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2008年08月04日

【天才、逝く】

ギャグの天才が天国に旅立った。

『「天才バカボン」などのギャグ漫画で一時代を築いた漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名藤雄=ふじお)さんが2日午後4時55分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。72歳だった。旧満州(現中国東北部)出身。葬儀は未定。
 1946年に旧満州から引き揚げ、奈良県と新潟県で少年時代を過ごす。故手塚治虫さんの漫画に感動して漫画家を志し、中学卒業後に上京。化学薬品工場で働きながら漫画を投稿した。56年、「嵐をこえて」でデビュー、故石ノ森章太郎さんらとアパート「トキワ荘」で暮らし、腕を磨いた。
 62年から少年サンデーに連載した「おそ松くん」が爆発的な人気を獲得。以後、「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」とたて続けにヒット作を出し、これらの漫画から生まれた「シェー」「これでいいのだ」などのせりふやポーズが大流行した。
 漫画以外の分野でも、テレビ番組の司会者を務めたり、オペラ、ミュージカル、ジャズフェスティバルなどを手掛けたりした。ピアニストの山下洋輔さん、タレントのタモリさんなど交友関係も広かった。97年日本漫画家協会文部大臣賞、98年紫綬褒章受賞。』(8月2日付時事通信)


【日本漫画の原点】

赤塚不二夫さんといえば、僕らの世代は「おそ松くん」・「天才バカボン」を真っ先に思い出す。赤塚さんは、藤子不二雄、石ノ森章太郎などの漫画界の大御所たちと親しく、しかも同時代に生きて今の日本漫画界の礎を創ってきたまさに漫画の天才なのだ。

その赤塚不二夫さん、ガンを宣告されても好きなタバコや酒をやめることなく、自由奔放な生き方を貫き通し、家族に看取られながらこの世に別れを告げられました。きっと、自らが創りだした漫画のキャラクター、おそ松くん、イヤミ、天才バカボン、ひみつのアッコちゃんたちに囲まれながら、 「わっはっは、人生はギャグなのだ」と言いながら一緒に天国に旅立ったのだろうと思います。

赤塚さん、楽しい漫画をありがとう。天国でも下界の人間を笑い飛ばし続けてください。心からご冥福をお祈りします。

  




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海や山、自然が好きな九州男児です。あらゆる機会をとらえて、時代の変化をいつも感じていたいと思っています。
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