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2013年09月13日

【新型iPhoneの発表】

アップル社が新型iPhoneを発表しました。

『米アップルは10日、スマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」の新型機「5S」と割安の「5C」を20日に、日米欧など9か国で発売すると発表した。

 日本で、NTTドコモが初めて販売することも発表した。手頃な価格帯商品の投入で、世界のスマホ市場でシェア(占有率)1位の韓国サムスン電子に対抗する。

 アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)はクパティーノ市の本社内で開かれた発表イベントで「今年は『5』に代わる二つのすばらしいデザインの新機種を出す」と紹介した。

 「5S」は、厚さや4インチ画面などは現行の「5」と同じで、光沢のある「シルバー」「グレー」「ゴールド」の3色。新しいプロセッサー(データ処理装置)を導入して、処理速度を大幅に改善。指紋認証でロックをかけたり、アプリを購入したりできる。米国での価格は容量16ギガ・バイトで、携帯電話会社と2年契約した場合の価格は199ドル(約2万円)、本体のみだと649ドルとなる。

 一方、「5C」は、プロセッサーを現行の「5」と同じに抑えたほか、素材もプラスチックを採用するなどして、コストを削減した。ピンクやイエローなど5色を取りそろえた。価格は米国では容量16ギガ・バイトで2年契約で99ドル。本体価格は549ドルと市場予想よりも高かった。』(9月11日付読売新聞)


【期待感なし】

スティーブ・ジョブスが生きていたころ、ジョブスが次に何を発表するかは世界中が注目していました。そしていつもその期待通りの製品が僕たちの目の前にありました。それがiMacであり、iPodであり、iPhoneだったのです。ここ10年ほど常に時代を先取りしてきたジョブスのアイデアとそれを形にしたアップルの製品がそこにはあったのです。

それがジョブスが亡くなってから、人々の期待を満たすような製品はアップルから出てこなくなりました。iPhoneも革新的なアイデアが追加されることはなくなりました。今回も話題になることといえば、色であったり、価格であったり、指紋認証であったり、誰でも予想できるマイナーチェンジに過ぎません。それでも現在は、iPhoneはジョブスの思想を体現したスマートフォンとしての存在感を持っています。サムソンや他のスマートフォンを使ったことはありませんが、それらを使っている友人でiPhoneに乗り換えた人の話を聞くと、その操作性の違い、iPhoneの圧倒的な操作性の高さについて話してくれます。

しかし、今回のようなマイナーチェンジだけの新製品発表を繰り返していれば、アップルは以前と同じようにいづれ消費者からそっぽを向かれ、凋落していくのは時間の問題だと思います。世界を席巻したアップルの復活はジョブスのような天才経営者の出現を待つしかないかもしれません。  



2013年01月22日

【ついに犠牲者】

アルジェリアの人質事件で大勢の日本人技術者の死亡が確認されました。

『アルジェリアで起きたイスラム武装勢力による人質事件で、プラント大手「日揮」(本社・横浜市西区)は21日深夜、日本人7人、外国人3人の従業員計10人が死亡したことを明らかにした。記者会見した遠藤毅広報・IR部長は「10人の犠牲を確認するに至ったことは大変残念。有能なスタッフを失ったことは無念の一言。ご遺族の心情に思いをはせると言葉がない」と声を震わせながら語った。

【事件を写真や図で】焼け焦げた車両の画像、事件の経過が分かる図

 遠藤部長は21日午後11時45分ごろから会見した。遠藤部長によると、10人の遺体確認は、現地イナメナスの病院を訪問した川名浩一社長が午後11時すぎ、日揮の本社対策本部に連絡してきた。日揮本社のスタッフが遺族に電話で連絡したという。日本人の死者7人の氏名は「実名を公表して家族らに、さらにストレスを与えることはしたくない」として公表しなかった。

 川名社長は現地時間21日午前、城内実外務政務官らとイナメナスの病院を訪問した。現場から救出され、一度は首都アルジェにいた日揮の日本人従業員2人ら3人も現地に戻って同行した。

 まず午前8時半ごろに川名社長らが日本人5人の遺体と対面。さらに午前11時ごろ、同行した従業員3人が日本人2人、外国人3人を確認したという。従業員3人は死亡した人々と親しく、安置されていた遺体を目で見て最終的に10人の身元を確認した。

 川名社長は日揮本社に「病院関係者の話では遺体の検視は19日に行われ、18日に亡くなった可能性がある」と説明した。ただ、搬送されるまでの経緯などは不明だという。

 一方、日揮のアルジェリア人関係者が武装組織側に情報を提供したとの報道について、遠藤部長は「承知していない」と話した。

 日揮の従業員は、まだ日本人3人、外国人4人の計7人の安否が確認できておらず、遠藤部長は「安否の確認に引き続き全力を挙げたい」と述べた。【一條優太、山下俊輔、飯田憲】』(1月22日付毎日新聞)

【衝撃的な結果】

7人の日本人死亡、3人の安否不明。これは海外でのテロ事件では2005年9月11日にニューヨークで起こったアメリカ同時多発テロ事件以来の犠牲者数です。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。

今回の事件を聞いて、改めて世界の僻地で母国である日本のために日夜汗水たらして日本が国際社会で生きていくために必要な地下資源や食糧などを確保しようと頑張っておられる方々が大勢おられることに感謝の気持ちを持ちました。

と同時に、それらの方々の日々の安全を確保するために日本はどれほどのことがやれているんだろうかと改めて考えさせられました。何か事件が起こると言葉では「人命が最優先」と言われますが、本気で海外で働く人たちの生命の安全を確保するためにどれほどのことがなされているのか、報道に接するたびに寒々とした思いにかられます。

海外では日本国内では想像もできないようなさまざまなリスクが存在しています。そしてそのリスクから身を守るのは第一義的にはその人を派遣した会社や団体ですが、会社だけでは自ずと限界があります。国家として日本国民の安全を本気で守るという決意と準備が求められると思います。  



2012年10月22日

【川島の訴え】

川島の訴えはフランス人の心に響いたでしょうか。

『日本代表のGK川島永嗣(29=スタンダール)が当地で、東日本大震災の被災地に向けた会見を開いた。フランス国営テレビが、川島の腕が4本ある合成写真を映し「福島(第1原発事故)の影響」と発言したことに対して「冗談にもならない」と反発。さらに「福島には、いまだに家に帰れない人もいるんです。世界中の人々が日本を救って欲しい」と訴えかけた。

 初冬を迎え周囲の木々が紅葉した練習場から会見室に入ってくると、川島はしっかりした口調で語った。日本代表として出場した12日フランス戦後、フランス国営テレビが、自身の腕が4本ある合成写真を放送。司会者が「福島(第1原発事故)の影響ではないか」と発言したことは現地でも大きな波紋を呼んでいる。

 川島 私たち日本人にとって、それは冗談では済まされないことです。非常に悪いジョークだ。福島には今でも家に帰れない人がいる。家を失ってしまった人もいる。私だけでなく、日本にとって、重要な問題なのです。世界中の人々に、日本を救って欲しい。

 被災地の光景が浮かんだのだろう。英語で話すと感極まった表情になり、目頭を熱くした。昨年夏に仙台、冬には原発から近い福島県相馬市、今夏にも岩手を訪問。帰国すれば、必ず被災地へ足を運ぶ。

 川島 原発の被害は、目に見えるものではない。常におびえている人がいる。子供たちは外で遊ぶこともできず、心おきなく(サッカーの)練習もできない。当たり前のことが、当たり前にできない。復興だけでなく、心の傷は簡単には癒えないのです。

 この日の会見は、自ら希望して開いた。自分の口で言いたかったのだという。

 川島 今回の出来事は、日本人がどうあるべきかを示す機会にもなる。僕がどう考えているか、しっかり主張をする。今まではなかったことかも知れませんが、これからの日本人はどうあるべきか。それを伝える責任がある。サッカー以外でも、行動を起こしたい。

 最後に、被災地への思いも残した。

 川島 常に一緒だということを忘れないでほしい。日本人のメンタリティーは世界に誇れるものですから。

 遠いベルギーから発信した言葉の数々。それは、心から伝えたい思いだった。』(10月19日付日刊スポーツ)

【今問われているもの】

福島第一原発の事故で避難された方の被った被害というのは、ご本人しかその痛みとか苦しみというのはわからないというのが正直なところではないでしょうか? 自然災害ならある意味仕方がないとあきらめざるを得ないこともありますが、今回の福島原発事故は国会事故調が指摘するように「人災」以外の何物でもありませんから決してあきらめられるものではないと思います。故郷さえも捨てざるを得ない放射能の災禍というのは筆舌に尽くしがたいものでしょう。同じ日本人でさえ、その苦しみや痛みは福島以外に住む人たちにはなかなか理解できないと思います。ましてや日本から数千キロ以上離れたヨーロッパの人たちには理解するのは難しい。
そんな状況で川島に対するフランスのテレビ局の心ない仕打ちが行われた。それは川島個人というより、福島の人に対する侮辱であり、無理解でした。それに対して川島が涙目でヨーロッパの人たちに訴えたのは立派だと思います。
まず被災地の痛みに寄り添い、被災地の身になって考える、そして堂々と間違いを正す。これから日本人ひとりひとりが持つべき行動規範のようなものを川島が示してくれたと思います。
未だに原発が引き起こしたこの悪夢のような災禍をまるでなかったかのように振る舞い、再び原子力を復権させようと目論む原子力ムラの人間たちにはひとかけらもない行動規範であり、被災者の人たちに寄り添う優しさです。川島のような決意がひとりひとりの日本人に広がっていくことで、腐りきった日本の統治機構や原子力ムラの横暴を根底から覆す原動力になっていくことを信じます。
  



2012年08月27日

【アップル勝訴】

『米カリフォルニア州北部連邦地裁の陪審は24日、米アップルと韓国サムスン電子が互いにスマートフォン(多機能携帯電話)の特許技術を侵害されたなどとして争っていた訴訟で、アップル側の主張をほぼ全面的に認め、サムスンに対し10億5100万ドル(約830億円)の賠償支払いを命じる評決を下した。
 裁判所によると、陪審はアップル側が侵害を主張した特許7件のうち、タッチパネルに関連する一部の操作手法や四隅を丸めた長方形の本体形状など6件の侵害を認定。アップルは25億ドル以上を主張した賠償請求の4割強を勝ち取った形。
 一方、サムスンは高速無線通信技術などの侵害を訴え4億2200万ドルの賠償を求めたが、棄却された。』(8月25日付時事通信)


【グーグルとアップル】

米アップルと韓国サムスンとの訴訟合戦は世界各地で行われていますが、これはもともとアップルとグーグルの覇権争いの代理戦争だと言われています。今回米国の裁判でアップルが勝訴したということは、サムスンのスマートフォン「ギャラクシー」シリーズのスマホの米国での販売が差し止められる恐れもあるだけに、その基本OSを提供しているグーグルとしても開発戦略の見直しを迫られることも十分ありうると見られています。

個人的な印象では、ジョブス氏が目指していたユーザーフレンドリーな様々な機能を備えた携帯電話のカタチがiphoneの爆発的なヒットとなったこと、その前にはiPodという革命的な製品を世界に送り出していたこと、さらにはiPadの発売による圧倒的な顧客からのアップルへの支持などを見れば、後発で出てきた「ギャラクシー」シリーズのあまりにもiphoneと似通った形状や機能はサムスンやグーグルが勝ち馬に乗ろうとした「模倣」以外の何物でもないと思います。

グーグルはその他の分野ではアップルに負けない驚異的なイノベーションをここ10年くらいで世に送り出しているのですから、iPhoneのモノマネではなく、自らのイノベーションによる新しい機能や製品を世に出すことによってアップルを見返してもらいたいと願うのは僕だけでしょうか。
  



2012年06月05日

【トヨタの挑戦】

ハイブリッド車に新たな可能性が加わりました。

『トヨタ自動車は4日、プラグインハイブリッド車(PHV)から家庭へ電気を供給できるシステムを開発したと発表した。このシステムを搭載したプリウスPHVを年内に発売する予定だ。

 家庭用電源で充電できるPHVを、災害時には逆に非常用電源として使う。専用の防水コネクターを車につなぎ炊飯器などに電気を供給する。電池を使い切っても、ガソリンでエンジンを回せば発電でき、プリウスPHVは最大で約4日分の一般家庭の電気をまかなえるという。

 また、PHVや電気自動車(EV)と住宅の間で、電力をやりとりできるシステムも開発した。住宅に設置された蓄電池や車両の電池を使い、太陽光発電による電力や低コストな夜間電力を備蓄。電力需要のピーク時にそれを融通し合える。愛知県豊田市で実施中の「豊田市低炭素社会システム実証プロジェクト」に今年末からシステムを提供し、実際の使用状況などを確認したうえで実用化を目指す。』(6月4日付毎日新聞)


【双方向の電源】

さすが、トヨタです。ハイブリッド技術というのは日本、特にトヨタが世界の他の先進国に先駆けて開発し、プリウスというハイブリッド車によって開花した日本が誇るべき技術です。ヨーロッパでは排出ガスが少ない車としてはディーゼルエンジン車が主流でこれも素晴らしい技術なのですが、今回の双方向の電気供給というのはディーゼルエンジン車ではなしえない「工夫」だと思います。すなわち、環境にやさしいだけでなく、非常時の電源としての車の役割が加わるということです。

しかも、昨年の東日本大震災のような大規模停電が広範囲にわたって発生するような非常時に、今回の技術が大きな威力を発揮する可能性を秘めています。ハイブリッド車から住宅へ、そして電気自動車へ電気を送ることができればハイブリッド車の新たな付加価値として注目を浴びるのではないでしょうか。

将来的には、ガソリンエンジンだけでなく、天然ガスによるコージェネシステムエンジンのような新たなエンジンと電気モーターとの組み合わせも考えればさらに環境にやさしい車になる得るのではないでしょうか。ひとつの動力源に頼るのではなく複数の動力源を組み合わせてリスクを分散しながらエネルギーを効率的に利用する、これは分散型電源と同じような流れであり、これからの主流になっていく可能性を秘めているのではないでしょうか。

僕の車もプリウスなのですが、古い型なので自宅から電気を得ることはできません。単なる仕様の変更やデザインの変更などのマイナーチェンジだけならあまり買い替えの意欲も湧かないのですが、今回のような付加価値がつけば買い替えもありかなと思ってしまいます。でも先立つものがない・・・・残念。
  



2012年05月02日

【驚きの数値】

これは見方によっては、驚くべき数値だと言えるのではないでしょうか。

『50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合である生涯未婚率(2010年時点)は、男性20・1%、女性10・6%と、初めて男性が2割台、女性が1割台に達したことが30日、わかった。

 政府が6月初めに閣議決定する2012年版「子ども・子育て白書」に盛り込まれる。

 1980年時の生涯未婚率は、男性2・6%、女性4・5%で、今回は30年前より男性が約8倍、女性が2倍以上に増えた計算。男女共に90年頃から生涯未婚率が急上昇している。

 年代別の未婚率を見ると、25~29歳では、男性71・8%、女性60・3%だった。30~34歳は男性47・3%、女性34・5%。35~39歳は男性35・6%、女性23・1%。』(5月1日付読売新聞)


【生涯未婚の寂しさ】

50歳時点で一度も結婚したことがない人が男で2割、女で1割もいると数字で示されると本当に驚いてしまいます。しかも男は30年前に比べて8倍も未婚率が高くなっているとのこと。一体、これは何を意味するのでしょうか?

最近よく言われているように「草食系」の男子が増えているからなのでしょうか?自分で女性に声をかけることができない男性が増えているということなのでしょうか?定職につけないなどの経済的理由からなのでしょうか?それとも男女の比率が30年前に比べて大きく変化しているからなのでしょうか?以前、テレビの番組でジャングルの中で群れをなして生活しているチンパンジーの生態を記録するというのがありました。その中で、相手のメスを見つけることができないオスのチンパンジーが次第に群れから離れて行って寂しく孤立していくというシーンがあったように記憶しています。

人間の世界も同じです。女性はひとりで生きる術を本能的に持っていますが、男は年を取れば取るほどひとりで生きていくにはあまりにもみじめで、あまりにも寂しい存在のような気がします。これは僕の思いすごしでしょうか?是非、若い男性諸氏には頑張って生涯に一度くらいは結婚する相手を見つけてほしいと願うのは僕だけでしょうか?  



2012年03月01日

【スバル360】

あの「スバル360」が懐かしくなります。

『1958年に軽自動車「スバル360」を販売し、高度成長期に自動車市場拡大に貢献した富士重工業が軽自動車の生産を29日で終えるのを前に、28日に群馬製作所本工場(群馬県太田市)で生産終了の式典を開いた。

 式典には従業員やOBら約300人が参加。吉永泰之社長は「最後まで全国からたくさんの(軽自動車の)注文を頂いた。生産終了は寂しいが、次へのスタートだ」と述べた。

 富士重工は軽自動車をこれまで約800万台生産してきたが、近年は販売台数が低迷。約半世紀の歴史に幕を下ろすことになった。』(2月28日付共同通信)


【時代は変わる】

化石燃料の枯渇が叫ばれ、ガソリン価格が高騰する中、税金も安く、乗り心地も格段によくなった軽自動車が飛ぶように売れ、軽自動車がわが世の春を謳歌している今、1958年にスバル360という軽自動車を世に送り出し日本初の「国民大衆車」に仕立て上げた富士重工が軽自動車の生産から撤退するというのは時代の移り変わりを感じさせます。

僕が小さかった頃に初めて父親に乗せられた車が「スバル360」でした。その眩しかったこと。子供のころの記憶が蘇ります。映画「三丁目の夕日」のワンシーンにも出てきそうな昭和の時代を象徴する軽自動車でした。フォルクスワーゲンの「かぶと虫」と対比されて、「てんとう虫」のあだ名を持っていたスバル360。この名車を送りだした富士重工の軽自動車からの撤退は本当に感慨深いものがありますね。富士重工は、あの当時世界最高水準の技術で「てんとう虫」を世に送り出したのでしょう。

バブル崩壊後20年近く経っても浮上できない日本経済。モノ作りにこだわりすぎるという声もありますが、やっぱりスバル360のような時代を先取りする技術力があってこそ日本は生き残っていけると信じます。ありがとう、富士重工。そして新しい技術力を持った第二、第三の「てんとう虫」を開発できる町の自動車屋さんの出現を待ちましょう。
  



2012年02月08日

【寄付金の魔力】

NHKが情報公開請求を行い、電力会社から自治体への寄付金の実態を一部明らかにしました。

『原子力発電所のある自治体に電力会社が提供した寄付金の総額は、これまでに1600億円以上に上っていることが、各自治体への取材や情報公開請求で分かりました。
この寄付金は、発電事業に必要な費用として電気料金に組み入れられてきましたが、電気料金制度について議論してきた経済産業省の有識者会議は、「これまでのように費用として認めるべきではない」と指摘しています。

原発のある自治体には、国からの交付金や核燃料税などの税金、それに電力会社からの寄付金が、原発の建設や稼働に伴って入ってきますが、このうち寄付金については、公開の義務がないため、実態がよく分からないと指摘されています。
NHKは、この寄付金について、原発のある13の県と北海道、それに30の市町村の合わせて44の自治体を取材するとともに、公文書の情報公開請求を行いました。
その結果、原発の建設が始まった昭和40年代からこれまでの寄付金の総額は、全国で最も多くの原発が立地する福井県が単独で235億円余り、青森県が設立した財団などに192億円余り、青森県東通村で180億円余りなどとなっており、総額は1640億円余りに上ることが分かりました。
また、公開された公文書によりますと、福井県の敦賀市では、日本原子力発電や関西電力、北陸電力などの電力会社が提供した寄付金で、昭和45年以降、劇場や展示場などが入った大型施設が建設されているほか、アニメキャラクターの銅像や市のPRビデオなどの作成、植樹などの事業も進められています。
静岡県の浜岡原発を巡っては、平成8年、旧浜岡町が5号機の増設計画に同意する条件として、地域振興への「特段の協力」を求め、中部電力から25億円の寄付を受けたほか、1号機と2号機の廃炉に伴って、平成21年には、静岡県が「国からの交付金を受け取れなくなる」として、代わりに寄付を求め、16億3000万円を受け取っています。
北海道の泊原発を巡っては、自治体と電力会社が原発推進と地域振興に互いに協力し合った証しとして、北海道電力から泊村に、昭和59年に4億3500万円が、平成13年には8億円が支払われています。
寄付金を巡っては、原発推進を目的に電力会社が申し出るだけでなく、地域振興をねらう自治体側から求めるケースもあります。
電気料金制度の見直しについて議論してきた経済産業省の有識者会議は、先週示した政府への報告書案の中で、「これまでのように発電事業にかかった費用として認めるべきではない」と指摘しています。』(2月6日付NHK)

【寄付とは何か】

寄付金とは、国や地方公共団体、公益目的の会社や団体、認定NPO法人、その他一般などへ寄付をする、反対給付を伴わない任意的な支出のことだそうです。そう「反対給付」を伴わないことが寄付金のボトムラインです。

電力会社がその「反対給付」を求めないで寄付をしているでしょうか?答えは「否」でしょう。電力会社が寄付金をすることで寄付先である自治体に無言の圧力をかけ、さらにはその寄付金を自社の必要経費として電気料金の算定根拠に入れるとかいうのは、社会正義を装って実のところ、自分の都合のいいように原発立地自治体を操って、自社の儲けまで膨らませようとしていたといわれても仕方がないのではないでしょうか。

NHKが情報公開請求を行って今回のような寄付金の実態を一部でも国民の前に明らかにしたことは評価に値すると思います。他のメディアも電力会社に遠慮していると言われないような本物の調査報道をして国民の知る権利を行使してほしいと思います。少しずつでも電力や国などの原子力ムラが今までやってきた理不尽な行動を明らかにしていくことが危険な原発から国民を守ることにつながつていくと信じています。みなさんはどう思われますか?  



2011年01月17日

【深刻な事態】

伝統的な神事が中止に追い込まれるかもしれないそうです。

『正月飾りやお札を焚(た)きあげて一年の健康を祈る伝統行事「どんと祭」が今年も14日夜に県内各地で開かれるが、近年は火に入れてはいけない携帯電話や時計を燃やす人が増え、破裂物が当たってけがをするケースが出ている。神社側は祭りの前に持ち物検査をするなど警戒を強めているが、最悪の場合は中止を検討するところもあり、深刻さが増してきた。

 昨年は、仙台市太白区の愛宕神社で、ご神火(じんか)から飛び出した破裂物が女性や郡山宗典宮司(51)に当たり、女性は額を数針縫う軽傷を、郡山宮司も額に切り傷を負った。宮司は「目に当たっていたら大惨事だった」と憤る。

 焼け跡を調べると、電池が入った時計や電動のぬいぐるみが交ざっていた。乾電池を製造しているパナソニック(大阪府門真市)では「電池を高温にさらせば内部の圧力が上がり破裂する可能性が高い。絶対に火の中には入れないでほしい」と注意する。

 どんと祭はもともと危険を伴うが、乾電池や携帯電話など想定外の物が燃やされると、さらに危険性が増す。他の神社でも過去に、岩沼市の竹駒神社でスプレー缶が破裂し、女性が足に切り傷を負った。利府町では神社でなく地元青年団が広場で行った際、塗料スプレー缶が爆発し、警戒中の消防団員3人がやけどを負っている。

 相次ぐ事故に神社側は対策を講じている。仙台市青葉区の大崎八幡宮では毎年、一般ごみを火に入れないよう職員ら約30人で持ち込み物のチェックをしている。だが、「プライバシーの侵害だ」と拒否する人も少なくないという。

 参加者のマナーが向上せず、事故が今後も起きれば、行事の中止にもつながりかねない。愛宕神社の郡山宮司は「今年も事故があった場合、来年以降の開催を見直すこともありうる。神事の意味を理解し、正しい参加を心がけてほしい」と呼びかけている。』(1月14日付読売新聞)


【マナーの悪さ】

「どんと祭」というのは、主に宮城県内の各地の神社で毎年1月14日に行われる伝統的な神事で、正月に飾った飾り物などを神社の境内で焼いてそのご神火にあたることで一年の無病息災・家内安全を祈願するもの。全国的に知られている宮城県内最大の「どんと祭」は仙台市大崎八幡宮で行われる松焚祭(まつたきまつり)があります。

その日本古来の伝統に則った神事で心ない人たちによる乾電池や携帯電話などの投げ込みでけが人が出ているというのです。本当に情けないというか、日本人として悲しくなるような出来事です。近所でたき火するときでさえ、危険物を投げ入れるなどというのは極力避けなければならないというのに、神様を前にして平気で危険な物を投げ入れるその神経。知らなかったではすまされない無神経さだと思います。

日本人が日本人としてのアイデンティティを問われるモラルの欠如として、宮城県の方々はしっかりと反省しなければならないと思います。もちろん、最近は神事を神事とも思わないモラルの悪さが日本中いたるところで見られます。宮城県だけでなく、僕らもしっかりと地域の伝統行事を自ら護ることを心がけていくべきだと思います。  



2011年01月14日

【試験的導入】

グーグルのスマートフォンが同時通訳機として使える時代が来ようとしています。

『米インターネット検索最大手グーグルは12日、スマートフォン(多機能携帯電話)が同時通訳機に早変わりするサービスを試験的に導入した。当初は利用人口の多いスペイン語圏を念頭に、英語とスペイン語に対応。徐々に対応言語を増やす計画だ。
 同社開発の専用基本ソフト(OS)「アンドロイド」最新版を搭載したスマートフォンであれば、利用者はネット経由でグーグルの配信システムから実用ソフト「トランスレート」を取り込み、使用できる。
 ソフトを立ち上げ会話モードを選択し、スマートフォンに訳したい英語を吹き込むと、ほぼ同時に人工音声でスペイン語が発せられる仕組み。その逆も可能だ。人混みなどで雑音が混じったり、方言でしゃべったりすれば機能しないこともあり、同社は改良を重ねるとしている。』(1月13日付時事通信) 


【夢の電話?】

現在でもグーグルのウェブサイトは多言語の翻訳機能を備えていますので、多少の時間はかかったり、翻訳のレベルが低いという問題はありますが、どこの国の人であろうとウェブ上では文字を通した会話は可能になっています。5億人の会員がいるといわれるソーシャル・ネットワーク「フェイスブック」(Facebook)においても70近い言語の翻訳を瞬時に行っていますので、すでにウェブ上の文字の世界では逐次翻訳レベルでは外国人同士の交流が活発に行われています。

そして今回は音声による同時通訳電話の試験的導入。まだまだ現在の技術レベルでは自動的に翻訳されて出てくる人工音声のレベルは人間の肉声、人間のしゃべる能力に比べれば相当劣後するとは思われますが、今後世界で使用されていけば急速に改良が進んでいくことでしょう。

世界中の人々と音声レベルでも自国の言語で同時通訳されながら自然にしゃべることができる時代がもうそこまで来ているのかもしれません。凄いですね。  



2010年11月18日

【突然の死?】

これほどの衝撃にもめげず舞台に立たれました。

『松平健(56)が泣いた。妻の元女優松本友里さん(享年42)が首をつって亡くなった衝撃から一夜明けた16日、福岡・博多座の舞台に立った。芝居「忠臣蔵」で松平ふんする大石内蔵助と妻りくとの別れの場面では、思わず涙をみせた。また、松平はコメントを発表し、友里さんが子育てや母の介護で体調を崩し、パニック障害、不眠症、うつのため病院通いしていたことを明かした。「私の力不足。残念な気持ちでいっぱいです」と痛恨の思いを吐露した。

 友里さんはパニック障害、不眠症、うつ状態と闘っていた。この日、報道各社に松平はファクスでコメント。「5年という短い結婚生活ではありましたが、懸命に家庭を守ってくれた良き妻でございました。出産後、いちずな性格で子育て、母の介護など、日々完ぺきにこなそうと取り組んだ結果、次第に体調を壊すことになりました」という。

 パニック障害などを発症後、この3年はいろいろな病院にかかっていたという。だが「心通じ合う医師とはめぐり合うことができず、6月にはずっと苦楽をともにすごしてきた姉妹のような最愛の母を亡くし、深い悲しみにも襲われ、自分の体の一部を失ったかのようでした。それだけ、母の存在は大きかったのだと思います」。

 その後も松平は手助けしてくれる人たちと友里さんを支えてきたが、博多座公演で2日から東京を離れた不在の時に4歳の長男を残して友里さんは死を選んだ。「このような結果になりましたのは、ひとえに私の力不足かと悔やんでおります。俳優という留守がちな仕事ではありますが、私がおりながら亡き母の穴を埋めきれず、愛する母のもとへ旅立たせてしまったこと、今はただただ残念な気持ちでいっぱいでございます」。最愛の人を守りきれなかった痛恨の思いだった。葬儀は30日に終わる博多座公演後、「12月に入りましてから、近親者のみで行うつもりです」という。

 前日15日は、妻の遺体と対面後、東京滞在4時間で福岡に戻った。眠れない一夜をすごした松平はこの日午前10時ごろ、約30人の取材陣の前に現れ、矢継ぎ早の質問に「お騒がして申し訳ありません。もう大丈夫です」と答えて楽屋入りした。公演は芝居「忠臣蔵」とショー「唄う絵草紙」の2本立て。関係者は明るくにぎやかな「マツケンサンバ」もあるショーの一部変更を打診したが、松平は「『マツケンサンバ』を楽しみに来てくださるお客さまもいる。変更せずにやりましょう」。プロの自負をみせた。

 言葉通り、ショーでは妻の死に触れることもなく、明るくはじけた松平だが、「忠臣蔵」では抑え込んだ悲しみが表に出た。吉良邸への討ち入り前に妻りく(紺野美沙子)を離縁した大石内蔵助。生きて会うのは最後となる別れの場面で、りくへの思いを語るところで松平は涙を流した。内蔵助と自らの思いが重なった涙だった。客席にはもらい泣きする観客も多かった。

 昼夜2回の公演を終えた松平はこの日夜、帰京した。羽田空港に到着した松平を約70人の報道陣が囲み、空港は一時騒然となった。松平は憔悴(しょうすい)しきった表情で「(本日の)ファクス通りです。舞台は大丈夫です」。「これから自宅に戻るのですか?」との質問には「うん」とだけうなずいた。今日17日は舞台は休演日だが、松平は「明日(17日)福岡に移動します」と小声で話し、関係者とタクシーに乗り込んだ。』(11月17日付朝日新聞)


【愛する人の死】

たとえどんなにお互いを信頼し愛している夫婦でも、同時期に死ぬことは心中でもしないかぎり出来ません。どちらかが先立ち、どちらかが見送るしかないのが夫婦の性なのかもしれません。

でも老衰で見送るのはやむをえないとしても、どちらかが病に侵され、なすすべもなく先立たれた場合にはこれほど淋しく、無力な自分に打ちひしがれることはないかもしれません。松平健さんの場合は、まさにそういう状況だと思います。

愛する人の死。それも自ら命を絶ってしまったパートナーの死はどれほど辛いことか。それでも舞台に立たなければならない役者という仕事の非情。気丈に振る舞う松平健さんが早く立ち直れるように心から願うばかりです。そして天国に先立たれた奥様の冥福をお祈りします。  



2010年10月13日

【やっと解放】

中国で拘束されていた現地法人の日本人社員がやっと釈放されて帰国しました。

『中国河北省石家荘市で、軍事管理区域に立ち入り違法な撮影を行ったとして、中国国家安全局に拘束されていた中堅ゼネコン「フジタ」の現地法人「藤田中国建設工程有限公司」(上海)社員、高橋定(さだむ)さん(57)が10日、帰国し、東京都内のフジタ本社内で記者会見した。

 高橋さんは解放から一夜明けた同日午後0時30分頃、上海からの中国機で羽田空港に到着。家族と同社で再会した。

 会見で高橋さんは「日本国民の皆様にご心配をおかけして、おわび申し上げます」と切り出し、「日本に帰って、大変うれしく思っている」と話した。

 自らが撮影していたビデオを中国当局の取り調べ中に見せられたところ、「軍事禁区」であることを示す看板が録画され、同行していた現地法人の中国人社員が、軍事禁区であることを指摘する音声も録音されていたという。高橋さんは「軍事禁区という意識で撮影はしていない。(中国人社員の声は)認識していなかった」と説明した。』(1011日付読売新聞)


【誰にでも起こりうる恐怖】

たまたま尖閣諸島を巡る日中間の対立が表面化した時期だったとはいえ、高橋さんの突然の拘束は誰にでも、そして海外であればどこでも起こる恐怖だと言ってもいいのかもしれません。特に一党独裁の中国や、政治的に不安定な国々などは要注意でしょう。

僕も3月に上海に旅行してきましたが、そのときはビデオやカメラを撮りまくりました。世界有数の大都会とは言え、高橋さんが拘束されたのと同じ国ということを思うとゾッとします。もちろん、軍事施設を撮影すれば拘束される危険があるのはどこの国でも同じかもしれません。しかし、その国と日本との政治的な揉め事が起こったときにたまたまその施設の付近を撮影していた個人の旅行者がその「人質」にされることは十分にありうることです。今回のケースもそれに近いかもしれないのですから。

国家同士の関係がどうあれ、個人で海外に行ってビデオやカメラを撮影するときには十分に注意しておく必要がありそうですね。

  



2010年08月31日

【年金詐欺?】

一体日本はどうなってしまうんだろうと思わせる事件がまたひとつ増えました。

 『高齢者の所在不明問題で、住民票の住所と実際の住所が違う85歳以上の年金受給者のうち、99年の死亡後も厚生年金が支給されていた大阪府の男性の親族が、日本年金機構の訪問調査を拒否していたことが分かった。男性への面会を求める職員に「忙しいんで」と返答したという。死後に支給された厚生年金は総額約2500万円に上る。厚生労働省は告訴を検討しており、年金詐取事件に発展する可能性も出ている。

 機構によると、年金受給者の生死は06年12月まで、全受給者が年1回郵送する「現況届」で確認してきた。現在は02年8月に導入された住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)を活用。死亡が確認されれば支給を停止している。

 しかし、住民票と年金記録で住所が異なるため、住基ネットで生死が確認できない受給者も存在するという。このため、同機構は現在も現況届での確認を一部行っているという。』(8月28日付毎日新聞)


【モラル崩壊】

今の日本を覆う閉そく感の中でも、最も関心が高く、また最も解決が難しいのは年金問題ではないでしょうか。旧社会保険庁のずさんな年金管理から始まったニッポン国の年金問題は、ついにというべきか、所在不明の高齢者とその家族による年金受給問題にまで辿りつきました。

100歳を超える高齢の老人が生死不明のまま、年金を受給しているという実態。それを長年放置してきた行政も悪いのですが、それ以上に自分の親族が亡くなってもそれを放置してしまっている人たちが多数存在するというのは、本当に情けないことだと思います。日本人としてのモラルもなにもすでに崩壊してしまっているといったほうがいいかもしれません。

当然のことですが、親族の死を隠して年金を不正に受給している人たちがいるとすれば、それは徹底的に摘発すべきでしょう。そうでなければ、年金制度はこの点からも崩壊せざるを得ないでしょう。

日本全体のモラル崩壊がもたらした高齢者の生死不明と年金受給問題。まだまだ問題の根は深いところにあるのでしょうか。背筋が寒くなる思いです。
  



2010年08月09日

【過去最多】

過去最多の国々が参列しました。

『広島は6日、65回目の原爆の日を迎えた。秋葉忠利広島市長は平和宣言で、日本政府に非核三原則の法制化や「核の傘」からの離脱を訴えた。平和記念式典には潘基文(バンキムン)国連事務総長や原爆を投下した米国の代表、核保有国の英仏代表も初めて参列。核兵器廃絶の潮流を加速させる「8・6」となった。鎮魂から核軍縮に向けた象徴の場へヒロシマの位置付けも変わりつつあるが、核廃絶の実現には政治の現実が立ちはだかる。(2、6、24面、社会面に関連記事)

 広島市中区の平和記念公園で午前8時に始まった平和記念式典には、過去最多の74カ国から駐日大使らが参列した。オバマ大統領が「核兵器なき世界」を提唱した米国からはルース駐日大使が出席した。大使は、式典の最中、硬い表情を崩さず、終了後はすぐに会場を去り、大使館を通じて「未来の世代のために、私たちは核兵器のない世界の実現を目指し、今後も協力していかなければならない」とコメントを出した。

 秋葉市長は平和宣言で「核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めている。世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつある」と強調。非政府組織(NGO)や国連と協力し、自身が会長を務める平和市長会議が提唱する2020年までの核廃絶実現を掲げた。

 潘事務総長は朝鮮戦争中、戦火に包まれた故郷から逃げ出した記憶が平和を願う原点と自らの体験を引き、「被爆者の方々が生きている間に、核兵器のない世界を実現しよう」と呼びかけた。式典後の講演では、核軍縮・不拡散をテーマにした国連安全保障理事会首脳級会合の定期開催などを提案した。』(8月6日付毎日新聞)


【風化するHiroshima、Nagasakiの悲劇】

先日、最新作「終わらない夏」について作家の浅田次郎氏がテレビ番組の中で語っていた中に、戦争で亡くなった死者が何万人とかの数で語られ始めるというのは、戦争の悲惨な事実が忘れ去られ、ひとつの「概念」となりつつあることのひとつの証であるというような話がありました。

まさに広島や長崎の原爆投下についてもそうかもしれません。すでに戦後65年もの歳月が経過し、原爆投下に居合わせた人々が次々と亡くなっていく中、亡くなった方々のおびただしい数だけが広島・長崎の原爆投下を「概念」としてだけ残していきつつある。

そんな厳しい現実の中で開かれた今回の記念式典に過去最多の国々の参加がありました。これは「概念」となりつつある原爆の悲劇を「概念」で終わらせないための重要なステップとなるのか、今のところわからないというのが正直な僕の感想です。

原爆投下で亡くなったり、今でもその後遺症に悩む方々の苦しみを何とか世の中のために生かしていくためには、核兵器を含む核そのものの廃絶を実現していくしかないとは思うのですが、次々と核保有国が拡大していく現実や地球温暖化防止のためという大義名分のもとで次々と世界中に原発が増えていく現実を考えると目標実現の道のりは果てしなく遠いように思われます。

それでも、今回の広島の平和記念式典参加国の増加に見られるように、オバマ大統領の昨年のプラハ演説から始まった核廃絶に向けた世界の動きに一縷の望みを持ちたいものです。
今日も、長崎で65回目の平和記念式典が開催されます。

  



2010年08月06日

【戦場からのラブレター】

8月3日に放送されたNHKの「クローズアップ現代」は、「戦場からのラブレター」と題して、戦後65年が経過して少しずつ出てきた戦地から妻や恋人たちに宛てたラブレターに関する番組でした。

なぜ今、個人のプライバシーが詰まった特別な「手紙」が次々と公開されてきているのでしょうか。
それは、過酷な太平洋戦争をある者は戦地で、ある者は内地でくぐり抜けて、その後の激動の昭和・平成の時代を生き抜いてきた方々が80歳を超えて、自らの苦しかった体験を自分の胸の内にしまうのではなく、出来るだけ多くの人に知ってもらいたい、その最後のチャンスだと考えたからに他なりません。戦場からのラブレターは、そういった方々が戦争で失ったかけがえのない方々のいわば「形見」のようなものなのです。それを公開するというのはよほどの決意があってのことだと思います。

【ある兵士の体験】

「クローズアップ現代」の中で紹介されていた戦地から出された70通余りのある兵士の妻に宛てたラブレターは胸を打つものでした。その兵士は結婚間もなくして召集され、30歳そこそこで上海の戦場から内地の妻にラブレターを切々と書いてこられていました。最初は敵国となった中国や中国の人たちに対する憎しみや恐れが文面に綴られていましたが、ある時から文面に大きな変化が現れます。

それは妻に子供が生まれた直後に、上海の戦地で捕えた中国人捕虜とその妻、そして自分の子供と同じくらいの幼子を銃殺にする現場に立ち会ったときでした。彼は上官の命令を無視し、その母子の前に立ちはだかって銃殺を阻止したのです。その出来ごとを妻に宛てた手紙の中で語り、戦争の理不尽さについて正直な気持ちを吐露していたのです。その出来事の後は、中国人の子供たちを単なる敵としてではなく、愛おしい存在と見るようになったという本人の気持ちの変化がその後のラブレターに綴られていました。

そして、しばらくしてその兵士は上海の地で戦死したと、ラブレターを公開したその兵士の娘さんは語っていました。

【最後の語り部たち】

今、日本全国で戦争の最後の語り部たちが重い口を開き始めています。それは今回の番組で紹介されたように、戦場にいた愛する夫や恋人たちからのラブレターを公開した女性たちであったり、実際に過酷な戦場で生死の境をさまよった兵士たちであったり、様々ですが、それらの方々はすでに80歳を超えて最後の語り部となる決意を固めたのです。

そのような方々はテレビで拝見する方だけではありません。僕やあなたの周りにたくさんおられるのではないでしょうか。

戦中・戦後の、言葉では言い表せないほどの苦難を背負った人たちを私たちは単に「高齢者」とひとくくりにして言いますが、今の日本がこれだけ豊かになったのはこの方々の苦労があったからだということをもう一度心に刻み、その貴重な体験を是非聞かせていただくことが60代以下、戦後世代すべての責務だと感じるのは僕だけでしょうか。
少なくともこれから8月15日の終戦記念日までNHKを中心に放映される戦争を体験した世代の番組に静かに耳を傾けてみることをお勧めします。

  



2010年08月05日

【次々と判明】

まるで荒涼とした砂漠のような風景が日本中に広がっています。

『東京都内で住民登録がある高齢者が死亡していたり、登録地に住んでいないことが判明した問題で3日現在、全国で100歳以上の男女計18人の所在が確認できないことが、毎日新聞のまとめで分かった。なぜこうした事態が相次ぐのか。

 足立区で111歳の男性とみられる白骨遺体が見つかった事件。男性の地域を担当している民生委員の女性(73)は行政の限界を指摘した。

 女性が最初に男性宅を訪れたのは93年。1年に1度、都営バスと地下鉄の無料パスを配った。パス制度が取りやめになる98年まで訪問を続けたが、娘が「父は元気にしています」などと答えるだけで、本人の姿を見たことはなかったという。

 男性が今年1月、都内男性最高齢になったため、女性が「区からのお祝いを渡したい」と男性宅を訪ねた。家族は「会いたくないと言っている」と説明。2月に再度訪れると、孫と名乗る男性が「岐阜県の施設に入っている」と愛想良く答えた。

 その後、今年で民生委員をやめる女性は「気になる問題を解決しておこう」と改めて電話した。だが、家族は「施設ではなく実家にいる」「体調を崩している」と説明を二転三転させ、面会を拒否された。近所の人たちも「会ったことがない。家にいないのではないか」と話したため、区役所の担当者と相談して警察に届け出て、事件が発覚した。』(8月3日付毎日新聞)


【近所ばかりか家族も】

8月4日現在、日本全国で所在が確認できない100歳以上のお年寄りはすでに30人を超えているそうです。政府が各自治体に所在の確認を促したのが大きな原因ではありますが、何か報道されればされるほど寒々とした気持ちになるのは僕だけでしょうか。

隣近所の人たちばかりか、家族にまで見捨てられたというか、核家族化の中でその生死さえも関心を持つ人がいなくなったり、ひどい場合には生きていることにされてその高齢者の遺族年金を家族が受け取っていたりという事実が次々と明らかになってきているからです。

長寿社会を世界に誇っていた日本の威信も、家族の愛も、何もかもが音を立てて崩れていくような哀しい現実。現代日本は長生きしていくことさえも幸せに結びつかない砂漠のような社会となり下がってしまうのでしょうか。

本当に哀しいニュースです。

  



2010年07月06日

【新条例】

米国はいまだに銃の取り扱いについてのコンセンサスが出来ていないようです。

 『イリノイ州シカゴの市議会は2日、銃規制に関する新条例を全会一致で可決した。これは、6月28日に連邦最高裁判所が拳銃の所持を禁じた同市の旧条例が憲法違反に当たると判断したのを受けての措置だ。

新条例の下では、1家族が所有できる使用可能な銃は1丁のみで、その他の銃はロックするか、施錠されたケースに入れて保管する必要がある。また銃の所有者は、州の許可証の所持やシカゴ警察への銃の登録、さらに4時間の授業と1時間の射撃訓練の受講が義務付けられる。

シカゴのリチャード・デイリー市長は、旧条例を違憲とした最高裁判決について、「判決はわれわれが望んでいた内容ではなかったが、予想通りだった」とし、「だからこそ、われわれは数カ月前から家庭での銃所持を規制する正当かつ責任ある条例を準備し、今日、市議会がそれを承認した」と語った。

最高裁判事らは判決の中で、米国憲法は自衛目的での特定の拳銃の所持の問題について、個人に対し、州と同等あるいは州以上の力を与えているとの考えを改めて示した。

また判事らは、その権利の根拠として合衆国憲法修正第14条の適正手続条項を挙げたが、地方自治体はなお、全国的に施行されている「妥当な」銃規制法を順守するための柔軟性を保持していると指摘した。』(7月3日付 CNN.co.jp)


【自己防衛と社会の安全】

それにしても銃社会アメリカの現実は、日本人である僕にとっては違和感を感じざるを得ません。シカゴ市が治安の維持を目的に銃規制をしようと条例を作ろうとしたら、最高裁がそれは憲法違反だと言って銃規制はするなというのですから驚きですね。

このような銃に対する考え方の違いでよく言われるのは、「アメリカは全世界から移民が流入して誕生した国家であり、建国当時の『自分の身は自分で守る』という精神が現在でも多くの米国民の中に根強く残っている」というものです。先住民族のインディアンを駆逐し、その後自ら奴隷として招き入れた黒人の反乱、さらには白人同士のいがみ合いから身を守るためにアメリカ人にとっては銃の所持は当たり前のことなのでしょう。

幸い僕が20年以上前にアメリカに滞在していたころは身近に銃の恐怖を味わうことはありませんでしたが、日々生活していても家族や自分の身の安全を日本とは比較にならないくらい感じるというのが正直な感想でした。

日本も最近では暴力団抗争に銃が使われ、一般市民が巻き添えになったりするニュースが増えてきましたが、アメリカの現実とは大きく異なります。自分の身の安全と社会全体の安全。どちらを優先するのかは、銃に依存したアメリカ社会において未だにアメリカ人ひとりひとりに突きつけられた難問です。
  



2010年06月04日

【関心低下?】

5月24日の韓国戦の敗北以来、サッカーの日本代表に対する期待感が日増しに低下しているようです。

『世論調査機関の中央調査社は3日、開幕を目前にしたサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に関する全国意識調査の結果を発表し、「非常に関心がある」「ある程度関心がある」の回答は計41.2%で、前回ドイツ大会の54.2%から大きく低下した。
 テレビなどでの試合観戦も、「時間があれば」などの消極的な回答を含め、「見る」は47.1%にとどまった。「まったく関心がない、分からない」は38.1%に上った。
 これは日本代表への期待度を反映しているとみられ、日本の成績予想で「1次リーグ敗退」は26.2%で4人に1人強の割合。「決勝トーナメント進出」は38.1%で前回大会前から約15ポイント減。「優勝」は1.8%だった。優勝予想ではブラジルが24.6%で大差のトップだった。
 4月に行った調査は無作為に選んだ全国20歳以上の男女4000人を対象に個別面接し、1315人から回答を得た。』(6月3日付時事通信) 


【日本が消える?】

日本人の自分たちの国に対する関心だけが問題なのではありません。海外から見た日本そのものの存在感がどんどんなくなってきているようなのです。

政治の世界がその典型例です。一昨日の鳩山由紀夫首相の突然の退陣表明によって、民主党代表選に出る菅直人財務相は韓国・釜山で4~5日に開かれる20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議の欠席を決めたと報じられていますが、これもその一例です。金融にど素人の亀井大臣は言うに及ばず、政治の混乱で国際舞台での日本の存在感はどんどん低下してきているのです。

政治だけではありません。ビジネスウィーク誌やタイムといった欧米の雑誌の経済面や文化面などに掲載される日本人や日本の企業の記事はめっきり少なくなりました。今までもどちらかと言うと少なかったのですが、最近はトヨタ問題など悪いニュースがときおり載るくらいで、全く日本の存在感はなくなっているというのが正直なところでしょう。

一体、日本はこれからどうなっていくのか、不安ばかりが募る今日この頃です。

  


2010年05月12日

【笑える結果?】

当事者である各々の役所は大まじめかもしれないけれど、出てきた結果は笑えるものかもしれません。

『全国の高速道路37路線(50区間)で6月から実施される無料化の社会実験を巡り、CO2(二酸化炭素)排出量への影響を試算していた環境省と国土交通省は7日、それぞれ「増加する」「減少する」と、正反対の結果を公表した。


 民主党はマニフェストの目玉に「温室効果ガスの25%削減(1990年比)」を掲げているが、もう一方の目玉「高速道路の原則無料化」の行方次第では、足を引っ張る形になりそうだ。
 実験中のCO2排出量について国交省は「本来、年間2億5700万トン排出されるところが、25万トン減る」と推定。25万トンは約5万世帯の年間排出量に相当する。同省は、一般道路の渋滞が緩和して燃費の悪い低速運転が減るためとしているが、試算では、高速道路が無料化された後、鉄道などの利用者が自動車に移行することを考慮しないで、「交通量は変わらない」との前提に立っていた。

 これに対し、環境省は、2005年度の鉄道利用者数や自動車交通量をもとに、無料の高速道路、一般道路、鉄道のうち、人々が最も早くて安い方法で移動すると仮定して試算。この結果、鉄道の利用者が減る代わりに自動車の利用者が年間のべ約4000万人増え、CO2排出量はむしろ年間33万トン増えると結論づけた。

 ただ、環境省は自動車の利用増で渋滞が引き起こされる可能性を勘案しておらず、「交通状況によっては試算より排出量が増える恐れがある」(同省)という。小沢環境相は同日、記者会見で「あくまでモデル計算の結果。無料化後は実際のデータをもとにしっかり(分析を)やりたい」と述べた。(5月8日付 読売新聞)


【縦割り行政の愚の典型】

各役所が出す統計予測数値がいかに恣意的で、縦割り行政の愚かさを示すものか、この二つの役所による高速無料化に伴うCO2(二酸化炭素)排出量への影響試算は見事に表しています。

本当にCO2の排出を減らして地球温暖化の抑制を図るにはどうしたらいいかという命題よりも、自分たちの都合のいい数値を発表するには、どの前提条件やどの変動項目をいじったらいいか、そちらのほうが大切なのです。その意図がそれぞれが公表した数値が全く正反対の結果になって公衆の面前で「恥をさらしている」ようなものでしょうか。

今まで数え切れないほどの役所による将来予測に基づいて作られた道路や滑走路や都市計画などがこうやってもっともらしい条件付けのもとに無駄な公共事業を増やしてきたのではないでしょうか。CO2の削減ひとつとってみても、日の出づる国(日の沈む国?)ニッポンが抱える問題はあまりにも大きく、解決の道筋が見えないと思うのは僕だけでしょうか。
  



2010年05月11日

このブログでは普段は新刊本の紹介はしないのですが、あまりにも面白かったので今日はその本を紹介します。それは、

「電子書籍の衝撃」 ( 著者 佐々木俊尚、出版社 ディスカヴァー・トゥエンティワン) です。

読み進むうちに、「キンドル」や「iPad」という電子書籍の登場によって、今は日本では紙が主流の「本」という身近な存在がこれからどうなっていくのかというテーマについての筆者の鋭い分析にぐいぐいと引き込まれていきました。

この本の筆者である佐々木俊尚氏のインターネットやメディアに関する本は今までいくつか読んで啓発を受けましたが、今回もiPadの発売を目前にして電子書籍が紙の書籍をどう変えていくのかについて、アメリカの動向を踏まえ日本の出版界の現実を暴露したうえでその近未来を読者に大胆に提示してくれます。

本を手に取ったときは、もうひとつの電子書籍に関する本「iPad vs. キンドル」と同じように個々のデバイスの性能に関する本なのかと思っていたのですが、目次を見てもわかるようにその分析はiPadとキンドルというデバイス競争から電子ブックのプラットフォーム、セルフパブリッシング、日本の出版文化の問題点、そして本の未来、とりわけ日本の書籍文化のパラダイムシフトがどのようにいくのかなどについて社会全般の在り方も含めて幅広いものになっています。

この10年くらい音楽の世界は、レコードからCD、そしてiPodと iTuneの登場でコペルニクス的な展開をしたのはみなさんご存じのとおりです。果たして紙の本もレコードと同じ運命を辿るのか、読書マニアでなくてもゾクゾクするような未来が目の前に迫っていると感じませんか。そのガイダンスをしてくれるのがこの本だと思います。みなさんも手にとって読んでみられませんか。きっと本の近未来について「なにか」が見えてくると思います。
  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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