2013年03月16日

「フクシマ・アーカイブ」5日目。2011年3月11日の東日本大震災発生、福島第一原発の事故発生6日目にして初めて、メディアが原発の現場のすさまじい状況を伝え始めたのが3月16日でした。このときすでに大量の放射能が放出されていたことをブログを書いているときはまだ知りませんでした。事態は想像以上に悪化していました。

以下は、2011年3月16日の僕のブログ記事です。

【やっと報道】

やっと福島第一原発の現場がどれだけ決死の作業をやっているのかについての報道が出てきた。

必死の現場―福島第一原発『高濃度の放射性物質の放出が続く福島第一原発。

 放射能汚染の恐怖と闘いながら、決死の作業が続く。15日朝に大きな爆発が起きた2号機。東電や協力企業の作業員ら800人が水の注入作業を行っていたが、爆発に伴い、「必要最小限」という50人を残し、750人が一時、現場から離れた。被曝(ひばく)を避けるため、放射線量が高くなると作業を中断しなければならない。15日午前、隣接する3号機付近で観測された400ミリ・シーベルトの環境下で作業できる時間は15分が限度。津波による被害で、停電も続く。照明がつかないため真っ暗な建屋内で、作業効率はあがらない。余震が続く中、津波警報で作業の中断を余儀なくされることもある。400ミリ・シーベルトを記録したのは、作業員が携帯する放射線監視装置だった。

 12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃がすための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ・シーベルト以上の放射線を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。

 もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。

 経済産業省原子力安全・保安院によると、同原発で注水作業に当たる東電職員らは約70人。緊急時対策室でポンプなどを制御しつつ交代しながら格納容器付近の現場で活動している。

 中央制御室で監視できる計器も、被災後、故障し計測不能なものがある。遠隔制御も不能で、原子炉冷却のために弁を開く作業も手作業するしかない。福島第一原発は1971年に1号機が稼働した古い原発で、通路などが狭く作業しにくいことも足を引っ張る。

 注水が進めば原子炉内の圧力が上昇し、炉の崩壊の危険性が高まるため、弁を開いてガスを外部に放出しながら進めなければならない。ガスは放射性物質を含むため、放出自体は最小限に抑えなければならない。東電の担当者は「バランスをみながらぎりぎりの選択の連続だ」とため息をつく。』(3月15日付読売新聞)


【しわ寄せは現場へ】

現場はまさに地獄の中での作業なのだ。放射能による急性障害で倒れる、あるいは水素爆発で吹き飛ばされる、あるいは作業を終えても放射能による晩発性の障害の恐怖など様々な恐怖と闘いながら、現場の作業員や保安員の方々は決死の作業を続けているのだ。どんなにテレビで立派なことを言う評論家も、どんなに体裁よくその場を取り繕う政治家も、どんなに果敢に陣頭指揮を執っているように見える電力会社の経営陣も、原子力安全保安院の役人も、この現場の人たちの死を賭けた必死の努力に比べれば、何ほどのこともない。

いつの時代も、どんな惨事も、最後は現場がすべての責任を取って命を賭けて闘わなければならないのだ。このことを僕らは片時も忘れてはならないと思う。

【しかし、事態は深刻に】

必死の現場―福島第一原発しかし、事態は刻一刻と深刻化している。2号機の格納容器損傷・高濃度の放射線放出、1号機・3号機の燃料棒露出状態の継続、4号機の水素爆発。もうこれ以上ないと思われるほど最悪の連鎖が続いているのだ。もうあとはメルトダウンによる炉心破壊→大量の高濃度放射能の放出しか残されていない。それが1つの炉で収まるのか、それとも2つになるのか、3つになるのか、4つになるのかという違いだけだ。どれでも福島周辺、関東地域、そして日本全国が非常事態に陥るだろう。

いたずらに危機を煽るつもりはないけれど、原子炉の現場は現場の尊い人たちにお願いして、政府や対策本部は住民の健康被害を最小限に抑えるための最大限の情報公開、そして大規模な秩序立った避難計画の策定と迅速な実施、経済への影響を最小限に抑えるための中長期の手立てに早急に着手・実行することだと思う。もう時間はあまり残されていないのかもしれない。


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