2008年12月08日
ホンダが自らのDNAを変えかねないほどの大決断を下した。

F1で培った車体設計や駆動制御などの技術を中・大型クラスのハイブリッド車や1000ccクラスの小型ガソリン車、小型ディーゼルエンジンなどの開発に生かす。09年を含め鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)でのF1レース開催は継続する。』(12月5日付日経新聞)
【不況と自動車】
今回のホンダの決断が意味するところは、ホンダ1社に限らず、他の自動車メーカー、いや、他の産業、これからの社会のあり方まで考えさせられるほどの衝撃があった。

【環境と自動車】

今回ホンダがそのF1から撤退したのは、未曾有の不況が目先の理由ではあるが、福井威夫社長がいみじくも語っているようにこれからの自動車はスピードよりも環境へいかに対応するかが問われているからだ。21世紀に厳しい競争を生き残るにはスピード優先の開発よりも、いかにクリーンで省資源のクルマを作るかが問われているのだ。
今回のホンダの決断は、ある意味、クルマが引っ張った20世紀型の世界経済が本当の意味での大転換を促されているということでもあるのだ。もしかしたら、僕たちはクルマそのものが、これからの社会には必要とされなくなるほどの発想の転換を迫られているのかもしれない。
ホンダの決断-あなたはどうお考えですか?
ホンダの一大英断記事、思い入ります。
いまから8年前になりますか。ホンダさんが和光の研究所にある小さなセクションを立ち上げられました。基礎研究室という2030年経済社会を展望した社会技術研究を始めるためです。
そこのセクションのトップの方からある晩秋の日、北陸の私の研究室に一通のメール、そしてお電話が入りました。のうちのそちらにお願いに伺いたいと言われました。その方は急にホンダ北米本社を立ち上げの社命を受けられて年明けの幕のうちに別の2名の技術畑の方が見えられた。
もし、そちらに国立大学定年を待たずに転職していたら、全く違った人生がいまの小職にはあったでしょうし、今次の大英断にもかかわっていたのかも知れないです。私儀になりますが、その数年後の2004年にそこの大学定年後に、現職しております九州博多の私学に赴任してまいりました。若い日を学生運動に手を染めて彷徨をもった人間として教育者に徹させて人生を閉じようと決した次第です。そこの大学の環境系学部創設、そして大学院開設にかかわらせてもらった次第です。
そして昨年秋に立ちあがったコンソーシアム福岡という大学(院)戦略的連携事業に文部科学省からの支援助成を頂く取組担当(ゼネラルマネージャ)を拝命することになりました。 http://www.consortium-fukuoka.jp/ です。
そしてこの3月には、古希の者として完全に教壇を降りさせてもらい、北陸の家族の許に北帰行、余生に入ります。去る14日には最終講義を終えています。ブログ庵主さんにもお世話になりました。
Posted by 富山通りもん at 2009年01月21日 07:20
そんな転機が先生にはあったんですね。本当に人生とはわからないものですね。
でも福岡ですばらしい仕事をされて、先生の仕事を引き継ぐ人たちも育っているみたいですし、地元出身の僕らにとってはホントに先生に感謝の気持ちでいっぱいです。もう福岡に来られることはないのですか?
Posted by luckymentai at 2009年01月21日 12:55