【怒涛のような2週間】
3月11日に東北関東大地震が発生して16日が経過しました。地震と津波による死者・行方不明者は2万人を超えてまだまだ増えて行きそうだとメディアは伝えています。現代日本が未だかつて経験したことのない大災害です。2週間以上経過した今、助かった被災者の救援が最優先の課題となっています。
そしてもうひとつの大きな災害である福島第一原発の事故。こちらは直接の死者こそ出ていませんが、原発周辺の住民の方々、福島県をはじめとする近隣県、そして関東・首都圏を中心に日本全国、世界にまで放射能汚染の恐怖のどん底に陥れました。
この二つの災害の大きな違いは、地震と津波は災害発生後の救援にステージが移っているのに、原発事故は未だ救済どころか恐怖が現実のものになるかも知れない、出口の見えない状況に陥っているところです。
怒涛のように経過したこの2週間。僕自身はチェルノブイリ事故以来、日本での大規模原発事故を心配していたので、それが現実となったことに衝撃を受け、この未曾有の原発事故の経過を追い続けています。
【見えてきたもの】
昨日は本屋に行って週刊誌を中心とした雑誌メディア(AERA、週刊朝日、週刊文春、サンデー毎日等)が地震と原発事故をどう報道しているか、いくつかの週刊誌を手に取って見てきました。事故から2週間近くが経過した今、テレビ、新聞、そして雑誌、さらにはインターネットという媒体を通して、
ここで一度事故発生から今までに見えてきたもの、未だ見えないものが何かについて考えてみたいと思います。
1. 福島第一原発事故は天災ではなく、人災だということ
事故発生当初から僕は今回の原発事故は、東電や政府の言う
「想定外」の津波が直接の引き金とはいえ、
「原発は安全」としてきた
原発に携わる当事者の方々の原発そのものや防災、危機管理、そして市民社会に対する認識の甘さ、傲慢さ、怠慢がもたらした「人災」であると思っています。それは事故後の東電、原子力安全保安院、原子力安全委員会、政府官邸等の対応があまりにもお粗末で見るに堪えない狼狽ぶりだったことからもうかがえます。しかもそれは
政府・電力会社・原子炉メーカーが三位一体となって進めてきたわけですから、東電だけを責めるのは事の本質を見誤る可能性があります。いづれにしても、それら当事者たちの上層部の怠慢のために現場で必死で作業している人たちや近隣住民の方々がどれだけ命を脅かされていることか。そしてそれは今も続いています。
以前にも書きましたが、
スリーマイル事故やチェルノブイリ事故、さらには国内での無数の重大事故、専門家の巨大津波の警告等をないがしろにし、特にチェルノブイリ事故の鳴らした警鐘を文明観の転換に結びつけることもせず、事故後25年間という貴重な時間も無駄にしてしまったことが今回の事故の原因だと思います。
こんなに酷い事故を起こしてなおも情報を隠そうとし、「想定外だから」と言い訳をし、国家のエネルギー政策の抜本的見直しを怠るようなことがあれば、国民は黙っていないでしょう。もちろんその際忘れてはならないのは、国や電力会社に対して、今まで何十年も怒りの声を上げずに見て見ぬふりをしてきたのは他でもない電気の恩恵だけを受けてきた都市を中心に住む僕たち国民だということです。(3月19日に書きました)
2. インターネットによる情報社会の存在の大きさと国際的な情報発信の貧弱さ
もうひとつ見えてきたものがあります。それは
ツィッターやフェイスブックといったソーシャルネットワークを中心にインターネットによる個人を中心とするメディアが巨大災害の発生後、とてつもない役割を果たしているということです。
先ずは負の側面。僕も経験しましたが、地震発生直後から数日にわたってチェーンメールやツィッターのRT(リ・ツィート)を使って様々な流言飛語が飛び交い、インターネットがなかった時代には考えられなかったスピードで拡散していったことです。特に被災した現地よりも、被災地以外の地域での間接情報に基づくチェーンメール等が流言飛語を増幅したのではないかと推測します。幸いなことに、日本人の国民性でしょうか、比較的多くの人が冷静に対処したのではないかと思いますが。
プラスの側面もあります。それは僕自身が経験したことですが、福島第一原発事故についての政府発表の真偽、事故の進捗・拡大の可能性、メルトダウンの可能性、専門家の意見などについて様々な考え方や事実、参考となるデータなどがツィッターやブログ、各機関のホームページ等を通じて公開され、個々人が判断する材料が比較的多く得られているということです。枝野官房長官や東電、原子力安全保安院の記者会見などと比べながら真実はどこにあるのか、見極める手掛かりが少しでも得られるということはパニックを防ぐうえでも重要だと思われます。
具体例をひとつ申し上げます。3月22日に配信された村上龍のメールマガジン「ジャパンニースメディア」で
環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏のレポートが紹介されました。村上龍自身も福島第一原発の状況に不安と疑心暗鬼が深まるなか、事故がどこまで進むかについてこのレポートは貴重な示唆といくらかの安心を与えてくれたとのことでした。僕も読んでそう思いました。
以下から、pdf.でダウンロードできます。
http://www.isep.or.jp/images/press/script110320.pdf
もうひとつ国際的な情報発信の問題があります。海外のメディアの福島第一原発に関するニュースを見ていると、日本に対する
不安感がものすごく大きくなっているということと、日本に対する不信感が大きくなっていることを感じます。その原因のひとつは、
政府から出てくる情報があまりにも統一性がなくて信頼感に乏しいこと、さらにはそれらの公式発表が英語でしっかりと出来る人がいないこと、英語での文書による資料も極端に少ないことが挙げられます。特にBBC、ABCやNBC、CNNといった欧米のテレビやiPadの放送で放映される枝野長官等の政府発表に女性の同時通訳の声がかぶさっているのですが、それらも信頼感を損ねている一因かもしれません。
世界に発信できるかどうかについては政府・東京電力の当事者能力が低いことから考えると今すぐに対応するのは難しいでしょうが、であれば
IAEAなどの力を借りて世界に向けた一貫性のある発表を急ぐべきです。もちろん、その前提となるのは信頼できる公開情報を出来る限りだすことが必要です。
3. 福島と首都圏、九州の温度差
3つ目に福島第一原発の周辺地区、首都圏、そして九州の事故に対する温度差についてです。東北の方々は辛抱強いと昔から言われていますが、今回の地震・津波災害、原発事故においても、テレビを見る限り現地で被災された方々や原発の放射能被害に遭われている方々、自治体の関係者などのインタビューで感情を抑えた表情で語っておられるのが目につきます。しかし、実際にはこの後に及んでも情報を出し渋ったりする東電や政府関係者の対応にハラワタが煮えくりかえる思いだと察します。
そして首都圏。これも関東に住む知人に聞いたり、テレビなどで見たりする情報に限られますが、首都圏の方々は福島第一原発の事故の進展具合では大規模な首都圏での放射能汚染の可能性も指摘される中、平静を装いつつも相当緊張感を持って事故の状況を心配して見ておられるのではないかと思います。すでに首都圏の水や食品の放射能汚染も起きています。場合によっては、
プルトニウムという半永久的に残留する猛毒物質を含むMOX燃料(プルサーマル用)が装填されている福島第一原発3号炉等の放射能のさらなる拡散といった事態が来れば、首都圏も無傷ではいられない差し迫った状況も考えられるからです。
これに対して福島や関東からは遠く離れた九州、福岡ではそれほど差し迫った危機感は感じられません。友人や知人や家族が福島や関東におられる方は相当の懸念を持ってあると思われますが、多くの一般の人々は現地の人たちに比べれば不安感は低いと思います。
この福島、首都圏と九州あるいは北海道など他の地域との温度は僕は実は事故収束後に大きな影響を与えると考えています。なぜなら日本全国には高速増殖炉を含め55基の原発があり、福島と同じ事態はどこの地域でも起こる可能性があるからです。これから原発を中心とするエネルギー政策の見直しは必至です。そうした中で、福島原発周辺地域と関西・四国・九州・北海道などとの事故に対する温度差は、原発の是非についての大きな意見の相違につながってくる可能性があります。ただ、全国の電力会社の頂点に位置する東京電力、事故に大きな責任のある経済産業省が事故の被害を被る可能性のある首都圏にあるということは今後の原発の議論に大きな意味を持ってくると思います。
【見えないもの】
そして最後に見えないものについてです。それは事故の最終的な出口です。福島第一原発は事故を起こした現在1号機から4号機まですべての原子炉の状況が東電や政府にさえ明確に詳細までは把握されていないのではないのでしょうか。しかも、高濃度の放射能汚染の中、現地での効果的な作業までも滞っている状況です。炉心の状態がどうなのか、使用済燃料プールは大丈夫なのか、自信を持って答えられる人が事故の当事者にいない。
これは身の毛もよだつ事態です。普通の事故ならまだしも、大規模な放射能汚染のさらなる拡散の可能性がある原発が1機ではなく、4機もあるのです。
原発事故がこれほどの規模で起こったために、政府も民間も本来救援を急ぐべき地震と津波の被害に遭った他の東北の地域の初動対応から今まで相当の遅れが生じていることは間違いないと思います。
これから福島第一原発の放射能汚染をどう食い止めていくのか、政府と東電は全力で対応してもらわなければなりません。そして僕ら国民は事態の推移と対応を厳しく監視し、事故の推移について想像力を働かせて次に取るべき行動を自ら判断していく必要があると思います。