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2011年09月15日

【あの時何が?】

菅前首相が東電本店に乗りこんだときは一体どういう状況だったのかを知る手掛かりがもうひとつ出てきました。

『東京電力福島第一原発事故で、本紙は、菅直人前首相が三月十五日未明に東電本店に乗り込んだ際の訓示の記録全文を入手した。現場からの撤退を打診した東電側に「放棄したら、すべての原発、核廃棄物が崩壊する」と警告し、「命を懸けてください」と迫っていた。菅氏は本紙のインタビューで「東京に人がいなくなる」ほどの強い危機感があったと明かしていたが、訓示の内容からもあらためて裏付けられた。
 第一原発では当時、1、3号機が水素爆発を起こし、2号機も空だき状態の危機が続いていた。政府関係者の記録によると、菅氏は「(撤退すれば)チェルノブイリ(原発の事故)の二~三倍のもの(放射性物質の放出)が十基、二十基と合わさる。日本の国が成立しなくなる」と危機感をあらわにした。
 その上で、「命を懸けてください。逃げても逃げ切れない」と、勝俣恒久会長や清水正孝社長(当時)ら東電側に覚悟を要求。「六十歳以上が現地に行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない」と訴えた。
 菅氏は海江田万里経済産業相(当時)から「東電が撤退意向を示している」と報告を受け激怒。清水社長を官邸に呼び政府と東電の統合本部設置を通告し直後に東電を訪れた。
 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は今月六日の記者会見では「撤退を申し上げた事実はない。七十人程度が事故対応のために残り、それ以外は(対応拠点の)『Jヴィレッジ』や福島第二原発に退避することを考えていた」と説明した。』(9月9日付東京新聞)


【敵前逃亡の東電幹部】

本当の危急存亡のときに人間というものは本性を現します。まさに菅前首相が東電本店に乗りこんだときの勝俣恒久会長や清水正孝社長(当時)たちがそうだったのです。東京が壊滅するかもしれないという国家そのものの存亡がかかったときに、逃げようとした。こんな連中がニッポンの「絶対安全」と言われていた原発を動かすトップだったのですから、今でも背筋がゾッとします。そして今も勝俣氏は東電の会長に君臨しているのです。何度も言いますがこれはまぎれもない企業犯罪だと思います。どれだけの人たちが今この瞬間にも、この人たちの怠慢で命の危険にさらされているか。こんな人たちが告発されずして世の中に正義などあるのでしょうか。

この東電のトップをはじめとして原発の推進にまい進してきた経産省の官僚や原発や放射能を安全と言い続ける御用学者、原子力利権にたかる政治家たち、それを助ける大手メディアなど原子力ムラの傲慢がもたらすフクシマの放射能汚染の災禍はこれから何十年、何百年にわたって、国内の汚染された土地や海の除染、ヒバクシャへの巨額の賠償を続けて行かざるを得ません。日本だけでなくこれからは海外からも海洋の放射能汚染に対する途方もなく巨額の賠償請求も出てくるでしょう。それらはニッポンの国力を奪い、たとえ次の原発事故を待たずともニッポンという国家は衰退の道を辿って行くのは確実です。

日本全体、あるいは世界全体から見ればたかがひとつの斜陽産業にすぎない原子力産業の延命のために、日本国民は放射能にまみれ、さらなる原発事故の恐怖に怯えながら逃げ場のない日本で生き続けなければならないのです。そんなことを本当に許していいのでしょうか?ひとりひとりが今こそこの原発という魔物を真剣に考え、「NO」を突きつけるべきではないでしょうか?なぜなら、菅前首相の「東京が壊滅するかもしれない」という危機感は本当だったし、このまま原発を存続させれば次は本当に東京がそして日本が壊滅する日はまちがいなく来ると予想されるからです。

汚れきった原子力産業よりも子どもたちの命のほうがどれだけ大切か、感情論ではなく冷静に考えれば日本という国家の存続にとってこれほど重要なことはありません。  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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