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2010年11月29日

【踊らない会議】

会議がもう目前と言うのに昨年とは打って変わって世界からは一向に注目されていないようです。

『地球温暖化対策を話し合う国連気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)が29日、メキシコで開幕する。京都議定書に基づく削減期間が12年末で切れるのを踏まえ、新たな枠組みづくりが主要議題となる。事前交渉では、議定書の枠組み延長論が浮上し、日本は、米国や中国など主要排出国が削減義務を負わない現行枠組みでは実効性が乏しいと反対する。松本龍環境相は12月7日からの閣僚級会合の前から現地入りし各国に理解を求める。

 日欧は米中を枠組みに加えるよう主張するが、中国は排出削減義務が経済に悪影響と反発。米国も参加に消極的で、これまでの事務レベル交渉は空転した。このままでは13年以降に削減目標がない空白期間が生じるとして、途上国を中心に現行枠組みを延長する声が強まり、日本は孤立しかねない状況になっている。

 議定書で削減義務を負う国の排出量が世界全体の27%で、米中不参加の枠組みは日本の産業にとって国際競争で不利になる。松本環境相は「議定書延長が世界全体で二酸化炭素を減らすという目標につながると思えない」と話す。』(11月27日付毎日新聞)

【遠のく合意、高まるリスク】

COP15が残した傷は深く、京都議定書に基づくCO2の削減期限が12年末に迫る中、世界各国を巻き込んだ実効性のある新たなCO2削減策が合意される可能性は極めて低い。これが世界の現実なのだ。

多くの科学者が危惧する地球規模の危機を回避しなければならないという総論には賛成しながらも、どこの国がどれだけ削減するかという各論に入っていけばいくほど各国の政治的思惑や自国の利害の前に一歩も進めなくなるという現実。

3年、5年先のリスクならば回避する術を持ち得ても、10年、20年先のリスクには目をつぶってしまう人間の愚かさ。他人の批判をすることには熱心でも、大きなリスクを冒して自ら行動することには躊躇する愚かな人間たち。

最も想像力を働かせて、今こそ立ち上がるべきときに何もなしえない人間たちには、この気候変動の危機を乗り切ることは本当に困難なことなのでしょうか。注目されないからこそ、今年のCOP16の帰趨をしっかりと見ておくべきだと思うのは僕だけでしょうか。  



2010年11月26日

【過去最高】

恐れていた現実がひたひたと忍び寄ってきているようです。

『世界気象機関(WMO)は25日までに、二酸化炭素(CO2)など地球温暖化の原因になる温暖化ガスの世界平均濃度が2009年に過去最高を記録したと発表した。特に温室効果が大きいとされるメタンは3年連続で高い伸びとなったが、WMOは「原因は十分に分かっていないため、今後の見通しははっきりしない」としている。

 WMOは世界各国の地上観測点や船舶、航空機などを利用し、温暖化ガスの大気中濃度を測定、年平均値を求めた。

 年報によると、09年のCO2濃度は386.8PPMで前年より1.6PPM増加。メタンは1803PPBで前年より5PPB、一酸化二窒素は322.5PPBで同0.6PPB、それぞれ増えた。産業革命前に比べ、現在の大気中濃度はCO2が38%、メタンが158%、一酸化二窒素は19%高くなっている。

 メタンの増加原因は詳しく分かっていないが、07年の北極地域の異常高温で永久凍土が溶け出し地中から大量に放出されたことや、07~08年の熱帯地域の多雨でメタン主要発生源となる湿地が拡大したことが影響していると考えられるという。』(11月25日付日経新聞)

【悪循環の悪夢】

昨年12月のCOP15が失敗に終わってからほぼ1年が経過して、世界のメディアから地球温暖化や気候変動のニュースがめっきり少なくなりました。一体、COP15前の騒ぎが何だったのかと思わせるほどです。もちろん、それはCOP15開幕の1か月位前から気候変動を支持する学者グループが地球温暖化の事実を歪曲したことがその多数の交信メールから発覚したとする、いわゆる「クライメートゲート事件」が起こったことで、IPCCの権威が著しく傷つけられたばかりか、その後のCOP15の議論にも少なからぬ影響を与えたことも関係しています。

しかし、人間がどんなに疑心暗鬼に陥ろうと、対策を取ろうと取るまいと、今回のWMOの発表に見られるように恐ろしい現実が刻一刻と地球上のすべての生命に降りかかってこようとしていることを忘れてはいけないと思います。

それは、いわゆるポジティブ・フィードバックと呼ばれる悪循環がすでにいくつか現実に始まっているという事実です。その意味を簡単に言うと、ひとつのきっかけが次の温暖化を招き、さらにその事態が温暖化を加速させる事態を招いて、もう人間にはどうすることもできないところまで来ているということです。いくつかあるポジティブ・フィードバックのうちのひとつがメタンの急激な増加でしょう。それが現実のものとなりつつあることを今回の報告は示しています。

比較的地球温暖化の変化が見えにくい日本でも、今後さまざまな影響が各地で報告されてくるでしょう。再び世界が「今そこにある危機」として地球温暖化を捉え、途上国と先進国が対話のテーブルにつくことを切に望みます。  



2010年11月25日

【明るいニュース】

久々の明るいニュースです。

 『英王室は23日、ウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚式を来年4月29日にロンドンのウェストミンスター寺院で挙げると発表した。

挙式の費用は過去の前例にならって王室が負担する。キャメロン首相によれば、交通や警備関連の費用は政府の負担になるという。

キャメロン首相は当日を国民の祝日にすると発表、「ケイトさんとウィリアム王子の結婚式は幸福な記念すべき日となる」「この日を祝日として、できるだけ多くの人に祝ってもらえるようにしたい」との談話を出した。

ウェストミンスター寺院は西暦960年に建立され、1245年に現在のようなゴシック様式の教会になった。1066年以降は国王と女王が即位する際の戴冠式が行われている。

同寺院は王室との関係が深く、エリザベス女王は1947年に同寺院でフィリップ殿下と挙式。1997年にはウィリアム王子の母、故ダイアナ元妃の葬儀が営まれている。

チャールズ皇太子とダイアナ元妃は1981年にセントポール大聖堂で挙式しており、ウィリアム王子とミドルトンさんがウェストミンスター寺院を選んだのは、この時と比べられるのを避けたいという意向がはたらいた可能性もある。』(11月24日付毎日新聞)


【昭和の日が英国の祝日に】

この4月29日という日。日本では「昭和の日」の祝日にあたります。昭和天皇がご存命のときには「天皇誕生日」だったのですが、1989年1月7日の今上天皇即位によって、天皇誕生日は今上天皇の誕生日である12月23日に改められたので、4月29日は今では「昭和の日」となっています。

来年の「その日」は日本では「大安」でもあります。こんなおめでたい日が英国でもウィリアム王子の結婚式の日となり、さらには英国の新たな祝日として英国民のみならず、世界中の人々にとっても大切な英王室に対する祝福の日となるなんて、ほんとうに素晴らしいですね。

思えば、1986年5月11日にウィリアム王子のお母さんであった故ダイアナ妃はチャールズ皇太子とともに東京・青山をパレードして「ダイアナ・フィーバー」を巻き起こしました。あれから1/4世紀を経た今、ようやく英王室に明るい季節がやってきます。来年の4月には幸せなお二人を本当に祝福してあげたいですね。

  



2010年11月22日

【異常高温の原因】

今年の夏の暑さは本当に異常だった。もう何十年にもわたって異常気象が続いているので、多くの人が無頓着になっているのだが、それにしても今年はまれにみる異常な夏の暑さだったことは論をまたないだろう。その原因についてある研究所から発表がありました。

『今年の日本の夏(6~8月)が気象庁の統計が残る過去113年間で最も暑かった要因について、スーパーコンピューターで再現実験を行ったところ、過去約30年間の長期的な海面水温上昇が高温原因の2割強を占める結果となった。東京大大気海洋研究所が19日発表した。
 気象庁の異常気象分析検討会長でもある同研究所の木本昌秀教授は「長期的な温暖化の『底上げ』分がなかったら、猛暑はここまでひどくなかった」と説明。長期的な海面水温上昇の原因の半分以上は、温室効果ガスの排出など人為起源とみており、排出量削減などの努力が必要としている。』(11月19日付時事通信) 


【本当におかしい】

データの上で出てきた結論はそれなりに尊重すべきだと思う。でもそれと同時に「なにかおかしい」と感じる普通の人たちの皮膚感覚も無視してはいけない。僕は気候変動や海水温の異常などについてはまったくの素人ではあるけれども、一介の釣り人として海の異常についての「ある皮膚感覚」を大事にしている。

身近な海の中がおかしいという話は、仲間の釣り人や遊魚船の船長たちからも幾度となく聞いている。また自分自身も釣りをする中で最近思うことだ。それが地球温暖化の影響かどうかは学者ではないのでわからないが、少なくとも21世紀になって、ここ10年くらいの近海の変化は尋常ではないような気がするからだ。

まず、1年を通じて季節ごとに釣れていた魚が釣れなくなった。秋から冬にかけての海水温が高いと感じる年が多くなった。今年はその最たる例だ。

果たして海水温は高くなっているのだろうか?そしてそれは人為的なものなのだろうか。僕ら、ただのサラリーマンはそうではないことを願うばかりだ。  



2010年11月19日

【光の道】

どちらの「光の道」が日本を救えるのでしょうか?

『ソフトバンクは18日の全国各紙の朝刊にて、「“光の道”はAかBか」と題した意見広告を掲載した。「光の道」構想は、2015年までに国内の全世帯に光回線を普及させることを目的としたもの。ソフトバンクは、その手段として、NTTのアクセス回線部門の分社化やメタル回線の撤廃などを主張している。

 意見広告では、この光の道構想に関して、A案とB案を提示。A案は、政府や自治体が補助金(税金)を出すことで整備を進めていくという案。同社によるとA案の場合回線の整備は需要見合いで進むため、利用できない地域が多数存在することになるとしている。一方、B案は孫正義社長が従来から主張している案で、民間のアクセス回線会社が既存のメタル回線を撤廃し、光回線に切り替えていくというもの。維持費のかかるメタル回線を撤廃することで光回線の敷設費を捻出し、税金を使わない光回線の敷設が可能になるという。

 Web上の投票ページには、「このままではA案。いま、この国の将来が、国民不在のまま決められようとしています」という同社のメッセージが記載されている。同社広報室によると、投票結果の利用用途については、現時点では未定。しかし、9月下旬に同社サイト内で光の道構想に関する署名を集めた際は、結果を片山総務大臣に提出しており、今回もそのような用途が予想されるという。

 また同社は、光の道構想に関して、国民参画型の議論の実現を目指すとして、署名の募集をしている。署名登録フォームには、「私は“光の道”構想に関して、国民や事業者を交えたオープンな議論の推進に賛成します」とある。』(11月18日付RBB TODAY
)

【孫さんに期待します】

この意見広告、相当インパクトがあったようです。昨日の「報道ステーション」でもオンエアしていました。僕が目を引いたのはやはり「価格」「民間主導」ということです。税金を使わずに民間主導で光の道を進めることで2016年までには日本全国が光による高速インターネットが利用できるようになる。しかもその価格は今のADSLの利用料金よりも低い月額1500円程度になるといいます。

実はこれはもう韓国では実現しているのです。韓国は1997年の金融危機後、かなりドラスチックな改革を社会の各方面で進めた結果、今経済や社会が日本よりはるかに活力のある形に生まれ変わり、世界のあらゆる分野に頭角を現してきています。そのひとつが社会の高速ネット化です。

日本は韓国にこの面でも決定的に後れを取っているのです。それを「在日」としていろいろな差別を経験しながらも跳ね除け、日本の新産業のリード役として大経営者となった孫さんが、日本人が再び世界に飛躍するために挑戦しようとしている。ソフトバンクという企業グループの利益のため―そうかもしれません。でもそれが日本の将来にプラスになるとしてひとりでもやるというのであればやらせたらいいと思いませんか?

ADSL網の構築でインターネットの低料金化を進めたのも、携帯電話のNTT独占を崩し、料金の低減を実現したのもソフトバンクではなかったでしょうか。今、NTTの光回線は月額5千円から7千円かかります。これが2千円以下になることによって、次の大きな社会的変化が期待できるでしょう。

普通のサラリーマンである僕はただ高い料金を払うしか高速インターネットの利用の道はありません。でも孫さんなら既存の仕組みを変えてくれる。

僕は孫さんに期待します。みなさんはどう思われますか?
  



2010年11月18日

【突然の死?】

これほどの衝撃にもめげず舞台に立たれました。

『松平健(56)が泣いた。妻の元女優松本友里さん(享年42)が首をつって亡くなった衝撃から一夜明けた16日、福岡・博多座の舞台に立った。芝居「忠臣蔵」で松平ふんする大石内蔵助と妻りくとの別れの場面では、思わず涙をみせた。また、松平はコメントを発表し、友里さんが子育てや母の介護で体調を崩し、パニック障害、不眠症、うつのため病院通いしていたことを明かした。「私の力不足。残念な気持ちでいっぱいです」と痛恨の思いを吐露した。

 友里さんはパニック障害、不眠症、うつ状態と闘っていた。この日、報道各社に松平はファクスでコメント。「5年という短い結婚生活ではありましたが、懸命に家庭を守ってくれた良き妻でございました。出産後、いちずな性格で子育て、母の介護など、日々完ぺきにこなそうと取り組んだ結果、次第に体調を壊すことになりました」という。

 パニック障害などを発症後、この3年はいろいろな病院にかかっていたという。だが「心通じ合う医師とはめぐり合うことができず、6月にはずっと苦楽をともにすごしてきた姉妹のような最愛の母を亡くし、深い悲しみにも襲われ、自分の体の一部を失ったかのようでした。それだけ、母の存在は大きかったのだと思います」。

 その後も松平は手助けしてくれる人たちと友里さんを支えてきたが、博多座公演で2日から東京を離れた不在の時に4歳の長男を残して友里さんは死を選んだ。「このような結果になりましたのは、ひとえに私の力不足かと悔やんでおります。俳優という留守がちな仕事ではありますが、私がおりながら亡き母の穴を埋めきれず、愛する母のもとへ旅立たせてしまったこと、今はただただ残念な気持ちでいっぱいでございます」。最愛の人を守りきれなかった痛恨の思いだった。葬儀は30日に終わる博多座公演後、「12月に入りましてから、近親者のみで行うつもりです」という。

 前日15日は、妻の遺体と対面後、東京滞在4時間で福岡に戻った。眠れない一夜をすごした松平はこの日午前10時ごろ、約30人の取材陣の前に現れ、矢継ぎ早の質問に「お騒がして申し訳ありません。もう大丈夫です」と答えて楽屋入りした。公演は芝居「忠臣蔵」とショー「唄う絵草紙」の2本立て。関係者は明るくにぎやかな「マツケンサンバ」もあるショーの一部変更を打診したが、松平は「『マツケンサンバ』を楽しみに来てくださるお客さまもいる。変更せずにやりましょう」。プロの自負をみせた。

 言葉通り、ショーでは妻の死に触れることもなく、明るくはじけた松平だが、「忠臣蔵」では抑え込んだ悲しみが表に出た。吉良邸への討ち入り前に妻りく(紺野美沙子)を離縁した大石内蔵助。生きて会うのは最後となる別れの場面で、りくへの思いを語るところで松平は涙を流した。内蔵助と自らの思いが重なった涙だった。客席にはもらい泣きする観客も多かった。

 昼夜2回の公演を終えた松平はこの日夜、帰京した。羽田空港に到着した松平を約70人の報道陣が囲み、空港は一時騒然となった。松平は憔悴(しょうすい)しきった表情で「(本日の)ファクス通りです。舞台は大丈夫です」。「これから自宅に戻るのですか?」との質問には「うん」とだけうなずいた。今日17日は舞台は休演日だが、松平は「明日(17日)福岡に移動します」と小声で話し、関係者とタクシーに乗り込んだ。』(11月17日付朝日新聞)


【愛する人の死】

たとえどんなにお互いを信頼し愛している夫婦でも、同時期に死ぬことは心中でもしないかぎり出来ません。どちらかが先立ち、どちらかが見送るしかないのが夫婦の性なのかもしれません。

でも老衰で見送るのはやむをえないとしても、どちらかが病に侵され、なすすべもなく先立たれた場合にはこれほど淋しく、無力な自分に打ちひしがれることはないかもしれません。松平健さんの場合は、まさにそういう状況だと思います。

愛する人の死。それも自ら命を絶ってしまったパートナーの死はどれほど辛いことか。それでも舞台に立たなければならない役者という仕事の非情。気丈に振る舞う松平健さんが早く立ち直れるように心から願うばかりです。そして天国に先立たれた奥様の冥福をお祈りします。  



2010年11月17日

【大金星】

お見事でした!!!!

『稀勢の里が相撲史に残る大仕事をやってのけた。白鵬を力強く寄り切って連勝を63でストップさせた。「(最後まで)勝てるとは思わなかった。あれっ、あれっという感じだった」。上気した表情で、殊勲の瞬間を振り返った。

白鵬の力任せの張り手をかいくぐって得意の左四つ。右上手をがっちり引くと、横綱のなりふり構わぬ左すくい投げや内掛けを腰を落としてしのぎ、休まず寄り切った。「勝ち名乗りを受けてやっと勝ったという感じ。でも実感が出るまでには時間がかかりそうです」と、興奮冷めやらぬ口調だった。

大関候補と評されながら、最近は2場所連続で負け越して平幕に落ちるなど影が薄かった。稀勢の里は「これを何かのきっかけにしたい。自信になればいい」と、言葉に力を込めた。』(11月15日付スポーツ報知)

【稀に見る勢い】

今度の九州場所での大一番がこんなに早く来るとは予想だにしていませんでした。それをやってのけたのが稀勢の里関。日本力士期待の星と言われながらも、なかなか大関になれない稀勢の里に、テレビの解説者はいつも稽古嫌いだとか、精神力が弱いとか酷評してきましたが、この日ばかりは大金星の稀勢の里に賛辞の嵐。いや本当によくやりました。

鳴戸親方にお聞きした話によると、稀勢の里の「稀勢」というのは「稀にみる勢い」という意味だそうです。まさに今回、その稀に見る勢いを見せつけてくれた稀勢の里関。この勢いで今場所は是非勝ち越して、双葉山の70連勝を阻んだ前頭3枚目安藝ノ海のように、いづれ横綱になってほしいと願っています。

頑張れ、稀勢の里!!!  



2010年11月12日

【事情聴取】

一体、彼は起訴されるのでしょうか。

『中国漁船衝突のビデオ映像流出事件で、神戸海上保安部の海上保安官(43)が警視庁捜査1課と東京地検の事情聴取に「船内の共用パソコンで映像を見た」と話していることが11日、捜査関係者への取材で分かった。
 同課は海上保安官が乗務していた巡視艇「うらなみ」や第5管区海上保安本部(神戸市)、第11管区海上保安本部(那覇市)に捜査員を派遣。神戸市内の自宅官舎も家宅捜索し、パソコンの解析や事情聴取で流出経緯を解明する。
 捜査関係者によると、海上保安官は映像データの持ち出しや流出を認めた上で、「船内の共用パソコンで映像を見た」と話したという。
 さらに「外部記憶媒体で保存していた」と説明。投稿場所とされる神戸市内の漫画喫茶に持ち込んだという。
 捜査1課は職員からデータ取り扱いの実態などについて聴取。共用パソコンなどを解析し、実際に映像が閲覧できたかを確認する。』(11月11日付時事通信)

【誰が悪いのか】

今回のビデオ流出事件で、国会では政府は野党から厳しい追及を受けていますが当然だと思います。そもそも事件が起こってから今まで政府のスタンスはあまりにもフラフラしすぎていると言わざるを得ないでしょう。中国政府はその隙を巧みに突いて尖閣諸島を自国領土と日本に認めさせるべく揺さぶりをかけ続けています。

そして一部国会議員にのみ公開していたビデオ映像のまさかの流出。日本政府にとっては対策が後手後手に回る上に、情報管理の甘さが恥の上塗りとなりました。You Tubeに本物の映像が出たことで中国政府は苦々しく思っているのではないでしょうか。そういう意味ではビデオを公開した海上保安官はよくやったと言える部分もあるかも知れません。多くの市民が海上保安官を責めるどころか擁護しているのも理解できます。

もっと政府の対応がしっかりしていれば今回のビデオ流失という失態も起こらなかったのではないかと僕も思います。さらにビデオ流失について危惧するのは、情報管理の徹底という大義名分のもとでビデオ情報などを共有することで現場対応能力を高めていた海上保安庁の対応力が落ちるのではないかということです。海上保安庁の中にはかなり政府の対応に不満がたまっているのではないかということを真剣に受け止めて、トカゲの尻尾を切るようなことではなく、もっと国として筋の通った対策を大局的にじっくりと議論して考えるべきだと思います。

みなさんはどう思われますか?
  



2010年11月10日

【全員救助】

遭難2日後に無事救助されました。

『川根本町の沢口山(標高1425メートル)を登山中の男女5人が遭難した事故で、5人は2日夕、県警の捜索隊などの手で救助された。衰弱している人もいるが、いずれも大きなけがはなかったという。2日ぶりの下山に関係者が胸をなで下ろす一方、軽装で入山したことや山中で迷ったときの知識不足について警鐘を鳴らす専門家もいた。
 島田署によると、救助されたのは、会社員の岡崎沙世子さん(26)=焼津市小川新町=、同僚の吉崎由貴さん(24)=同市下小田=の2人と、いずれも静岡大大学院生の小笠原悦子さん(24)=浜松市中区和地山1丁目=、岡島良樹さん(23)=同区和合町=、片山真宏さん(25)=同区富塚町=の計5人。小笠原さんが左手に軽傷を負い、片山さんが右足にしびれを訴えているという。
 5人は10月31日朝から登山し、日帰りする予定だった。県警や消防が1日から捜索を始め、南側の標高約1030メートルの岩場の斜面地や近くの沢にいる5人を発見。小笠原さんらはヘリコプターに発見されやすいよう、岩場に横たわって待っていたという。
 山岳遭難救助隊員らは2日に5人と合流。隊員らが近づくとほっとしたような表情を見せ、水や食べ物を口にすると元気を取り戻したという。5人は2~4時間かけて下山した。
 岡崎、吉崎、岡島さんの3人は午後3時20分ごろ、救助隊員に付き添われて川根本町千頭にある登山道入り口付近に到着した。疲れきった表情で、救急隊員らに支えられながら救急車に乗り込んだ。吉崎さんはほっとしたのか、涙を流しながら救急隊員の問いかけに応じていた。』(11月7日付朝日新聞)

【甘い判断】

沢口山というのは地元の観光協会や役場の話によれば、「小学校の遠足で行くような山」ということだそうで、今回遭難した5人の若者もこの山を初心者でも登れる山ということで選んだようです。

しかし、だからといって雨天や道に迷った時の備えを怠っていいということにはなりません。初心者の山と言っても1400メートルと言えば少しでも天候が悪化すれば今の時期、気温の低下による体温の低下のリスクも考えておかなければなりません。

また、道に迷っても、「沢に降りて川を下れば集落に出られる」と考えて下山したことも、遭難した場合には沢に下りるのが一番危険という登山の基本を無視した甘い判断です。

最近、「山ガール」が流行ということで、多くの女性が山登りに挑戦しているようですが、山はどんなに低山であっても見くびってはいけませんね。  



2010年11月05日

【子供たちの創作劇】

清々しい秋晴れとなった11月初旬、福岡県新宮町で開かれた第17回朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会に参加しました。そこで上演された子供たちによる創作劇は、子供たちの熱心でかわいらしい演技とともに今の日本の外交という大きなテーマにつながる問題を考えさせられる素晴らしいものでした。

その劇とは「石の唄ひびけ」というタイトルで、江戸時代に、朝鮮からの通信使が11回もやってきた福岡県新宮町の相島という小さな島で島民たちがその準備のために石の波止を造った話です。

【朝鮮通信使の接待】

江戸時代に500名近い朝鮮からの通信使たちの、釜山から江戸までの長旅の最初の起点である福岡藩が通信使の接待場所として、200年近い間に11回も立ち寄った相島。最初の接待が行われたのは実に400年も前のことでした。500名もの通信使の接待ですから、小さな漁船しか寄港できなかった相島の海岸にふたつの石波止を造る必要が生じ、福岡藩が島民も駆り出して2カ月の突貫工事をさせたのです。

相島の島民だけでなく、朝鮮通信使が江戸へ行く途上で立ち寄った下関、上関、室津、大垣など全国各地で農民や漁民たちが接待のための食糧の提供など様々な賦役を課せられたのです。

しかし、朝鮮通信使たちは鎖国を敷いていた当時の日本よりもはるかに進んだ大陸文化をもたらしてくれましたし、何よりも日本各地の地方の人たちが心をこめて接待をした結果、日本と韓国の間には友好的な交流が行われたことが様々な古文書や資料から分かってきました。


【外交の基本】

今、日本と近隣国の中国、ロシアとの間には尖閣諸島問題や北方領土問題でぎくしゃくしています。もっとも近い隣人である韓国との間にも竹島問題という火種を抱えています。それもこれも太平洋戦争で日本がこれらの国の国土・国民に大きな迷惑をかけたことが根本原因なのですが、戦争終結後65年以上を経た今でもそのシコリは大きく、国と国とのレベルでは容易に解決できそうにはありません。

そんな時だからこそ、200年から400年前の先人たちと朝鮮通信使たちとの交流は多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。朝鮮通信使が最後に立ち寄った長崎県対馬。当時の対馬藩に仕えた儒学者雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)は外交の基本について、「互いに欺かず、争わず、真実を以て交わること」と述べています。

どちらかと言うと中国やロシアのほうがこの基本を忘れているようにも見えますが、相手がどうであれ、日本は常に「互いに欺かず、争わず、真実を以て交わる」ように辛抱強く交渉していくこと、そして日頃から民間レベルでの草の根外交を活発にして強固な信頼関係を築いていくことが大事ではないでしょうか。相島の子供たちの創作劇から教えられたような気がします。

みなさんはどう思われますか?  


2010年11月04日

【難航の末】

難航の末になんとか合意にこぎつけたようです。

『名古屋市で開催中の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)は最終日の29日夜から30日未明にかけて全体会合を開き、途上国と先進国との対立が続いていた生物遺伝資源の利益配分ルール「名古屋議定書」を全会一致で採択した。議定書は、途上国、先進国双方の主張に配慮した「議長案」として松本龍環境相が同日朝に各国に提示したもので、最終的に193のすべての締約国・地域から支持を得た。同条約が1992年5月に採択されて以来の懸案だったルールづくりが実現した。
 18日開幕の同会議で最大の焦点となった議定書をめぐっては、生物遺伝資源による新薬開発などで得られた利益について、より多くの還元を求める途上国側と、先進国側とが対立。特に途上国側は、新ルールの適用を議定書発効前にさかのぼり、植民地時代に持ち出された資源で開発された新薬なども利益還元対象とすることなどを要求。交渉は難航を極め、議長の松本環境相が事務レベル交渉の期限とした28日中にも合意に至らなかった。
 このため、松本環境相は、ルール適用時期を議定書発効後に限定して先進国側に配慮する一方、途上国側の主張に沿って利益還元の対象を遺伝資源の「派生物」に拡大することなどを盛り込んだ議長案を作り、29日午前に各国に提示した。議長案は途上国側の譲歩を引き出すため、資金援助の必要性も言及。日本政府は議定書採択を前提に10億円の追加支援も表明した。
 しかし、議長案に対する支持が広がりつつも、全体会合は採決の方法などをめぐって紛糾。30日未明になって採択にこぎつけた。
 このほか、2020年までの生態系保全計画を定める「ポスト2010年目標」についても採択された。その内容は陸地の17%、海域の10%をそれぞれ保護区とすることなどで、「愛知ターゲット」と名付けられた。』(10月30日付時事通信)


【車の両輪】

しかし、合意には至ったもののCOP10を実効性のあるものにするためにはこれからが本当の勝負となります。何が勝負か?

みなさんもご存じのとおり、生物多様性とは地球上に住む3000万種とも言われる生物のバランスをとることですが、そのためには地球環境の保全と密接に結びついたものでなければなりません。だからこそ、1992年にリオデジャネイロで開かれた地球環境サミットの翌年の1993年に真っ先に「生物多様性条約」が結ばれたのです。これは「気候変動枠条約」に先立つものです。

そして昨年12月のコペンハーゲンで暗礁に乗り上げた感のあるCOP15、気候変動枠組条約が取り組もうとしていた先進国と途上国が一体となったCO2削減、地球温暖化防止が地球の気候の破たんを招く前に実効性のある形で合意され、実施されていかなければ、生物多様性条約単体では人間を含む地球上の生物の多様性は守れないのです。

生物多様性条約と気候変動枠組条約。これは車の両輪として、今地球の生命と環境を破滅の淵に追いやろうとしている人間が地球に対して果たすべき義務であり、ここが勝負なのです。

とりあえずはまとまりましたが、これからもこの二つの条約の行方に注意しておく必要がありそうです。

それにしてもおらが町の福岡の国会議員松本龍氏が議長として頑張ったのはちょっぴり嬉しいですね。  


2010年11月02日

【示威行動】

ロシアのトップが日本訪問の前に北方領土を訪問しました。

『ロシアのメドベージェフ大統領は1日、日本の警告を無視して北方領土訪問に踏み切り、ロシアの「領有権」を実力行使で一方的に誇示した。

 日本が「4島返還」の旗を降ろさない限り実効支配を続け譲歩を拒否する意思表示でもある。

 露側は今回の訪問を、「大統領が自国領土を訪れるもので、外国の指図は受けない」(大統領府)と位置づけた。日本の「日露関係に重大な支障が生じる」(前原外相)という警告も、「大統領の国内視察と対日関係には、何の関連もない」(ラブロフ外相)と突っぱねた。

 注目されるのは、ロシアと中国が歴史問題での「共闘」を確認した直後に大統領が北方領土を訪問したことだ。ロシアは胡錦濤国家主席の働きかけもあって今年7月、日本が第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を「終戦記念日」に制定。9月下旬に訪中した大統領は、首脳会談で「大戦の歴史改ざん」にともに立ち向かう共同声明を出した。「大統領は、尖閣諸島問題での中国への対応を見て、菅政権に強い対応はとれないと踏んだ」(露元政府高官)との観測も広がる。

 北方領土訪問の目的は、戦後65年間、ソ連共産党書記長やロシア大統領が行けなかった係争地に足を踏み入れることで、「強い指導者」像を国内向けにアピールすることとみられる。国後島では連邦予算で整備した発電所や港湾、空港を駆け足で回り、住民に北方領土の発展に取り組むと明言した。2012年の大統領選に向けた大統領とプーチン首相の主導権争いの舞台として、北方領土が利用された面は否定できない。

 だが、その真意はどうあれ、大統領が「北方領土上陸」というカードを切ったことで、菅政権は新たな対応を迫られる。

 露側は、日本が強硬姿勢を取れば一層反発し、「弱腰」と見れば政治問題は棚上げして経済協力を先行させる実利外交でたたみかける構えだ。「日本固有の領土」にロシア大統領が踏み込むのを阻止できなかった日本が、外交面でロシアにどう反撃するかは、対中国をはじめ周辺国との関係をも左右することになる。』(11月1日付読売新聞)


【四面楚歌】

こういうニュースを見ていると、わが祖国「日本」の最近の状況は、自分で自分の首を絞めてみたり、「日本は弱い」と見た他国からいいようにやられるままという感じがするのは僕だけだろうか。いたずらに愛国心を煽るつもりはないが、尖閣諸島の領有権問題を巡る中国の態度を見ても、今回のロシア大統領の北方領土訪問を見ても、なぜ日本はこれほど情けない状況に陥ってしまったのだろうと思わざるを得ないというのが正直な気持ちだ。

その上、強固な同盟関係を築いているはずの米国との関係も、民主党政権の度重なる失態で信頼関係にヒビが入ったままだ。ロシアも中国もこの隙をねらってきているのだ。

客観的に見れば日本の国力がロシアや中国から見くびられるほどに錆びついたわけではない。いや、経済力や文化力、市民力といった物差しで見れば確かにそうなのだが、日本政府の外交力や国家戦略を見据えた先見力といった点で確実に金属疲労を起こしているのだ。

急速に高齢化が進む中で、国の借金は他の先進国とは比べものにならないほど積み上がり、国民も政治家も危機意識のかけらもなく個人の享楽や物欲に走り続けていれば、やがて国力をつけた中国やロシアに力でねじ伏せられ、祖先の土地を奪われることになりはしないか。杞憂にならないことを祈るばかりだ。  



2010年11月01日

【博多の女(ひと)】

カーネギーホールで歌ったことのある博多出身のボーカリストって知ってますか?そう、高橋真梨子です(彼女のオフィシャルサイトはここをクリック!)。

その高橋真梨子のコンサートにまた性懲りもなく行ってきました。今回もファンクラブに入っているので、1階席前から13番目で見ることが出来ました。それもステージが真正面の真ん中の席だったのですが、ちょっと前の人の頭で真梨子さんが見えにくかったのが残念!

今年のコンサートのタイトルは「Sing it!」。例年は9月後半なのですが、今年は10月末となりました。翌日がハローウィーンだったこともあるのか、ヘンリーバンドの面々が最後のほうにお面をかぶったり、時間も例年よりも少し長かったりと、お祭り気分もいっぱいでファンを楽しませてくれました。また、カバー曲が中心だった昨年とは違って、なじみの持ち歌が中心。これもよかったです。

今回のコンサートも、中高年のファンを中心に人気が高く、土日二日間の博多での会場となっているサンパレスは相変わらず立ち見も出るほどの盛況でした。僕も大人の雰囲気とさりげなさを持ち、世界にも通用する歌唱力を持つ彼女は、博多っ子として大ファンです。そう、彼女は博多っ子の元気の源なのです。

【根強いファンの支持】

いつものことですが、真梨子さんは博多に帰ってくると本当にリラックスして唄えるようです。毎回真梨子さんは博多に「戻ってくる」のが楽しみという語りでコンサートが始まります。今回は九州巡業最後の博多滞在だそうで、いつものことながら博多の町をブラブラしてみたり博多の空気を満喫しておられたようです。

それもそのはず、真梨子さんは博多出身で、小学校も大楠小学校出身。同級生にはタモリがいたそうです。また、後輩には森口博子や氷川きよしも。

そんな博多を愛する真梨子さんを前に、コンサートが始まってしばらくは静かだった観客も、中盤以降は結構立ちっぱなしの状態になり、恒例の「グランパ」での総立ちの前から手を振って、会場はずっと熱気に包まれていました。この真梨子さんのコンサート、今年で37年目だそうです。凄い。そしてヘンリーさんも66歳、ヘンリーバンドの平均年齢も51歳だそうです。あと何年見られるのでしょうか、少し不安になります。

ファンのほうもヘンリーさんたちに負けず劣らずシニア層と呼ばれる50代から60代以上と見られる人ばかり。そう、僕の母が若い頃、高橋真梨子は中洲の「あざみ」という老舗のスナックの近くの彼女の母親が経営するライブハウスで「ペドロ&カプリシャス」のヴォーカルで唄っていたのです。(彼女の母親は10年ほど前に亡くなり、例年9月に福岡に来られるのは彼岸に合わせて供養も兼ねているのかもしれません。) その頃の人たちが皆そういう年代になっているのです。だから、彼女は全国でも知られていますが、博多ではシニアほどよく知っているのです。

【同時代に生きる】

さて、コンサートでの衣装は、前半は白っぽいドレスと黒のドレスでしたが、後半はロングパンツ姿でシックにまとめていた真梨子さんです。どちらかというとスカート姿よりもロングパンツのほうが似合います。今回も、若い世代のコンサートとはやや趣が異なるのは確かでした。

しかし、共通する部分もあります。生のコンサートの醍醐味というか、ファンを中心に歌手の歌とリズムにあわせて皆が立ち上がり会場全体が一体感に包まれるところは老いも若きも一緒です。

10年後ならともかく、100年後にはこのコンサート会場にいる10代も70代も皆この世にはいません。その中で同時代に生きているという共感、証(あかし)を得たいという心理が自然とそうさせるのでしょう。この瞬間を精一杯生ききる・・・これって大事にしたいですね。

また、来年もファンクラブでいい席をゲットして来たいと強く思ったハローウィーン直前の高橋真梨子コンサートでした。  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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