生きざまとしてのブログ

luckymentai

2009年08月19日 05:24

【主なきブログ】

「自分がいなくなったら、ブログはどうなるんだろう。」~みんな一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

『自分がこの世を去ったら、日々更新しているブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の日記はどうなるのか-。サービス業者によると、たいていは誰かが削除の依頼をしなければ、残り続けることになるという。書き込みが死後も消えないのは複雑な気持ちだが、残ることで訪問者が絶えない“墓碑”のような存在のブログもある。「お盆だから、亡くなったあの人の書き込みを見てみよう」。そんな時代が来るかもしれない。』(8月13日付産経新聞)

【様々な生きざま】

ブログは本人が語る本人の「生きざま」です。この産経新聞の記事に引用されているのは、7月28日に乳がんで亡くなった川村カオリさんのブログ「川村カオリの調子はいいんだけど…。」です。このブログは今も削除されず、訪問者が絶えることはなく、死亡を伝えるエントリへのコメントは1万2千以上もあるとのことです。

インターネットが普及して今日のように個人の日記をブログという形で公開するような「社会現象」がでてくる前は、個人の私的な記録はよほどの有名人などでないかぎり他人が見ることは出来ませんでした。しかし、時代は変わりました。若い人も年寄りも、男も女もどんどんブログやSNSに自分の日常の出来事を書いて公開しています。そしてそれらのブログ記事はよほどのことがない限り、本人がいなくなってもバーチャルな空間に残り続けるのです。
まだこういったブログ全盛時代は始まってから数年しか経っていないので、書き手が死んだらどうなるのかというのはあまり話題にもならなかったのではないでしょうか。

【生きざまを「残す」】


人はなぜブログを書くのか?それはきっと、「何かを伝えたい」、「誰かに知ってもらいたい」、「自分の生きざまを残しておきたい」と考えるからではないでしょうか。であるならば、バーチャル空間に漂うブログは本人の生死にかかわらず、その人の生きざまの証しそのものなのかもしれません。

記事の中で、インターネットに詳しい関西学院大学の鈴木謙介助教(社会学)は「(サービス会社が)永続するとは限らず、記述が永久に残るということはない。ただ、管理してくれる誰かがいれば、ブログは死者をしのぶ新しい手段になるかもしれない」と話しているとありますが、これからは主のいなくなったブログは「ネットの墓標」として人々に語り継がれていくようになるかもしれませんね。

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