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2010年07月30日

【ブリ大量死】

陸上での異変と同じく海でもかつてない異変が起きているようだ。

『小康状態を保っていた長島町沖八代海の赤潮被害が19日以降、再び活発化し25日までに、ブリとカンパチが計144万4500匹死滅した。過去最悪の被害を出した09年の死滅数を上回った。被害総額は集計中という。県が引き続き厳重な警戒を呼び掛けている。
 原因は「シャトネラ・アンティーカ」と呼ばれる毒性の強い植物性プランクトンで、今年は7月上旬に発生した。県によると、被害の内訳は東町漁協管内でブリ132万7500匹▽北さつま漁協管内でブリ11万4000匹、カンパチ3000匹。
 09年は7月28日~8月10日(14日間)に発生し、8月上旬に被害が集中した。計121万匹が死滅し、被害総額は約20億3000万円と統計が残る76年以降で過去最悪だった。
 今年は、26日で発生から既に27日間が経過し長期化している。県によると、水温や塩分濃度などから8月上旬はプランクトンが繁殖しやすい環境となり、被害が広がる可能性が高いという。』(7月27日付毎日新聞)

【赤潮が警告する】

35度以上という猛暑が日本全国を席巻してすでに2週間近くが過ぎた。これから8月に入って、ますます気温が高い日が続きそうな気配であるが、異常高温は陸上だけでなく海上そして海中も確実に影響を与えているだろう。この記事にある赤潮はそのひとつの事例としての可能性がある。

先日もお伝えしたように、このブログを書き始めてからもう5年近くになるが、その間にも様々な海の異変を伝えてきた。最近だけでも巨大深海魚の漂着、玄界灘のウニの大量発生、明石のタコ大発生など水温の上昇が原因と推測されるような異変が続々と報告されている。

海水温の上昇に関しては、昨年7月26日に国連環境計画(UNEP)が最近の調査結果をまとめていますが、それによれば日本を含む各国の沿岸海域のほとんどで、過去25年ほどの間に地球温暖化による海水温度の顕著な上昇が観測され、魚の資源の減少が目立つとされ、特に日本海は1982年から2006年までの水温上昇が1・09度で、東シナ海(1・22度)などとともに「上昇傾向が特に大きい」六つの海域の一つとされたそうだ。

見た目には海は以前と変わらないように見えるが、海中では最近の急激な気候変動の影響で海流が大きく変化し、魚介類の生態系が様変わりしているのではないかと思われるのだ。そうなると、たとえ自然界の魚の資源の減少を養殖で補うといった人知の力で克服しようとしても、海中の急激な変化にはとても太刀打ちできないだろう。

ニュースになろうとなるまいと、人々が関心を示そうと示すまいと、自然界の異常は陸上だけでなく、海においても深く大きく進行しているのだ。

  



2010年07月29日

【アジアの子供たち】

みなさんは「アジア太平洋こども会議・イン福岡」という団体を御存じでしょうか?この団体はアジア・太平洋地域のこどもたちと福岡のこどもたちとの交流を目的に1988年に福岡に設立され、今年で活動を始めてから22年目になります。テーマは「We are the BRIDGE つなげます、世界の夢を」ということで、毎年7月になるとアジアの30カ国近い国・地域からたくさんの子供たちがやってきて、福岡の市民の家にホームステイしたり、福岡の子供たちと交流キャンプなどを通じて国際理解を深めています。

もう20年近くになるので、最初のころの子供たちは30代くらいに成長していて、アジア各国で活躍しており、そのネットワークは年々成長しています。これって福岡が地域としてやっている事業としては最も未来のある事業だと僕は信じて疑いません。なぜなら、子供たちが主役だからです。

【みらいサミットでの発表】

そのアジア太平洋こども会議が今年の事業のひとつの目玉として福岡市の協力を得て、福岡市の市議会議事堂で各国の子供たちが未来を語るという会議を7月24日の土曜日の午後に開催しました。幸いにもその会議に参加することができたのですが、正直感動しました。なぜでしょう。それは以下の理由からです。

1. 30カ国近いアジアの子供たちが、あの大きな議事堂の中で、堂々と家族の未来、学校の未来、地域の未来、地球の未来、人類の未来といったテーマで、しっかりと自分たちの主張を述べたことです。中にはそのまま政治家になってもいいくらいの立派な「演説」をしていた子供たちもいました。

2. まだ10歳にも満たない子供たちが英語という共通の言葉で、考え、発表し、行動し、お互いを理解しあっていることです。もちろん、言葉などなくても通じ合える正直な心が子供たちにはあることも実感できました。

3. 最後に、参加している国・地域の中に名前も知らなかった国や地域があったのですが、一番驚いたのはツバルやモルジブ、トンガといった太平洋の諸島国家から来た子供たちが地球温暖化の脅威にさらされている自分たちの国の将来を真剣に憂い、なんとかしたいと訴えていることでした。

これらの国々のこどもたちの未来は、もちろん子供たち自身と子供たちの国々の大人たちが第一義的には作っていくべきものですが、国レベルではどうしようもない地球規模の災禍である気候変動、地球温暖化には僕たち日本国を含め先進国といわれる国々が先頭に立って解決に向けた真摯な努力をしていかなければいけないと痛感させられました。

そうしなければ今回参加した太平洋の島嶼国の子供たちに未来はないのです。子供たちの真剣なまなざしに打たれた一日でした。  


2010年07月28日

【熱中症で死者】

連日の猛暑で熱中症の死者まで続出しています。

『全国的な猛暑が続く中、17日からの1週間で、熱中症とみられる死者が16府県で少なくとも52人に上ることが23日、読売新聞社のまとめで分かった。

 救急搬送された人は、少なくとも41都府県で5896人となり、気象庁は注意を呼びかけている。

 埼玉県では、自宅などで遺体が発見され、検視後に熱中症と判断された死者が18人だったことが県警のまとめで判明。持病に加えて暑さが原因で死亡したとみられる人も13人に上った。

 ただ、他の都道府県の死者数は0~3人で、自治体によって集計方法が異なるため、実際の死者はさらに増えるとみられる。

 23日は、最高気温が35度を超える「猛暑日」が全国で140地点に上り、群馬県館林市など3市で38・9度を記録。愛知や三重などで6人が亡くなった。』(7月24日付 読売新聞)


【油断は禁物】

梅雨が明けてからまだ1週間ほどしか経っていないと言うのに、これほどの被害が出ているというのは相当重大な事態だという気がします。おそらくこれから夏本番に突入する中で、さらに死者の数、病院搬送者の数は増えるのではないでしょうか。

全国的に37度以上となった地域として、多治見市が22日に39.4度、三重県桑名市と群馬県館林市は38.9度、群馬県伊勢崎市で38.4度、埼玉県熊谷市と前橋市で37.9度と気象庁は発表し注意を呼び掛けていますが、これらの地域だけでなく33度や34度といった地域でも厳重な警戒が必要だと思います。先日もビニールハウスにいた農家の方が亡くなったとのニュースがありましたが、計測値として発表される気温ではなく自分がいる場所が熱がこもりそうなところだと40度とか50度にもなりうることに注意しなければなりません。

例えば、車の中や家の中でもクーラーなどの設備を動かしていなければ外気温が体温近くになるような異常事態のなかでは予想もしないような温度に達することは十分ありうるでしょう。

通の夏ではないという意識を常に持って念には念を入れて健康管理、暑さ対策をする必要がありそうです。みなさんも気を付けてくださいね。
  


2010年07月23日

【猛毒の魚?】

小さいけれど猛毒の「サカナ」が南からやってきているようです。

『フグと同じ猛毒を持ち、かまれると死に至ることもある「ヒョウモンダコ」が九州北部で相次いで見つかっている。

 熱帯・亜熱帯海域が本来の生息地だが、専門家は温暖化による海水温の上昇で生息域が北上していると指摘する。海水浴シーズン真っ盛り。福岡県などは「海で見つけても絶対に素手で触らないように」と注意を呼び掛けている。

 ヒョウモンダコは体長約10センチと小さく、浅い海の岩礁や、砂と小石が交じる海底に好んで生息する。その名の通りヒョウ柄で、薄茶色の地に焦げ茶色のまだら模様がある。刺激を受けて興奮すると全体がやや赤みを帯びた色になり、まだら模様はリング状の青色に変化する。

 唾液(だえき)の中にフグと同じ神経毒の「テトロドトキシン」を含み、かまれるとおう吐やしびれ、けいれんを引き起こす。オーストラリアやインドネシアなどの太平洋、インド洋海域に生息し、かまれた人が全身まひで死亡した例もある。

 九州では鹿児島、沖縄両県にまたがる南西諸島が主な生息域とされ、ダイバーらの間で「要注意生物」として知られてきた。しかし、福岡県でも昨年11月、福岡市西区の博多湾でカキ養殖いかだにいるのを県水産海洋技術センターの職員が初めて発見した。

 センターが漁師らに注意喚起して情報収集を始めると12月以降、同市東区の志賀島沖で2匹、糸島市の玄界灘で4匹の発見報告が相次ぎ、今年4月12日には北九州市若松区沖の海底に沈めたイカ漁用のかごから1匹が見つかった。

 さらに、長崎県壱岐市沖で6月23日に1匹、佐賀県唐津市沖で7月6日に1匹を発見。大分市沖でも昨夏、2匹が捕獲されるなどしていた。幸い、けが人の情報はまだ寄せられていないという。』(7月22日付 読売新聞)


【広がる海の異変】

このブログを書き始めてからもう5年近くになりますが、その間にも様々な海の異変を伝えてきました。最近だけでも巨大深海魚の漂着、玄界灘のウニの大量発生、明石のタコ大発生など水温の上昇が原因と推測されるような異変が続々と報告されています。

海水温の上昇に関しては、昨年7月26日に国連環境計画(UNEP)が最近の調査結果をまとめていますが、それによれば日本を含む各国の沿岸海域のほとんどで、過去25年ほどの間に地球温暖化による海水温度の顕著な上昇が観測され、魚の資源の減少が目立つとされ、特に日本海は1982年から2006年までの水温上昇が1・09度で、東シナ海(1・22度)などとともに「上昇傾向が特に大きい」六つの海域の一つとされたそうです。

見た目には海は以前と変わらないように見えますが、海中では最近の急激な気候変動の影響で海流が大きく変化し、魚介類の生態系が様変わりしているのではないかと思われます。今回発見された「ヒョウモンダコ」も人間が引き起こした気候変動によって南の海からやってきた「招かれざる刺客」ではないでしょうか。
  



2010年07月22日

【猛暑にウォッカ?】

思わぬ天災になす術なしというところでしょうか。

『連日、記録的猛暑に見舞われているロシアの非常事態省は、ウオツカなど酒に酔って、水浴びをし、水死する人の数が急増していることを明らかにした。6月だけで死者1200人以上、7月も既に400人以上で、今年に入り合計1600人以上が命を落とす異常事態になっている。政府は全国的に非常事態を宣言。暑さとは程遠いイメージのあるロシアが今夏、危機的状況となっている。

 この夏、早くも1600人以上―。ロシアで暑さと飲酒による水死者数が、異常なペースで増え続けている。

 ロイター通信などによると、同国では6月中旬から、130年ぶりという記録的猛暑で、降雨もない酷暑が続いている。気温40度を超える地域もある。夏の平均気温が20度前半の首都モスクワでも17日に、同日気温では過去最高の35度を記録。月間平均気温は例年を6度以上も上回る見込みだという。

 軍も暑さの影響で毎週恒例のパレードを中止するほどの事態。エアコンは在庫が売り切れており、市民は涼を求め、ビールやウオツカを飲み、水浴びする姿がロシア各地の水辺で見られている。』(7月19日付スポーツ報知)


【日本でも猛暑続き】

日本でも梅雨が明けたと思ったら、連日35度を超す猛暑が日本各地で観測されています。海の日の19日にも、全国各地で気温はぐんぐん上がり、気温が35度以上の「猛暑日」となり、大分県中津市で36.8度を記録したとのことでした。

日本ではここ数年、真夏は35度以上というのはあまり珍しくなくなりましたが、30年以上前はせいぜい30度前後というのが普通でした。つい先々週にはアメリカや欧州で40度以上という熱波が襲っていたことを考えると日本はまだまだましなのかもしれません。

しかし、極寒のシベリアを有するロシアでは35度を超えるような暑さは少なくとも今生きている人たちには経験したこともない暑さなのですから、ウォッカを煽って海に飛び込む気持ちもわからないではありません。

【年々深刻化する猛暑】

このニュースによれば、ロシアの非常事態省は全国83地域中、20地域近くで非常事態を宣言したそうです。また、米海洋大気局(NOAA)の分析では、地上と海面を合わせた地球全体の今年1~6月の平均気温が14・2度と、観測が始まった1880年以来最高だったことが分かったばかりであり、今世紀に入ってからの気候変動、地球温暖化の動きは確実に深刻さの度合いを増しているように思います。

たった数十年、いや数年でこれほどまでの気候の変化が世界各地で頻発するのは尋常ではない事態でしょう。本当にこれから僕たちの世界はどうなっていくのでしょうか。1人1人の人間はしばらくの間、気候変動や地球温暖化の脅威について忘れていることが出来るかもしれませんが、現実は人間の記憶などお構いなしに変化し続けています。もう個人の力でも、企業の力でも、国家の力でもどうしようもない事態が迫っているのでしょうか。
  



2010年07月21日

【「はやぶさ」人気沸騰】

これほどまでにブームになるとは、今は亡き「はやぶさ」自身も予想だにしなかったでしょう。

 『小惑星探査機「はやぶさ」が6月に帰還したことを受け、”誕生の地”である相模原市が宇宙ブームに沸いている。はやぶさ帰還を描いた映画を上映する市立博物館(中央区高根)には、全国から来場者が押し寄せている。はやぶさが持ち帰り、同館で今月末に全国初公開となるカプセルについても問い合わせが殺到。4月に政令指定都市に移行した相模原市は「シティーセールスにつなげたい」と、追い風に期待を寄せる。

 映画は、帰還が話題になった6月だけで約5千人が観賞。平日でも定員210人の席がぎっしり埋まり、満員御礼が続く。「開館以来、こんなことは初めて」と市立博物館はうれしい悲鳴を上げる。好評を受け、今月16日までだった上映を8月31日まで延長することを決めた。

 宇宙関連のイベントも相次ぐ。市は、市内に研究機関のある宇宙航空研究開発機構(宇宙機構)と今月1日、山崎直子さんら宇宙飛行士の講演会を開いた。事前に用意した500人分の入場チケットが、配布開始とともに終了するほどの人気だった。』(7月18日付 カナロコ)


【胸打つ感動】

小惑星探査機「はやぶさ」が先月13日、7年1カ月ぶりに地球に戻って来て、夜空の星になったことは日本全国に大きな感動を与えました。
地球からお3億キロという途方もなく遠い小惑星「イトカワ」に着陸し、地球誕生と同じ成分というこの小さな惑星の砂を持ちかえることをミッションに2003年に地球を飛び立った「はやぶさ」。2005年に「イトカワ」に到着したものの、一度目の着陸失敗で機体が損傷、一時は通信が途絶えて行方不明になったそうです。

さらに四つあるエンジンのうち三つが破損。壊れた2台の正常な部品を電子回路でつないで1台分の推進力を得るという起死回生の策で切り抜けたのは、相模原市にある管制室の根気強い作業があったのです。満身創痍(そうい)の中で2010年6月にサンプル採取できたであろう砂の入ったカプセルを地球に落とし、自身はミッションを終えて夜空に散っていきました。

何度の失敗にめげずに、その重責を果たした「はやぶさ」に自分自身の人生を重ね合わせて感動した人々も多かったのでしょう。「はやぶさ」は日本のヒーローとなって蘇ったのです。

【次なる目標へ】

一時は事業仕分けの対象にまでなったといわれる小惑星探査機計画は、「はやぶさ」の地球帰還によって一般大衆の絶大なる支持を受けたこともあり、2014年に後続の探査機を打ち上げることに決まりました。日本経済新聞によれば、日本政府はさらに性能を高めた「はやぶさ2」の打ち上げ計画を来月確定する計画だということです。本当によかったですね。新しい技術の進歩は様々な苦難と挫折の中から生まれてくるものです。是非、「はやぶさ」で培った技術を後継機にも存分に生かしてほしいものです。
  



2010年07月20日

【重大な提言】

遅きに失したと言うべきか、地デジ移行時期に関する提言が有識者から発表されました。

『放送分野の有識者らは17日、来年7月に予定されているテレビの地上デジタル放送完全移行を2~3年延期するよう求める提言を発表した。現行計画では「テレビを見られない家庭や事業所が数百万規模で発生する」と指摘、災害時の情報伝達などの点で問題があるとしている。
 提言はジャーナリストの坂本衛氏、清水英夫青山学院大名誉教授、砂川浩慶立教大准教授、原寿雄元共同通信社編集主幹らがまとめた。それによると、低所得者層への地デジ対応受信機の普及や、南関東などの集合住宅でアンテナ改修が遅れており、「あと1年では間に合わない」と主張している。』 (7月18日付時事通信)


【出されていた警告】

地デジ放送への移行のやり方については随分前からいろいろ批判が出ていたのですが、もう10年近く前の電波法改正で政府は移行に間に合わないであろう独居老人や年金生活者などの弱者を切り捨てて2011年7月までの完全移行を決定しました。その当時から無理やり地デジへの移行を進めれば全国で1億2千~3千万台あると言われているテレビの凡そ4千~5千万台が移行に間に合わないと言われていたのにです。

その理由をここで述べると長くなるのですが、要するに当時の郵政省と大蔵省の省庁間の取引のテクニックとして出てきた国民不在の措置だったのです。テレビのように全国に100%近く普及したサービスを、数千万人の利用者が残ったまま、国が一方的に打ち切るというのは、世界にも例がないのです。

【政治的解決?】

自民党時代に進められたこんなお粗末な政策に対して、与野党が逆転して天下を取った民主党は、地デジへの国費投入に、もともと批判的だったので、「地デジ移行は自民党政権のとき、国民に十分説明しないで決めたことだ」といって地デジ移行の延長を求めるのではないかと言われています。また、視聴者から「放送中止は財産権の侵害だ」として集団訴訟が起こされる可能性もある中、あと1年後に迫った地デジの完全移行期限は民主党にとってさらなる頭痛の種になることは間違いないでしょう。僕ら国民はその行末をしっかり監視しておく必要がありそうです。

≪参考≫

・「電波利権-池田信夫著、新潮新書」・・・2007年8月11日の僕のブログ
  



2010年07月15日

【大荒れの天気の中、博多一番!】

今年の7月15日は昨年の抜けるような快晴とは一転して土砂降りの雨の中での追い山ツアーとなりました。

そんな中、例年どおり参加者を募って「追い山見学ツアー」を実施しました。今回は福岡在住の留学生中心に集まってもらったのですが、昨年と同じくブログやmixiを見た高校の先生や台湾留学生などの参加者があったり、ブログつながりの高校の大先輩が再度参加されたりと総勢15人とそこそこちょうどいい規模になりました。留学生は国籍は韓国、中国、セネガル、大学は九大、日本経済大学、福岡大学、福岡国際大学など多彩な顔ぶれでした。さらに嬉しいことには昨年も参加されたオーストラリア在住の日本語教師の方も再度来ていただき写真を撮ってもらいました。

早朝4時25分、博多駅前の飾り山前に集合して全員でいざ出陣。途中ではぐれたら、そこからは自分で見学してくださいと事前に説明した上で、まさに追い山を「追っかけて」回るツアーの開始です。

【勇壮な追い山の男たちと鎮め能】

今年の一番山は中洲流、そして二番は西流でした。いつもの通り、承天寺付近から見学し、旧東町筋を走って行きましたが、一番山・二番山のときは大雨で見物客も昨年よりは少なく感じました。しかし、土砂降りの雨にもかかわらず、狭い通りを走り抜ける男たちと舁き山の勇壮さには惚れ惚れします。そして各流れの前を走る子供たちの凛々しい姿も早朝の博多の町にぴったりとはまっていました。

今回も終点の須崎の廻り止め方面には行かず、呉服町から旧西町筋に抜け、櫛田神社に戻りました。というのは、舁き山がすべて出払った後の午前6時から櫛田神社の能舞台で行われる「鎮め能」を見たかったからです。

「鎮め能」は追い山の櫛田入りが終わり、山笠でわさわさとざわついていた社頭を鎮め、御神霊を慰めるために行われる伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。なんと寛文8年(1668年)から黒田藩ゆかりの喜多流梅津社中の方々で奉納されていて、昔は博多七流の輪番制だったそうですが、大正のころからは福神流の当番制で行われていたものの、戦時中に能装束道具等が焼失したため、今は袴能として行われています。翁・高砂・船弁慶と三つの囃子が演目としてありましたが二つだけ鑑賞して御供所町に移動しました。

舞囃子の能舞台は厳粛な雰囲気で、確かにざわついていた境内が静まり、神様も無事山笠が終了したことを喜んでおられるような気分にさせてくれました。

【反省と感謝】

鎮め能を鑑賞した後は、御供所町(ごくしょまち)に歩いて移動し、先日東流の委員をされておられる方にお願いしていた「直会(なおらい)」を見に行きました。しかしながら到着したときは未だ全員で後片づけをされている最中で、とても見学を許すような雰囲気ではありませんでした。というのも今年は東流は7番目だったので、昨年見学させていただいたときよりもずっと後に「なおらい」が始まるのです。

それとは知らずに後片付けに忙しい中を「見学」などしようとした自分を少し反省しました。東流のみなさん、失礼いたしました。というわけで、直会はまた機会があれば見学させていただくことにして、その場を去り、近くの喫茶店でみんなで休憩をして解散しました。

梅雨明け前のドカ雨も無事乗り越えて、今年も2010年の追い山を追える(終える)ことが出来ました。追い山見学ツアー参加者のみなさん、どうもお疲れ様でした。また明日から元気で頑張りましょう!!!
  



2010年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。

櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取ろうかと考えています。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※

  (※はやし言葉繰り返し)
 
 
というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。

  


2010年07月14日

【本番前の最終練習】

「追い山」を明日に控えた最後の練習-それが「流れ舁き」です。明日と言っても15日の午前4時59分が一番山のスタートですから、もうすぐです。僕は子供の頃に東流れの後についていってただけなので舁き手としての盛り上がりを実体験したわけではありませんが、でも相当血液中のアドレナリンがたぎっているだろうなあとは想像できます。明日、本番だ。よ~し。

【なんで4時59分?】

その「追い山」のスタート時間がなぜ4時59分という半端な時間なのかご存知ですか?それは一番に走る一番山笠だけ櫛田神社の清道内で「博多祝い唄」を歌うことが許されているからなのです。

各山笠は5分ごとに出発する約束があり、午前5時に舁き出すと、一番山笠だけ「唄」の分、短くなるので舁き出しを1分早めてあわてることがないように配慮してあるということです(博多祇園山笠振興会のパンフレットより)。

櫛田神社の桟敷席はあっという間に売り切れるので、櫛田神社の桟敷席で一番山の雄姿を見るのはあきらめています。また、櫛田神社の前で櫛田入りする山を見ようと思って朝一番に行っても、多分観光客が溢れてて見れないでしょう。東長寺の清道か東町筋の聖福寺前に陣取ろうかと考えています。

【「博多祝い唄」って?】

ところでその一番山笠が清道をくるりと回り、途中でストップして歌うのが「博多祝い唄」です。博多っ子なら知らんかったらもぐりと言われます。披露宴や宴会などのおめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして皆で歌いますが、これを歌うと「ああ、博多におれてよかった!」と胸にジーンと来るのです。元唄は、伊勢音頭と言われ、お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰ったそうです。

  祝いめでたの若松さま~よ、若松さま~よ、
  枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
  ※エーイーショウエー エーイーショウエー
  ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
  アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ※

  (※はやし言葉繰り返し)
 
 
というのがその歌詞です。博多に来られて少し滞在し、宴会の席に呼ばれるときっと一度は聞くことになると思います。明日の追い山の一番山笠でも歌いますのでよく確かめてみてください。

  


2010年07月13日

【「集団山見せ」ってなに?】

山笠は商人の町博多のお祭りです。

なに?新幹線で降りたらJR博多駅。でも都市名は福岡市。一体どうなっているの?

そう、明治時代に福岡にするか博多にするか迷ったそうですが、最終的に政令指定都市としての公の都市名は福岡市となりました。というのは、昔は、那珂川を挟んで、東が商人の町博多、西側が武士の町、黒田52万石の城下町、福岡だったのです。
その福岡と博多の違いを踏まえて「集団山見せ」とは何かご紹介します。

「集団山見せ」とは、昭和37年に福岡市が「より多くの人たちに山笠の楽しさを」と要請して始まった行事で、博多の祭りの山笠を福岡の人達にも見せる為、たった1度、山笠が那珂川を越えて福岡に入ることを言います。

【博多と福岡の違い】

僕は博多の生まれなので、博多っ子であることに誇りを持っています。生まれは自分では選択できないので、たまたま自分は博多っ子になった、ただそれだけなのですが、特に山笠の時期になるとなんとなく博多の血が騒ぐのです。

僕の通った高校は長谷川法世さんの漫画「博多っ子純情」のモデルになっている学校ですが、そこは商人の子供が多く呉服町の呉服商の息子や博多人形師の息子などがいました。そして山笠の時期になると、学校も心得ていて山笠に出るといえば何と学校を休むこともできたのです!

そういうわけで博多は商人の魂が生きている、それは庶民の町でもあります。さらに言えば反骨精神、官に物申す心意気、自由で奔放な気風など庶民のイメージぴったりです。それに比べて福岡は武士の町でもあり、何か型にはまった、時にはいばったような、「お上」のイメージが付きまといます。

【集団山見せ再考】

「集団山見せ」も行事としてはいいことだとは思いますが、どうもよく考えると「お上」である福岡の市役所に博多の商人が年に一度ご挨拶にお伺いするような、博多っ子からすると「なしてお上に挨拶せないかんとや」とも言いたくなります。

まあ、いいか。そこはおおらかに「お上」の要請に応えて挨拶にいっちゃろうというところですか。寛大でしょ、博多っ子は。  


2010年07月12日

【追い山に向けた足慣らし】

本日、7月12日にはいよいよ15日の追い山に向けた本番さながらの足慣らしである「追い山ならし」があります。

「追い山ならし」は12日の午後3時59分に、一番山の「櫛田入り」で始まります。今年の一番山は中洲流れです。昼間ではありますが、走る距離が1キロ短い以外は「追い山笠」と同じ条件ですので、祭り気分はグーンと盛り上がります。

【テンション高まる舁き手たち】

僕は実際には山笠を舁いた(担いだ)ことはありませんが、経験のある友人に尋ねるとこの追い山ならしのころから舁き手たちのテンションは15日の追い山に向けてどんどん高まっていくようです。
もちろんこの期間も含めて山笠期間中は女性からも遠ざかってひたすら自分たちの流れの山が無事に、最も勇壮に走れるように猛々しいエネルギーのすべてを山笠ひとつに注いでいくのです。

【早朝の追い山が見れない人は「追い山ならし」見学がオススメ】

その舁き手たちの勇壮な姿を見る観客の方ですが、実際の追い山は15日の早朝4時59分がスタートなので朝が弱いけれど追い山の雰囲気を味わいたいという方はこの「追い山ならし」が狙い目です。

ただし、はやり本当の迫力を味わうためには本番の15日に行くしかありません。今年は15日は木曜日で大方の人は出勤前の追い山見物ということになりますが、一度見る価値は十分あります。みんな一度見に行きませんか?

  


2010年07月09日

今日から一週間は僕のブログは山笠一色になります。山笠以外の話題は一週間お休みをいただきますのでご了承ください。そして「じゃ見るまいか」とおっしゃらずに博多山笠をよく知る週間と考えてお付き合いください。

【博多の夏-博多祇園山笠】

いよいよ夏本番! 博多の男たちの血をたぎらせる博多祇園山笠のカウントダウンが近づいてきました。7月に入ってからの山笠の日程はというと、1日の飾り山公開に始まって、15日の追い山で幕を閉じます。

7月1日(木)  飾り山一般公開(14日夜まで) 夕方 お汐井取り(当番町)

※「今年も燃えましたー追い山見学ツアー2009」


7月9日(金)  夕方 お汐井取り(全流)

7月10日(土)  夕方 流舁き・流区域内

7月11日(日)  早朝 朝山・流区域内 午後 他流舁き・流区域外

7月12日(月)  追い山ならし(追い山リハーサル) 15時59分 舁きだし

7月13日(火)  集団山見せ 15時30分 (呉服町→明治通り→市役所)

7月14日(水)  夕方 流舁き・流区域内

7月15日(木)  追い山笠 4時59分 舁きだし

※「凛々しい祭りー追い山」(2006年の追い山ツアー記録)

一年間、男たちが待ちに待った山笠の興奮がこの15日間の行事を通して徐々に高まってくるのです。

【7月9日のお汐井とり-神事での始まり】

博多祇園山笠は760年近く続く博多の神事です。その中でも神事らしい神事のひとつとしてこの「お汐井とり」があります。お汐井とは、海岸の砂のことで、博多湾に面した筥崎宮というお宮の海岸の真砂をお汐井てぼ(竹かご)に納めて各戸の玄関口に置き、「災いを除き、福を招く」お祓いとして身を清めるために使われるものです。

博多祇園山笠では、山笠を舁く前に身を清めるために各町内の流(「ながれ」という。各町内の山笠のこと。東流れ、大黒流れなど)がそれぞれの山小屋から約10kmの距離を流毎に一番から順にお汐井とりに筥崎宮前の海岸にやってくるのです。僕も小学生のころはおじいさんに連れられてお汐井とりに行っていたことを覚えています。

【お汐井とり後の5日間】

お汐井とり後は、流舁き、追い山ならし、集団山見せと段階を踏んでクライマックスの追い山に達します。その最初の日は10日。今年初めて「舁き山」が動く流舁きです。夕方の16時~18時にかけて、7流すべてが流ごとに、それぞれの流の区域内を舁き回ります。いよいよ男たちの血が騒ぎ始めますよ。

それから忘れてはならない行事がもうひとつあります。それは追善山です。「追善山」とは前年の山笠後に亡くなった方で町総代や取締を務め、流に貢献した人を追悼する山笠の行事です。男衆が故人への敬意を込めて遺族の方々に追悼するもので、博多ならでわの行事であり厳粛なものを感じます。

このような神聖なお祭りである博多祇園山笠。今年も勇壮な追い山がひとりの事故もなく行われることをお祈りします。


≪山笠のサイト紹介≫

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。

~役に立つ山笠紹介サイト~

「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

「山笠の達人になろう」~CLUB九州 2009山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。

「山笠があるけん博多たい」~中洲観光協会、中洲町連合会で、山笠のよもやま話が書いてあり一読の価値あり
  


2010年07月08日

【長谷川法世の世界】

皆さん、長谷川法世っていう漫画家をご存知でしょうか。博多の人はよく知っていると思いますが博多以外の人にはあまり知られていないのかもしれません。でも以前に博多山笠を題材にしたNHK朝の連続ドラマの原作を書いた人と言えば少しはピンと来るかもしれませんね。



【博多っ子純情】

その長谷川法世が世に出した最も有名な漫画が「博多っ子純情」ですが、最近西日本新聞社からその復刻版が数年前に出ていて中学生編の第一冊目から序徐々に買い揃えています。直近のは6冊目かな。(実はこれ以降は発刊されていないようですが)

この漫画に出てくる主人公の六平を見ていると、自分も同じような失敗をしていたことを思い出し、おもわず「ぷっ」とふきだしてしまいます。
なんか、博多もんのおおざっぱでおおらかで、元気なところをよく描き出しているのです。

【ふるさとを大切に思うこころ】

僕はこの主人公と同じく、博多山笠がスタートする櫛田神社という神社のすぐ近くで生まれ育ちましたので、よく六平の心情がわかるのです。そして読み進めていると、じーんと胸が熱くなることがある。

「ああ、ふるさとてよかね~。」という思いです。

博多に生まれ育って、今は博多から遠く離れて暮らしておられる博多っ子の皆さん、それから博多っ子ではなくても博多のファンのみなさん、なつかしくなったり、博多の元気がほしいとおもったら「博多っ子純情」を読まれるか、この「博多っ子の元気通信」を読んでください。きっとふるさとが暖かく迎えてくれますよ。

そしてこのマンガの原作者である長谷川法世さんも、今は千葉から博多に戻ってきておられますよ。

  



2010年07月07日

【代替フロンの罪】

オゾン層破壊には役立ったのですが、今度は別の問題が出てきました。

『政府は、空調(エアコン)や業務用冷凍冷蔵機器の冷媒などに使われる代替フロン類の排出削減を強化する方針を固めた。代替フロン類は、オゾン層破壊物質「特定フロン」に代わり普及したが、二酸化炭素(CO2)の百数十倍から1万倍以上の温室効果を持ち、大気中に大量漏えいしている可能性が高い。政府は温暖化防止の上で対策が急務として、回収や使用中の漏えい防止の強化、代替物質の開発を急ぐ。

 ハイドロフルオロカーボンなどの代替フロン類は、CO2と同様、京都議定書による削減対象で、08年度排出量(CO2換算)は2360万トンで、これまでは減少傾向だった。しかしオゾン層保護のためのモントリオール議定書で規制される「特定フロン」からの転換で、20年度には2.4倍の5560万トンになると予想されている。

 政府は法律で廃棄時の回収を義務付けているが、回収率は3割程度と推計している。経済産業省は「温室効果ガスの排出削減が進めば、増加が続く代替フロン類の占める割合が大きくなる」として、今秋にも対策を盛り込んだ報告書をまとめる。』(7月4日付毎日新聞)


【守られたオゾン層】

ウィキペディアによると、 「オゾン層(オゾンそう)とは、地球の大気中でオゾンの濃度が高い部分のことであり、オゾンは、地上から約10~50kmほどの成層圏に多く存在し、特に地上20~25kmの高さで最も密度が高くなる。」と説明されており、オゾン層は、太陽からの有害な紫外線の多くを吸収し、地上の生態系を保護する役割を果たしているというのはみなさん御存じのとおりです。

しかし、冷蔵庫、クーラーなどの冷媒や、プリント基板の洗浄剤として使用されてきたフロンなどの塩素を含む化学物質が大気中に排出されたことで、成層圏で塩素原子が増加し、オゾン層の破壊が進みました。このままオゾン層が破壊され地表に有害な紫外線が増えると、皮膚がんや結膜炎などが増加すると考えられて、20世紀末から全地球的なフロンガス規制が進められ、オゾン層の破壊の進行はなんとか食い止めることができたと言われています。

【もうひとつの脅威】

しかし、問題はそれでは終わりませんでした。この記事にあるように、オゾン層破壊の元凶とされたフロンガスを減らすために、代替フロンが使われるようになったのですが、その代替フロンが実は地球温暖化の元凶である二酸化炭素(CO2)の百数十倍から1万倍以上の温室効果を持ち、大気中に大量漏えいしている可能性が高いというのです。恐るべき代替フロンの裏の顔。CO2対策だけでなく、代替フロンの「代替物質」の開発も全世界が早急に取り組んでいかなくてはなりません。

つい先週、NHKスペシャルで「深層崩壊」という特集がありました。これは地球温暖化がもたらす記録的な豪雨が、土砂災害の概念を大きく変え始めているというものでした。その深層崩壊の典型的な例が、昨夏、台湾南部のなだらかな山が、大雨によって頂上付近から大崩壊を起こし、そのふもとにあった集落を襲い500人の命を奪った自然災害でした。この深層崩壊は日本でもすでにあちこちで起こっているらしく、地球温暖化の脅威はもう私たちの足元に迫っているのです。

昨年暮れのコペンハーゲンで開催されたCOP15での京都議定書後のCO2排出削減の枠組みの合意失敗以来、日本だけでなく世界の地球温暖化への取り組みは一時の熱気が冷めて迷走しているように見えます。しかし、人間がその対策を忘れようと忘れまいと、気候変動や地球温暖化の動きが報道されようとされまいと、現実の世界は刻一刻と深刻さの度合いを増しているということを僕たちは一瞬でも忘れてはいけないと思います。みなさんはどう思われますか?
  



2010年07月06日

【新条例】

米国はいまだに銃の取り扱いについてのコンセンサスが出来ていないようです。

 『イリノイ州シカゴの市議会は2日、銃規制に関する新条例を全会一致で可決した。これは、6月28日に連邦最高裁判所が拳銃の所持を禁じた同市の旧条例が憲法違反に当たると判断したのを受けての措置だ。

新条例の下では、1家族が所有できる使用可能な銃は1丁のみで、その他の銃はロックするか、施錠されたケースに入れて保管する必要がある。また銃の所有者は、州の許可証の所持やシカゴ警察への銃の登録、さらに4時間の授業と1時間の射撃訓練の受講が義務付けられる。

シカゴのリチャード・デイリー市長は、旧条例を違憲とした最高裁判決について、「判決はわれわれが望んでいた内容ではなかったが、予想通りだった」とし、「だからこそ、われわれは数カ月前から家庭での銃所持を規制する正当かつ責任ある条例を準備し、今日、市議会がそれを承認した」と語った。

最高裁判事らは判決の中で、米国憲法は自衛目的での特定の拳銃の所持の問題について、個人に対し、州と同等あるいは州以上の力を与えているとの考えを改めて示した。

また判事らは、その権利の根拠として合衆国憲法修正第14条の適正手続条項を挙げたが、地方自治体はなお、全国的に施行されている「妥当な」銃規制法を順守するための柔軟性を保持していると指摘した。』(7月3日付 CNN.co.jp)


【自己防衛と社会の安全】

それにしても銃社会アメリカの現実は、日本人である僕にとっては違和感を感じざるを得ません。シカゴ市が治安の維持を目的に銃規制をしようと条例を作ろうとしたら、最高裁がそれは憲法違反だと言って銃規制はするなというのですから驚きですね。

このような銃に対する考え方の違いでよく言われるのは、「アメリカは全世界から移民が流入して誕生した国家であり、建国当時の『自分の身は自分で守る』という精神が現在でも多くの米国民の中に根強く残っている」というものです。先住民族のインディアンを駆逐し、その後自ら奴隷として招き入れた黒人の反乱、さらには白人同士のいがみ合いから身を守るためにアメリカ人にとっては銃の所持は当たり前のことなのでしょう。

幸い僕が20年以上前にアメリカに滞在していたころは身近に銃の恐怖を味わうことはありませんでしたが、日々生活していても家族や自分の身の安全を日本とは比較にならないくらい感じるというのが正直な感想でした。

日本も最近では暴力団抗争に銃が使われ、一般市民が巻き添えになったりするニュースが増えてきましたが、アメリカの現実とは大きく異なります。自分の身の安全と社会全体の安全。どちらを優先するのかは、銃に依存したアメリカ社会において未だにアメリカ人ひとりひとりに突きつけられた難問です。
  



2010年07月05日

【ミュージアム開館】

いよいよ開館しました。

『プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長の野球人生を振り返る「王貞治ベースボールミュージアム」が3日、福岡市中央区のヤフードーム内にオープンし、開館直後から大勢のファンでにぎわった。

 約2200平方メートルのミュージアムは、王会長の人生をたどる「歴史館」や世界記録樹立をたたえる「記録館」、プロ投手の球速を体感できる「89(やきゅう)スタジオ」に分かれ、写真や現役時代のバットなど約600点を展示している。歴史館には昭和の街並みや生家の中華料理店も再現し、王会長の少年期やプロ選手として活躍した時代を追体験できる。

 開館の式典で球団の孫正義オーナーは「王さんのホームランに沸き上がった、あの夢にあふれた時代を思いだしてほしい」とあいさつ。王会長は「ぜひ親子連れで来ていただいて、何かにチャレンジすることの大切さを共感してもらいたい」と期待を込めた。』(7月3日付産経新聞)


【福岡の名所に】

王さんの偉業は現役時代のホームラン王としての大記録だけではありません。現役引退後は、1995年にダイエーホークスの監督として福岡に来られ、その間にホークスを2度日本一(1999年と2003年)に導き、2000年にはリーグ優勝も果たしました。

さらには、2006年3月開催の「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック」日本代表チーム監督に就任し、3月21日の決勝戦でキューバを10-6で破り、日本を初代チャンピオン(世界一)へと導き、選手・監督として名実共に「世界の王」となったのはみなさん御存じのとおりです。

その「世界の王」が福岡・博多の地にこれほど長くとどまって、この地にとってかけがえのない方になるとはダイエー監督として来られた当時は誰も想像だにしなかったのではないでしょうか。昨年は古希を迎えられ、これからは福岡・九州の野球少年の育成に尽くしていきたいと仰っておられました。本当に博多っ子にとってはかけがえのない方です。

その王さんのミュージアムは、王さんの偉業と人柄をいつでも子供たちに教えられる場として、王さん本人とともに永遠に福岡にとどまってほしいですね。

  



2010年07月01日

【飾り山のお披露目】

さあ、いよいよ博多の各場所で飾り山が公開されて山笠の本番シーズンとなりました。写真はそのひとつ、博多駅商店連合会がスポンサーになっている飾り山で、舁き山はありません。今年は表の標題が「龍馬が奔る(はしる)」で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の主役坂本龍馬が、敵対していた薩摩と長州を結びつけ、徳川慶喜の大政奉還、王政復古、明治維新への大きなうねりを作った時代を躍動感たっぷりに表現しています。見送りは「アニメ チャギントン」。博多人形師は生野四郎さん(67)です。3年前から始まった博多駅の建替え工事は今年になっていよいよ本格化し、博多駅周辺は人の行き来が複雑になって不便ですが、来年3月の新生博多駅のためにあと少しの辛抱です。

【雨と山笠】

今年は例年より少し遅れて梅雨入りしました。山笠とは、そもそも承天寺というお寺を開山した聖一国師が1241年に疫病退散を祈願し、施餓鬼棚に乗って町中を回ったのがその起源という通説があり、災害や疫病の発生しやすい時期にその防除を祈る祭りなのです。今年はどうやら山笠で雨乞いをする必要はなさそうですね。

【これから15日間、博多は燃えますぞ!―追い山ツアーも用意】

さあ、760年以上にわたって続いている神事、山笠のクライマックスの15日間。博多の男たちは日々テンションを高めていって、7月15日の追い山を迎えます。例年であれば、追い山が終わるとうっとうしかった(博多弁では「しろしかった」と言います)梅雨の空がカーッと晴れ上がって真夏がやってくるのですが、これからしばらく梅雨空が続いて舁き山の男たちの汗を流してくれることでしょう。

もう数年前から始めている「追い山見学ツアー」、今年も博多のことを多くの人に知っていただきたいという思いから決行します。昨年は外国人も含めて15人近くの方々に参加していただき、博多祇園山笠の真髄に少しは触れていただけたかなあと思っています。概要は以下のとおりです。ツアー参加後は博多に惚れこむ事請け合いです。今年は酒飲みにとってはなじみの深い(?)中洲流れが1番山です。期待したいですね。

1. 日時 7月15日(木曜日) 午前4時半~6時前後

2.目的 追い山見学(10人前後のグループになって、博多っ子ならではの追い山のホットスポットをご紹介します)

3.コース 博多駅前集合⇒承天寺付近⇒聖福寺近くの旧東町筋⇒大博通り⇒西町筋⇒須崎問屋街(場合によっては大博通りから櫛田神社に戻って「鎮め能」を見るかもしれません)

4.集合場所 博多駅博多口、前日14日まで飾り山のあった場所

5.集合時間 7月15日午前4時10分(遅刻厳禁! 4時30分までに出発します)

6.現在の参加者状況 (6月28日現在12名程度。あと少しで締め切ります)

7.昨年の参加者 外国人の方、英会話学校の生徒さんなど多彩でした。

8.連絡先 luckymentai@ybb.ne.jp

9.「追い山ツアー」の写真・・・「luckymentaiさんの旅行ブログ―今年も燃えました―追い山見学ツアー2009」


【山笠のサイト紹介】

博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。


1.「博多祇園山笠」~博多祇園山笠公式サイト

2.「博多祇園山笠」~中洲観光協会、中洲町連合会、博多祗園山笠振興会のサイトです。

3.「山笠の達人になろう2008」~CLUB九州 2008 山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。

4.「山笠があるけん博多たい」~中洲観光協会、中洲町連合会で、山笠のよもやま話が書いてあり一読の価値あり
  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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