2007年12月28日

【ブット氏、逝く】

パキスタン情勢が再び混迷しそうな悲報が突然入ってきた。

ブット氏暗殺-パキスタン混迷『パキスタンの首都イスラマバード近郊のラワルピンディで27日、パキスタン有力野党「パキスタン人民党」総裁のベナジル・ブット元首相(54)が暗殺された。来年1月8日の総選挙に向けた同党の集会会場から立ち去ろうとした際に狙撃された。狙撃した男は直後に自爆、周りにいた少なくとも20人が死亡した。ムシャラフ大統領は「テロリストの悪意に満ちたたくらみは、打ち負かされるだろう」と暗殺を強く非難した。総選挙を前に有力政治家のブット氏がテロの犠牲になったことで、パキスタン情勢が混迷を深めるのは確実だ。』(12月27日付毎日新聞)
【カリスマ的指導者】

ブット氏といえば、その端麗な容姿と歯にきぬ着せぬ言動でカリスマ的指導者としてパキスタン国民の人気が高かった。ムシャラフ大統領や米国のブッシュ大統領は、その国民的人気に目をつけて多少のリスクを承知の上でブット氏をパキスタンに呼び戻し、ムシャラフ-ブット・ラインでの国内政治の安定化を模索していた矢先だった。

『ブット氏は1953年6月21日、アリ・ブット初代首相の長女としてカラチで生まれた。69~77年に米ハーバード大と英オックスフォード大に留学。77年の軍部のクーデターで自宅に軟禁され、その後、英国へ亡命。86年に帰国し反政府運動を展開した。88年11月、ハク大統領の死亡に伴う民政復帰選挙でブット氏率いるパキスタン人民党が勝利。同年12月に35歳でイスラム教国家初の首相に就任した。90年8月、当時のカーン大統領に首相を解任された。93年に一時首相に復帰したが、96年に再び解任された。99年には汚職などで禁固刑の判決を受けたが、服役を拒否して出国。今年10月18日、8年半ぶりに帰国していた。』(12月27日付毎日新聞)

その経歴を見ても実に波乱にとんだ生涯だ。ムシャラフ大統領にとっては最大の政敵でもあるが、総選挙をにらんでこれからパキスタンの国内の混迷打破のために是々非々の協議を模索していこうとしていたシナリオはもろくも崩れ去った。

年明け早々からパキスタン情勢から目を離せなくなってきた。

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