2011年09月05日
まるで官僚の答弁のような言い回しです。

定期点検中の原発に関しては「安全性をしっかり確保し、地元の理解を前提に再稼働する」と指摘。新たな原発建設は「現実的には困難だ」とし、「寿命が来たものを更新することはない。廃炉にしていきたい」と語った。』(9月2日付時事通信)
【現状追認が政策?】
野田新首相の調整型的な政治スタンス、経団連の歓迎ぶりなどから原発に関して首相としての新しい方向性などは出てこないとは予想していましたが、首相の口から出た言葉はその予想通りでした。
新首相は、菅首相の「脱原発依存」を継承するとしながら、定期点検中の原発は安全性を確保して再稼働すること、新規の原発建設は困難なこと、寿命が来た原発は廃炉にすると述べました。
ちょっと待って下さい、これって単に現状を追認するということではないですか?寿命が来た原発を廃炉にするなんて当たり前の話ですし、新規の原発建設など福島の核惨事を経た今では誰も現実的だとは思っていません。これを「脱原発依存」だと言えるでしょうか?国民をごまかしてはいけません。現状追認なんて政治家の怠慢以外の何物でもない。就任当初からそんな姿勢で巨大な原子力ムラの権力に立ち向かえるはずはありません。これは原子力ムラに対して「仰る通りにしたします」といっているのと等しい。
今原発を巡り政治家に求められているのは、地震が多発する日本では第二・第三のフクシマが高い確率で起こりうること、そしてまた実際に起こったら日本は経済も社会も文化も何もかも崩壊の危機に晒されるということであり、そういうとてつもないリスクを抱えながら既存の原発を維持していくのか、それとも危険な原発をすべて廃炉にして安全な社会を直ぐに実現するのかという切羽詰まった選択を真剣にやらなければならないということです。
既得権益におもねって住民や国民の命をないがしろにするのであれば、3/11以前となにも変わらない。そういう覚悟でもって原発問題に立ち向かっていってほしいと思うのは僕だけでしょうか?
「地元の理解」は「国民の理解」という言葉に置き換えてもいいのでは?
さらに、原発の問題は核兵器問題と同じように世界的レベルで話し合わなければならない問題にしてもいいのではないでしょうか。
日本は今回ずいぶんと放射能を撒き散らしましたから。世界中のどこで起きてもおかしくない原発事故、いまや日本は情報を世界にむけて発信し警鐘を鳴らさねば。
野田首相に対しては事故直後の司令官として今後世界のあちこちでおきるであろう原発事故を未然に防ぐために一歩進んだ役割を期待します。
Posted by komorebigarden at 2011年09月05日 09:25
おはようございます
西日本新聞の「春秋」の書き手になってください! 今 書いている人はイマイチ!で・・・
Posted by ji-an at 2011年09月05日 10:17
仰る通り、フクシマの核惨事は世界的な原発災害として認識しなければならないと思います。その処理に対する日本のお粗末な対応は世界中の国々から将来賠償を求められる可能性が高くなっているそうです。(以下のブログをご覧ください)
http://news.livedoor.com/article/detail/5835107/
ただ、だからと言って「原発の廃炉技術の温存のために原発が必要だ」といった一部地域人の詭弁に惑わされないようにしないといけません。
Posted by luckymentai at 2011年09月05日 13:14
ii-anさん、コメントありがとうございます。
僕には西日本新聞の「春秋」に書けるような能力はありませんので、自分の庭(ブログ)で主張し続けます。
Posted by luckymentai at 2011年09月05日 13:16
「一部地域人」ではなく、「一部知識人」でした。訂正します。
Posted by luckymentai at 2011年09月05日 13:17