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2010年12月16日

【遺骨収集】
先が見えない時ほど、こういう場所に赴くことは重要なことかもしれません。

『菅直人首相は14日、羽田発の航空自衛隊機で、太平洋戦争の激戦地だった硫黄島(東京都小笠原村)を訪問した。日本兵の遺骨収集を進める政府特命チームの活動状況の視察が目的で、自衛隊滑走路の西側の調査現場を訪れた首相は、自らの手で土の中に埋まっていた遺骨を取り上げた。午後には戦没者追悼式に出席する。
 現職首相の硫黄島訪問は、2005年6月の小泉純一郎氏以来。菅首相は、民主党代表代行を務めていた06年9月に訪れたことがある。
 硫黄島では日本兵約2万2000人が戦死したが、09年度までに収集した遺骨は約8700体にとどまっている。今夏に米国で実施した資料調査で、約2200体が埋められたとみられる場所がほぼ特定されており、特命チームが発掘調査を進めている。』(12月14日付時事通信)


【栗林中将の最期】

僕がこの記事を取り上げたのは、週末の出張のため、福岡空港で飛行機を待つ間に立ち寄った本屋で見つけた「硫黄島 栗林中将の最期」(梯久美子著、文春文庫)に目がとまり、一気に読んだところだったからです。もちろん、数年前に読んだ「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」(梯久美子著)やクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」などを見ていたので硫黄島にことのほか興味を持っていたこともあります。

その「硫黄島 栗林中将の最期」には、梯氏の丹念な取材により硫黄島に関わるいくつかの驚くべき事実が明らかにされていました。その中でも最も僕の胸を打ったのは最期の一篇「美智子皇后 奇跡の祈り」でした。そのドキュメントには、美智子皇后さまがマスコミの心ないバッシングで声を失った平成5年10月の誕生日からおよそ5カ月を経た平成6年2月12日に硫黄島に戦没者慰霊訪問をされたときに奇跡的に声が戻ったというお話でした。それまでもひたすら太平洋戦争で亡くなられた戦没者の慰霊の旅を続けてこられた美智子皇后さまが誰にも邪魔されることのない硫黄島というかつての激戦地で、約2万人もの戦没者の方々の声なき声に耳を傾けひたすら祈り続けたときに、失っていた声を取り戻されたというのは本当に不思議な、しかし祈り続けた皇后さまだからこそ起こったことだと思いました。

やはり、太平洋戦争で失われた数百万人にものぼる戦没者の方々があってこそ今の日本の繁栄があるのだということ、そしてその象徴が硫黄島であることを私たちは忘れてはいけない。今の日本の混迷も、この原点に戻ることが大事ではないか、政治家たちは特にそうであるべきだと思うのは僕だけでしょうか。

菅直人首相もスケジュールをこなすだけでなく、是非美智子皇后さまを見習ってひたすら硫黄島で祈り続けてほしいと思いました。  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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