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2009年04月20日

【マニフェストに入れる?】

自民党が世襲候補の制限を巡って揺れているとの記事が目に留まりました。

『自民党が、国政選挙での世襲候補の立候補制限をめぐって揺れている。次期衆院選のマニフェスト(政権公約)策定プロジェクトチーム(PT)の座長に内定している菅義偉選対副委員長が、立候補制限をマニフェストに書き込もうと提唱していることに対し、17日、自民党内で反対の声が相次いだ。菅氏は次期衆院選や現職議員には適用しない考えとみられるが、それでも党内の「2世議員」には抵抗感が強く、新たな火ダネになる可能性もある。

「もしそういうことなら私は世襲の権化です!」

 17日の自民党役員連絡会で、小坂憲次衆院議運委員長が立ち上がり、声を張り上げた。小坂氏の父、故善太郎氏は、外相も務めた有力な衆院議員だった。憲次氏の祖父、曾祖父も衆院議員だったからだ。

 また、小坂氏は「本当に規制するなら(世襲議員は)党から出ていくべきだということになる。私も覚悟を決めなければならない」と語った。現職には適用しなくても、マニフェストに盛られるだけで選挙戦で不利になるとの警戒感があるようだ。』(4月17日付産経新聞)


【末期症状】

この記事を見て、自民党もここまで来たかと思うより、日本の政治そのものがすでに末期症状に至っているという思いを強くしました。世襲候補制限をマニフェストに載せるべきかどうかと議論しなければならないほど、日本の政治家たちは石を投げれば世襲議員に当たるほどそこらじゅう世襲議員だらけになっているのです。世襲議員でない政治家を探すほうが至難の業なのです。しかもその制限から現職議員ははずすという。茶番以外のなにものでもない。

政治家がその地盤を子供に引継ぎ、政治の舞台に出ることは個々の政治家のレベルで云えば立候補の自由がある中でとやかく他人がどうこう言えることではないのかもしれません。

しかし、日本の政治、日本という国家の百年の計を考えれば、これほど由々しき事態はそうざらにはないのではないでしょうか。世襲議員たちに百年先の国民国家を論じる気概があるでしょうか。江戸から明治の時代に変わるとき、時代を引っ張っていたのはどんな人達だったかは歴史書に辿れば誰でもわかることでしょう。既得権益に守られた世襲の人達が時代を変革できるわけはないのです。

こんな騒動を聞くにつけ、ほんとうにこの国の将来を憂いたくなるのは僕だけでしょうか。

  
タグ :世襲議員




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