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2008年11月10日

【筑紫氏、死去】

またひとり大物がこの世を去った。

『ニュースキャスターの筑紫哲也(ちくしてつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため東京都内の病院で亡くなった。

 73歳だった。告別式は近親者のみで行い、後日「お別れの会」を開く。喪主は妻、房子(ふさこ)さん。

 大分県出身。早稲田大卒業後、1959年に朝日新聞社に入社。政治部記者、ワシントン特派員などを経て、84年に「朝日ジャーナル」編集長に就任。「新人類」「元気印」などの流行語を生み出した。78年から82年にかけて、記者活動のかたわら、「日曜夕刊!こちらデスク」(テレビ朝日系)のキャスターも務めた。

 89年に朝日新聞社を退社、TBS系「筑紫哲也NEWS23」のキャスターに転じた。雑誌的な切り口や街頭インタビュー、コラムコーナー「多事争論」など、従来の報道番組にはなかったスタイルで、テレビ朝日系「ニュースステーション」の久米宏さんとともに、新しい形のニュースキャスターとして人気を集めた。

 TBSが、オウム真理教幹部に坂本堤弁護士のインタビュー映像を放送前に見せてしまう問題が発生。これが坂本弁護士一家殺害のきっかけになったとされたことから、96年3月「TBSは死んだに等しい」と番組中で発言し、論議を巻き起こした。』(11月7日付読売新聞)


【立花氏とのコラボ】

筑紫さんと言えば、何と言っても長年の立花隆氏との親交、メディアでのコラボを思い出さずにはいられない。政治では立花氏が長年追求したロッキード事件、サイエンスでは宇宙、脳などに関する番組での共演など数え上げればきりがないほどだ。それほど立花隆氏も「筑紫さんとなら」と思っていたのだろう。筑紫哲也氏は、フリーのジャーナリストとしては巨人と称される立花隆氏をして、「戦後日本が生んだ最大のジャーナリストと言って過言ではないでしょう」と言わしめるほどの大物のキャスターだった。

【追悼】

その筑紫さんは、2007年5月、番組中に自ら肺がんであることを告白したのちも、時折番組への出演を続けながら療養されていた。最近では、今年5月に「テレビジャーナリズムの確立に多大の貢献をした」として日本記者クラブ賞を受賞し、8月11日放送の「NEWS23 マンデープラス」が最後の出演となった。73歳と言えば、まだまだ日本の政治や社会の現状に対して、ひとりの大物ご意見番としてますます活躍が期待される年齢だった。

自ら企画し、自ら独特の語り口で世相を斬る「多事争論」コーナーでの笑顔ももう見られないかと思うと淋しい。心からご冥福をお祈りします。
  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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