、そもそもはインドに古くからあった風習で、仏教にとり入れられたといわれています。

『インドでは、右手を「浄(じょう)の手」、左手を「不浄(ふじょう)の手」と考えます。つまり、両の手のひらを合わせる合掌の形は、清浄(しょうじょう)な仏の世界と、私たちの迷(まよ)いの世界がひとつになるという、仏教の理想の姿なのです。私たちの心も、きれいな部分ときたない部分があります。それをしっかり自覚(じかく)することが大切です。』(寶樹山 萬福寺の小冊子「坐禅のこころ」より引用)

日本では仏様に合掌するのはもちろん、神社でも拍手をした後に合掌しますし、身近なところでは食事の前に手を合わせたり、日常生活に深く自然に溶け込んでいるのです。

合掌する人の姿は何か清浄で神々しい感じがします。自らの我を捨てて、仏や神様に感謝する気持ちがそうさせるのでしょうか。

ワンちゃんのあどけない合掌姿をみながら、人間も時には無垢になって合掌することが大切だなあと思いました。  


2008年01月02日

【初詣の神社】

みなさんは初詣はどこに行かれますか?大晦日NHKでは、東京の浅草寺が出ていましたが有名な神社だけでなく近所の神社に初詣に行かれる方も多いと思います。そんな初詣の神社に関するアンケートが目に付きました。

『昔から「一年の計は元旦にあり」と言うように、新年を縁起良くスタートさせるため、今日、神社やお寺へお参りに行く人も多いことだろう。そこでオリコンでは、「初詣で行きたい場所」についてアンケートを実施。その結果、【近所の神社】が1位であることがわかった。なかでも「毎年恒例だから」(岐阜県/中・高校生/女性)という理由が目立ち、昔からの慣習を大事にしている人が多いようだ。昨年のランキングでも【近所の神社】が1位に選ばれたことから、初詣の名所の混雑ぶりが毎年のように報道されるものの、“地元で初詣”というスタンダードなスタイルもしっかりと根付いていることがわかる。』(1月1日付オリコン)

【近所が一番】

日本全国いろいろな神社がありますが、神社とはそもそも神が祭ってある場所のことで、神社、大社、天満宮など様々な呼び方があります。その神社に普段はそれほど信心深くない人でもお正月には足を運ぶのではないでしょうか。

そして最も足を運ぶ神社はやっぱり身近な神社でしょう。僕の住む福岡では三社参りといって正月には三つの神社に初詣するのが慣わしですが、やっぱり近くの神社に先ず足を運びます。

僕の場合は先ず香椎宮。次に宮地獄神社、そして櫛田神社というのが定番のコースです。子供が受験のときは太宰府天満宮に行きました。

神様にはいつもそばにいて見守ってほしいもの。そういう意味でも近所の神社が初詣には一番ですね。みなさんはどこの神社に初詣に行かれますか?  


2007年12月26日

【振る舞い酒見直し】

神社も飲酒運転防止にアイデアを競っています。

『広島県福山市丸之内の「三蔵稲荷神社」は元日、振る舞い酒の代わりとして、小瓶に移した酒を参詣客に配る。飲酒運転防止にと、石川紘彦宮司(67)が、今年の初詣でから始めた取り組み。27日に酒の瓶詰作業を行い、迎春準備を整える。
 三蔵稲荷は、約380年前に福山城を築いた戦国武将・水野勝成ゆかりの神社。毎年、正月3が日は、約10万人の人出を見込む。市の中心部にあり、初詣でには、車での参詣客も多い。これまでは「飲酒運転お断り」の札を出しても、飲まずに帰っているか確認できないのが実情だった。
 そこで、石川宮司は昨年12月、信者から寄贈された樽(たる)酒を見て、振る舞い酒の中止と、お神酒の「瓶詰配布」を発案。背景には、全国的に盛り上がる飲酒運転撲滅の機運があった。
 今回も、酒を100ミリリットルの小瓶約700本に分け、ラベルを張って準備。平成20年の元日午前0時、この瓶を樽につめて鏡割りを行った後、参詣客に配布する。今年は、準備した約700本が元日午前零時から約2時間で終了。振る舞い酒がなくなったことへのクレームもなく、反応は上々だったという。』(12月25日付産経新聞)


【正月から飲酒運転は×】

振舞い酒をやめる神戸の生田神社や、代わりに梅茶を振舞うことにした岡山市の最上稲荷など、新聞によれば全国的にも神社の振る舞い酒を見直す動きが広がっているようです。

これだけ飲酒運転撲滅の機運が高まっている中で、たとえ量的には無視できるお酒でも控えるのがこれからの大人の心得です。

みなさんも正月初詣での振舞い酒、家でのお屠蘇など、「車に乗るなら飲むな」で安全運転に心がけましょう。きっと正月から厳粛な気分になれると思いますよ。  


2007年12月23日

【驚くべき発見】

これはすごい発見だと思わずニュースを見て思いました。親鸞の新しい思想が見つかるかもしれません。

 『浄土真宗の開祖、親鸞の思想を伝え、あまたの研究者や門信徒が一字一句まで読み込んできた根本聖典「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」に、未知のメッセージが隠されていた。親鸞自筆の国宝「坂東本(ばんどうぼん)」から見つかった親鸞コード(符号)とも言うべき、角筆(かくひつ)による書き入れは、仏教界だけでなく、数多くの文学者、思想家を魅了する巨人の思想の知られざる一面にも光を当てそうだ。

 「あれっ、紙面に傷があるぞ。まさか角筆では」。04年春、京都国立博物館(京都市東山区)で、前年夏からの坂東本の修復を終えて、とじひもが掛けられる直前、書跡研究家の赤尾栄慶・企画室長が、光の当たり具合によって、かすかに浮かび上がる細いへこみ傷の存在に気づいた。

 親鸞の七百五十回忌(2011年)記念事業の一つで、国庫補助も受けているこの機会を逃せば、次はいつ表紙がめくられるかさえわからない。急きょ、所蔵者である真宗大谷派(本山・東本願寺)の許可をとり、角筆や訓点資料などの専門家、宇都宮啓吾・大阪大谷大教授を招いて追加調査が始まった。

~中略~

約1カ月がかりで、700カ所もの角筆の書き入れが確認された。威力を発揮したのは、警察が鑑識作業で指紋を検出するのに使う小型の緑色LEDスポットライトだった。

 坂東本は傷みがひどく、研究目的であっても熱や光を長く当てることができない。LEDは紫外線や赤外線を含まない冷光源で、緑色の光は蛍光灯の色と同化せず、凹凸の陰影をくっきりと浮かび上がらせる。』(12月22日付毎日新聞)


【角筆とはなんぞや】

それにしても今回見つかった書き入れは角筆で書かれたものだったとのことですが、一体角筆(かくひつ)とは何でしょうか。広島大学の角筆資料研究室のホームページから引用します。

『角筆は、箸一本の形で、長さが二十四糎余(小尺の一尺)を基準とした。象牙または竹または木で作り、一方の先端を削りとがらせ、この先端を古代紙の紙面に押しあて紙を凹ませることによって、文字や絵を書いた。鉛筆が日常的に使われるようになるまでの、毛筆が専用された時代における、もう一つの筆記具であり、いわば鉛筆のように、私的なメモ的な場に主として用いられた。鉛筆は黒鉛の迹が黒く残るのに対して、角筆は、凹みだけであるから“色”が付かない。そのために、今まで古文献の研究者から見逃されてきたものである。』

同研究室の説明によれば、この角筆という用具は、毛筆と並んでもう一つの古代の筆記具として存在したことが最近判明したということなのだそうです。

用具自体も凄いのですが、親鸞のように何らかのメッセージを伝えるために使われたというのはさらに凄いことですね。昔の日本人は本当に凄い。思想もあって、こういう技術もあったなんて素晴らしいですね。

そしてその文字を現代の最新技術であるLEDの光で見つけたというのが何か現代と古代をつなぐミステリーを感じさせますね。

親鸞が開祖したといわれる浄土真宗の信者としては(あまり熱心な信者ではありませんが)、古代史の研究者の方々が是非とも今回の発見を親鸞の思想研究に生かしてほしいと切に願います。  


2007年12月22日

【僧侶がバー経営?】

世の中にはいろいろなお坊さんがいるものですね。9月には高野山が経営するカフェレストランが青山にオープンしたことをお伝えしましたが、今度は四谷に坊主バーの出現です。

『年の瀬12月に入り、四谷・荒木町にある本物の僧侶4人が運営する「坊主バー」(新宿区荒木町、TEL 03-3353-1032)が静かな人気を集めている。

 同店は浄土真宗本願寺派の僧侶が運営しているショットバー。現役の僧侶が「バー」という形態で、広く一般の方々に布教したいとの思いがきっかけとなり、1992年に大阪・心斎橋に1店目を開業した。予想以上に好評を博し、2000年9月に同店が開業、3年ほど前には東京・中野に3店舗目がオープンした。

 同店の入り口には「南無阿弥陀仏」と書かれた木の板、仏壇があり、お香の匂いがかすかに漂う店内では作務衣姿のスタッフが料理やアルコール類を提供。通常のバーとしてはもちろん、日常や人生の悩み相談や「説法」を受けにくる客などを中心に営業を続けている。』(12月20日付市ヶ谷経済新聞)


【意外な人気の秘密】

それにしても入り口に「南無阿弥陀仏」と書かれた木の板と仏壇とは異色ですよね。一体どんな方が飲みにくるんでしょうか。

でも、この坊主バーの意外な人気わかるような気がします。というのは、告別式や法要のときに聞くお坊さんのお経や説法。みなさん、なんて言っているかわかって聞いておられますか?僕はさっぱりわかりません。わからないから眠くなる。眠るとなおさらわからなくなる。その繰り返しで何十年も無為に聞いてきました。

本来仏教の説法は、生きることに悩む信者や庶民のためにあるはずです。説法する側も聞く側も、もっと歩み寄って親身にコミュニケーションする場があればいいのではないかと思えば、「それじゃバーを開くか」という気にもなるのかもしれません。

そんな僕もこのニュースを見て、バーテンダーとなったお坊さんに説法の中身を酔った勢いで聞いてみたくなりました。みなさんはどう思われますか?


《参考》

・「高野山が東京に出現?」・・・・07年9月12日付の僕のブログ記事  



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